忙しさ中で見つけたいつも場所の新しき表情 [仕事の合間に]

昨年12月以来、再び嵌ってしまった仕事の連鎖。
今回も、新年度に入るということで多少きつめのスケジュールを立てていたところ、こういう時に限って突発の仕事が次から次へと出てくるもの。

おかげで3月後半よりモグラたたきしてるような日々が続き、今日は東へ明日は西へとあちらこちらを飛び回っているのですが、さすがに3週間近くこうした状態が続くと、少々疲れが溜まってくる。

やはり年ですかね、というところで、今回は、いつもの音楽記事はお休みとさせていただくことに。

とはいっても、いろいろ歩き回てみるとこの季節、いつも見慣れたその風景も、また違った色合いが見えて来るもの。
仕事中だとおもいつつも、歩き回っているとついついカメラを向けてしまうこともしばし。

そこで、今回はこうして撮った写真の数々、私のYoutubeチャンネルの登録者の方の数も100名を越えたこともあり、ならば、これらを集め作った映像をUpしようかと、早速制作にかかることにいたしました。

まずは、日頃、仕事で訪れることの多い東京湾岸部周辺の風景。
1月から3月にかけて、この東京湾岸、一体何周したことか。

そうした中で、房総半島から見た早朝の胎動を始めた大都会の威容の圧巻さ、また、夜なって幾分落ち着きを取り戻した都会の夜景の美しさは、その日の疲れをそっと癒し、さらなる活力を与えてくれているようにさえ感じられたことから、そうした思いの映像をこんな形にまとめてみました。

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使用した音楽は、17歳にてあのマイルス・ディビスのクインテットのリズム陣の一画にあってその重責を担った天才ドラマー、Tony Williamsの1986年の作品”Civilization”から、”Geo Rose”です。

日々逞しく鼓動する大都会の息吹、それには力強く響き突き進むトニーのドラムの鼓動がふさわしように感じ、使ってみることにしました。

DSCN3560m.JPG


ところで、このスカツリーの写真、JR新小岩駅のホームで撮ったものなのですが、この新小岩付近、空気の澄んだ冬の朝などには、駅近くを流れる荒川を挟んで富士山とスカイツリーのツーショットが見られる絶景ポイントなのです。

この日も電車に乗ろうと総武快速線のホームに上がると、夜の帳の中に美しい光の衣装を着たその姿を見つけ、思わずシャッターを切ってしまいました。


さて、もう一つの映像は、

3月の終わりから4月にかけては、甲信地方や北関東の方面への出張が続き、それが桜前線を追う形となってしまって、行った先々で自然の中に桜の美しさを堪能するという幸運に恵まれることになってしまったのですが、その映像、甲府の桜は前回の記事”亡き盟友を偲ぶ語らいの音”に掲載したので、今回は、北関東出張時のこんな画像をモチーフにした映像を作ってみることにしました。

DSC01108m.JPG


栃木県さくら市喜連川の桜の様子です。
実は、このさくら市方面に出張の時は、喜連川にあるとある民宿を常宿としているのですが、この民宿に向かう途中に通る、街への入り口にある田んぼに囲まれた土手の上を走る道、その両側には桜並木があって、かねがね一度は桜の時期に訪れてみたいと思っていたのです。

そして、今回やっとのことで、その念願が叶い収めまとめたのが、こちらの映像。



派手さこそないですが、頂上にわずか雪をいただく日光連山の美しい風景と相まって、清々しささえ感じる桜の風景が都会で見る桜とはまた違った風情を感じさせてくれてます。

使った音楽は、女流ジャズ・ヴァイオリニストのRegina Carterの演奏で、曲は”Oblivion”。
このレジーナ・カーター、昨年12月にご紹介したベーシストのChristian McBrideのデュオ作品”Conversations with Christian”の中に1曲でマクブライトと共演、清楚なバロック音楽的なテーマからスィンギーなソロを展開していた、その演奏に惹かれ、その作品を探してみたものなのです。

さて、この映像、山間の町の清涼な空気、艶やかに春を告げる桜の花の雰囲気、そうした気分をお伝えすることができたでしょうか。



ところで、この映像のタイトルとした”桜並木街道が迎える、おもてなしの心が残る温泉町”の”おもてなしの心”とは、元は飾り気のない素の姿で宿泊客をもてなしてくれる民宿の女将さんの印象から来たものなのですが、何度もここに泊まってみて最近感じるのは、その”おもてなしの心”は女将さん固有のものではなく、どうやら、この喜連川という土地の歴史的風土からくるものではないかなということ。

とういうのも、この喜連川というところ、江戸時代にこの地を治めたのはあの室町幕府を開いた足利尊氏の次男基氏の後裔である喜連川氏。

そうした高貴な血筋ということもあってか喜連川氏、その家格は、無位無官ながら徳川御三家に次ぐものとされ、加賀100万石の前田家、薩摩72万石の島津家、仙台62万石の伊達家、そして会津23万石の松平家や彦根35万石の井伊家といった有力大名と同等の家格の大名として扱われていたそうなのです。

ところが、その石高は、大名と言えば1万石が最低ラインのはずなのに、なんとわずか5000石。
当時、一番小さい藩だったのです。

そうなると気になるのが、その財政。
わずか5000石の収入で、10万石を越える大名に匹敵する、いや名門足利家としてはそれ以上の体裁を整えなければならなかったはず。

となれば、その収入はどうしたのかという疑問が湧いてきますよね。

実は、その答えがおもてなしなのです。

当時、各大名には幕府によって3年ごとに江戸と国許を行き来きする参勤交代を課せられてたのですが、その旅に要す費用は莫大なものだったと言われ、特にその大名が宿泊する本陣が置かれた宿場町は、その費用で大いに潤ったと言われているのです。

そこで、収入を確保するため喜連川藩がとった対策は、藩の領地内大名行列が通り、本陣を構えてもらえるよう各大名に働きかけたこと。
驚いたことに、それには高貴な殿様自らも営業活動をしていたのだとか。

官民挙げての町おこしという感もありますが、泊まってもらえば、また来てもらえるように至れり尽くせりのおもてなしして、また来てもらえるようにと取り計らわねばならない。
ましては、喜連川の場合は高貴なお殿様まで繰り出しての誘致活動。
とにかく藩の体面がかかっていたのですから、そのおもてなしの気配りも入念になされていたのではないかと思われるのです。
そして、そうしたことがいつの日か、この地の風土なり浸みこんでいったそのように思えるのです。

そう考えると、300m深くの地中から掘り当てたという”美肌の湯”と言われるこの地の温泉も、今も多くの人にこの地を訪れてもらいたいと願う、この町の人達の”おもてなしの心”が生んだものなのかもしれません。



それにしても仕事は忙しくとも、こうやって旅をしているといつもと違った何かに出会える。
そう考えると、忙しさこそ日々の暮らしの活力源、それまたいいものだと思うのです。

さア明日は、また甲府へ。
昨年訪れた、釈迦堂遺跡の桃の花園、今年も既に咲き誇っているだろう桃の花々との再会が楽しみです。




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raccoon

Geo Rose はパーカッションが心地よいですね。
出張が多いようですが、その間に、こういう動画作られるのって、
すごいですね。

by raccoon (2014-04-15 23:42) 

老年蛇銘多親父

raccoonさん

マイルスのバンドに始まり、70年代はロック的な演奏をしていたトニーですけど、この80年代半ばのこの演奏は、それらを集大成した円熟味のあるプレーを聴かせてくれているように思え気に入っています。

確かに出張が多いのですけど、その間に作った映像、見ていただけてうれしく思います。
by 老年蛇銘多親父 (2014-04-16 15:44) 

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