追悼 プーさん逝く:Eastward、銀界 [音源発掘]
今回のお話は、何気に見た7月8日の朝の新聞記事。
ショッキングなニュースばかりの今日この頃、余りの多さに日々心が痛みも癒えることはないのですけど。
そうした中でも、他の人には小さなことなのだけど、個人的には、それを越えるショックを感じた、紙面の端に小さく載ったこの記事のこと。
それは、プーさんの訃報。
えっ!!、クマのプーさんが亡くなった??
いやいや、そのプーさんではなくて!!
このプーさんとは、日本のジャズを世界に羽ばたかせた、そのパイオニアとして長年日本のジャズ界をリードをして来たジャズ・ピアニストの菊池雅章(まさぶみ)さんのこと。
その私の愛すべきピアニストのプーさんが、7月7日ニューヨークで亡くなったというのです。
そのプーさんと私の出会い。
それは、私がようやくジャズを聴き始めた頃、友人が持ってきた一枚のジャズ・アルバム、「これ2年ぐらい前に発表された作品なのだけど、なかなかいいよ。」と言って聴かせてもらったその作品のピアニストが、プーさんだったことに始まるのですが、その後、偶然にも共立公会堂での彼のクインテットでのライブに接する機会に恵まれ、その演奏が思いの外以上だったことから、そこで聴いたサウンドが忘れられなくなり、以来機会があればその動向に注目し続けることになってしまっていたのです。
そしてそのプーさん、近年は、1999年以降作品の発表は途絶えていたものの、2000年代初めまでソロでの活動を続けているとの情報を耳にしていたのですが......。
ところが、それ以降、音信がぱったりと少なくなってしまったことから、その動向が気になって調べてみると、どうやら病気との噂。
そうであれば早く全快して、またあの気難しい演奏を耳に出来ればと思っていた矢先、この訃報を目にすることとなってしまったのでした。
そうしたことから、私自身今は、長き渡り慕い聴き続けてきたピアニスト、プーさんの演奏を再び聴き直し、彼への想いを偲んでいるのですけど、今回の作品は、その中でも、さもよく聴いている彼の作品のお話から。
それは、ベース奏者Gary Peacock 1970年の作品”Eastward”。
あれ? プーさんの作品ではないのではないですか。
なんて思われるかもしれませんけど。
本当は、今も頭から離れない、あの共立公会堂で聴いたサックスに峰厚介を加えたクインテットの演奏、その頃、発表されて間もなかったChick Coreaの名曲”La Fiesta”を、コリアの演奏以上にラテン・ソウルに満ちたタッチで聴かせてくれていた、その演奏をお聴きかせしたいのですが、残念ながらその演奏の音源はどこにも残っていないよう。
ならば、私が初めてプーさんのピアノを聴いた思い出の一枚、サイドマンとしてプーさんだけど、その彼のピアノの魅力が十二分に楽しめる一枚ということで、この作品を選ぶことにしたのです。
さて、この作品のリーダーのGaey Peacockというベーシスト、今ではKeith Jarrett、Jack DeJohnette 等とのピアノトリオ”Standards”での活動で、その名を知る人も多いと思うのですけど、この作品のレコーディング当時の彼は、フリー・ジャズの世界で活躍の後、麻薬禍による健康の悪化、それに加えて夫人との離婚、などにより心身ともに疲れ果て極限の精神状態にあった時期で、その療養ため密かに来日、京都で日本文化に触れ禅の研鑽に浸っていたというのです。
実はこの作品、ちょうどその頃、Bill Evansの下、驚異的なテクニックで時代を席巻した天才ベーシストのScott LaFaroにも匹敵するといわれた、この大物ベーシストの密かなる来日を察知した当時のジャズ関係者が、京都に潜む彼を探しだし、レコーディングに漕ぎ着けたという曰くのあるもの。
その制作にあたっては、日本のジャズ関係者の意気込みも凄まじく、ピアノに、このレコーディングの前年アメリカ留学から帰国したばかりの精鋭である菊池雅章を、ドラムには、日本の中核ドラマーとして頭角を現し上り坂の途上にあった村上寛をと、当時の日本の新進気鋭の若手を配し、万全な形で臨んだ日本のジャズ史にとっても大変意義深いものだったのです。
それではこの辺で、この日本のジャズ史に残るその演奏、やはり聴いていただきたい。
その演奏、前回の記事でもご紹介した甲斐の猿橋、武田終焉地景徳院を訪れた時の映像をバックにしたPVに仕立ててみましたので、ひとまずここでお聴き(ご覧)くださればと思います。
曲は”Changing”
プーさんの繊細さと力強さを兼ね備えたピアノ・プレイ、その相反した世界が離反することなく交互し不思議な間の空間を感じさせてくれている。
プーさんの代表作と言えば、”Poo-Sun”や”Susuto”等があげれると思うのですけど、リーダーで演じる時のプーさんというと、もともとコンポーザーとしての色彩が強い彼の個性に加え、よりその色彩が濃くなり、密度の高い音空間を生み出していたように思え、その姿勢には、凄味すらを感じるのですけど、その分、彼のピアニストとしての個性がどうも希薄になってしまっていたようにも思えてしまうのです。
しかし、ここでのプーさん、サイドマンとして思う存分にピアノを叩き呻いている。
このあたりにこの作品、彼のピアノに触れられるものという意味で、私個人的は最良のものではと思っているのですが、さらにこの演奏、ジャズでありながら、その音の一つに一つに日本の禅的空間を感じさせてくれるものがあるように思えるのです。
その音楽性は、彼の音楽の生涯変わらぬ芯を支えていたように思え、その後の作品もよく聴くといくつものそうしたサウンドの欠片が散見され、連綿と彼の心の中で育ち引き継がれて行った。
そして、その集大成として、90年代再びPeacockと組んだTethered Moonの演奏や晩年のソロの世界へと繋がって行ったよう思うのです。
さて、そうした禅的音の空間、この作品のレコーディングからおおよそ8か月後、この3人と一人の邦楽のホーン・プレヤーとの出会いが、その心をさらに高みへと昇華させられることになるのです。
それでは、そのホーン・プレヤー、日本の尺八の第一人者として知られた山本邦山との演奏から、1曲聴いていただくことにいたしましょう。
曲は”沢之瀬”。
1970年の作品、”銀界”の中からの1曲です。
ここで尺八を演奏している山本邦山、この作品以前にも宮間利之とニューハードとの共演など、ジャズと積極的に関わってきた邦楽家として知られる存在だったと記憶しているのですが、それらの演奏のほとんどがジャズのナンバ-を和楽器で演奏するという、それはそれでまた楽しいもので、私も決して嫌いではないのですけど、純然ジャズとして聴くと、やはりインパクトに欠け心を熱くするものが感じられない、風変わりさだけが目立つものでしかなかったように思うのです。
ところが、この演奏では、かの邦山もジャズの世界で百戦錬磨を誇ってきた3人と対等に、いや時には3人を凌ぎ、ひたすら彼の世界に彼らを導き引き没頭させてしまうぐらいの凄まじいインプロビゼーションを展開している。
そこには、風の音に身を任せ、無我の境地で心のままに音を紡いで行くといった如くの、彼の心の中にあった思える禅の世界の境地があった。
それはある意味、禅の境地を身に着けたこの3人がバックにあってこそ理解できるものであったに違いなく、xその3人、特に菊池とPeacockがいてこそに邦山の心に火がついた、日本の幽玄的精神世界が生み出した名演奏なのでは思うのです。
Peacockと共にその日本の幽玄世界に足を踏み込んでい行った菊池雅章。
そして、ジャズに日本のその心を注ぎ込み続けて行った偉大なるジャズ・プレヤー。
私も、その冥福を祈りながら、その演奏を聴き、彼が刻み続けたその境地を会得し、これからも研鑽を重ねて行きたいものだと思います。
Eastward
Track listing
1.Lessoning -Gary Peacock-
2.Nanshi -Gary Peacock -
3.Changing -Gary Peacock -
4.One Up -Gary Peacock-
5.Eastward -Gary Peacock-
6.Little Abi -Masabumi Kikuchi-
7.Moor -Gary Peacock -
Personnel
Gary Peacock (b)
菊池雅章(p)
村上寛(ds)
Recorded
February 3,4&5 1970
kawagutchi Chiminkaikan, Japan
銀界
Track listing
1. 序 (Prologue)
2. 銀界 (Silver World)
3. 竜安寺の石庭 (Stone Garden Of Ryoan Temple)
4. 驟雨 (A Heavy Shower)
5. 沢之瀬 (Sawanose)
6. 終 (Epilogue)
Personnel Kimiko Kasai-vocal
山本邦山(尺八)
菊池雅章(p)
Gary Peacock (b)
村上寛(ds)
Recorded
October 10, 1970
ショッキングなニュースばかりの今日この頃、余りの多さに日々心が痛みも癒えることはないのですけど。
そうした中でも、他の人には小さなことなのだけど、個人的には、それを越えるショックを感じた、紙面の端に小さく載ったこの記事のこと。
それは、プーさんの訃報。
えっ!!、クマのプーさんが亡くなった??
いやいや、そのプーさんではなくて!!
このプーさんとは、日本のジャズを世界に羽ばたかせた、そのパイオニアとして長年日本のジャズ界をリードをして来たジャズ・ピアニストの菊池雅章(まさぶみ)さんのこと。
その私の愛すべきピアニストのプーさんが、7月7日ニューヨークで亡くなったというのです。
そのプーさんと私の出会い。
それは、私がようやくジャズを聴き始めた頃、友人が持ってきた一枚のジャズ・アルバム、「これ2年ぐらい前に発表された作品なのだけど、なかなかいいよ。」と言って聴かせてもらったその作品のピアニストが、プーさんだったことに始まるのですが、その後、偶然にも共立公会堂での彼のクインテットでのライブに接する機会に恵まれ、その演奏が思いの外以上だったことから、そこで聴いたサウンドが忘れられなくなり、以来機会があればその動向に注目し続けることになってしまっていたのです。
そしてそのプーさん、近年は、1999年以降作品の発表は途絶えていたものの、2000年代初めまでソロでの活動を続けているとの情報を耳にしていたのですが......。
ところが、それ以降、音信がぱったりと少なくなってしまったことから、その動向が気になって調べてみると、どうやら病気との噂。
そうであれば早く全快して、またあの気難しい演奏を耳に出来ればと思っていた矢先、この訃報を目にすることとなってしまったのでした。
そうしたことから、私自身今は、長き渡り慕い聴き続けてきたピアニスト、プーさんの演奏を再び聴き直し、彼への想いを偲んでいるのですけど、今回の作品は、その中でも、さもよく聴いている彼の作品のお話から。
それは、ベース奏者Gary Peacock 1970年の作品”Eastward”。
あれ? プーさんの作品ではないのではないですか。
なんて思われるかもしれませんけど。
本当は、今も頭から離れない、あの共立公会堂で聴いたサックスに峰厚介を加えたクインテットの演奏、その頃、発表されて間もなかったChick Coreaの名曲”La Fiesta”を、コリアの演奏以上にラテン・ソウルに満ちたタッチで聴かせてくれていた、その演奏をお聴きかせしたいのですが、残念ながらその演奏の音源はどこにも残っていないよう。
ならば、私が初めてプーさんのピアノを聴いた思い出の一枚、サイドマンとしてプーさんだけど、その彼のピアノの魅力が十二分に楽しめる一枚ということで、この作品を選ぶことにしたのです。
さて、この作品のリーダーのGaey Peacockというベーシスト、今ではKeith Jarrett、Jack DeJohnette 等とのピアノトリオ”Standards”での活動で、その名を知る人も多いと思うのですけど、この作品のレコーディング当時の彼は、フリー・ジャズの世界で活躍の後、麻薬禍による健康の悪化、それに加えて夫人との離婚、などにより心身ともに疲れ果て極限の精神状態にあった時期で、その療養ため密かに来日、京都で日本文化に触れ禅の研鑽に浸っていたというのです。
実はこの作品、ちょうどその頃、Bill Evansの下、驚異的なテクニックで時代を席巻した天才ベーシストのScott LaFaroにも匹敵するといわれた、この大物ベーシストの密かなる来日を察知した当時のジャズ関係者が、京都に潜む彼を探しだし、レコーディングに漕ぎ着けたという曰くのあるもの。
その制作にあたっては、日本のジャズ関係者の意気込みも凄まじく、ピアノに、このレコーディングの前年アメリカ留学から帰国したばかりの精鋭である菊池雅章を、ドラムには、日本の中核ドラマーとして頭角を現し上り坂の途上にあった村上寛をと、当時の日本の新進気鋭の若手を配し、万全な形で臨んだ日本のジャズ史にとっても大変意義深いものだったのです。
それではこの辺で、この日本のジャズ史に残るその演奏、やはり聴いていただきたい。
その演奏、前回の記事でもご紹介した甲斐の猿橋、武田終焉地景徳院を訪れた時の映像をバックにしたPVに仕立ててみましたので、ひとまずここでお聴き(ご覧)くださればと思います。
曲は”Changing”
プーさんの繊細さと力強さを兼ね備えたピアノ・プレイ、その相反した世界が離反することなく交互し不思議な間の空間を感じさせてくれている。
プーさんの代表作と言えば、”Poo-Sun”や”Susuto”等があげれると思うのですけど、リーダーで演じる時のプーさんというと、もともとコンポーザーとしての色彩が強い彼の個性に加え、よりその色彩が濃くなり、密度の高い音空間を生み出していたように思え、その姿勢には、凄味すらを感じるのですけど、その分、彼のピアニストとしての個性がどうも希薄になってしまっていたようにも思えてしまうのです。
しかし、ここでのプーさん、サイドマンとして思う存分にピアノを叩き呻いている。
このあたりにこの作品、彼のピアノに触れられるものという意味で、私個人的は最良のものではと思っているのですが、さらにこの演奏、ジャズでありながら、その音の一つに一つに日本の禅的空間を感じさせてくれるものがあるように思えるのです。
その音楽性は、彼の音楽の生涯変わらぬ芯を支えていたように思え、その後の作品もよく聴くといくつものそうしたサウンドの欠片が散見され、連綿と彼の心の中で育ち引き継がれて行った。
そして、その集大成として、90年代再びPeacockと組んだTethered Moonの演奏や晩年のソロの世界へと繋がって行ったよう思うのです。
さて、そうした禅的音の空間、この作品のレコーディングからおおよそ8か月後、この3人と一人の邦楽のホーン・プレヤーとの出会いが、その心をさらに高みへと昇華させられることになるのです。
それでは、そのホーン・プレヤー、日本の尺八の第一人者として知られた山本邦山との演奏から、1曲聴いていただくことにいたしましょう。
曲は”沢之瀬”。
1970年の作品、”銀界”の中からの1曲です。
ここで尺八を演奏している山本邦山、この作品以前にも宮間利之とニューハードとの共演など、ジャズと積極的に関わってきた邦楽家として知られる存在だったと記憶しているのですが、それらの演奏のほとんどがジャズのナンバ-を和楽器で演奏するという、それはそれでまた楽しいもので、私も決して嫌いではないのですけど、純然ジャズとして聴くと、やはりインパクトに欠け心を熱くするものが感じられない、風変わりさだけが目立つものでしかなかったように思うのです。
ところが、この演奏では、かの邦山もジャズの世界で百戦錬磨を誇ってきた3人と対等に、いや時には3人を凌ぎ、ひたすら彼の世界に彼らを導き引き没頭させてしまうぐらいの凄まじいインプロビゼーションを展開している。
そこには、風の音に身を任せ、無我の境地で心のままに音を紡いで行くといった如くの、彼の心の中にあった思える禅の世界の境地があった。
それはある意味、禅の境地を身に着けたこの3人がバックにあってこそ理解できるものであったに違いなく、xその3人、特に菊池とPeacockがいてこそに邦山の心に火がついた、日本の幽玄的精神世界が生み出した名演奏なのでは思うのです。
Peacockと共にその日本の幽玄世界に足を踏み込んでい行った菊池雅章。
そして、ジャズに日本のその心を注ぎ込み続けて行った偉大なるジャズ・プレヤー。
私も、その冥福を祈りながら、その演奏を聴き、彼が刻み続けたその境地を会得し、これからも研鑽を重ねて行きたいものだと思います。
Eastward
Track listing
1.Lessoning -Gary Peacock-
2.Nanshi -Gary Peacock -
3.Changing -Gary Peacock -
4.One Up -Gary Peacock-
5.Eastward -Gary Peacock-
6.Little Abi -Masabumi Kikuchi-
7.Moor -Gary Peacock -
Personnel
Gary Peacock (b)
菊池雅章(p)
村上寛(ds)
Recorded
February 3,4&5 1970
kawagutchi Chiminkaikan, Japan
銀界
Track listing
1. 序 (Prologue)
2. 銀界 (Silver World)
3. 竜安寺の石庭 (Stone Garden Of Ryoan Temple)
4. 驟雨 (A Heavy Shower)
5. 沢之瀬 (Sawanose)
6. 終 (Epilogue)
Personnel Kimiko Kasai-vocal
山本邦山(尺八)
菊池雅章(p)
Gary Peacock (b)
村上寛(ds)
Recorded
October 10, 1970
本当に偉大なジャズピアニストをなくしました。心から哀悼の意を捧げます。
7/31 新宿ピットインで、日野皓正 本田珠也のスペシャルライブがありました。お二人がプーサンに鍛えられた事などでプーサンを偲ばれていました。立ち見席まで超満員で入場出来ずに帰る人もいました。ステージの合間には、日野 菊池クインテットのLP盤をかけての熱狂ライブでした。
by mwainfo (2015-08-10 20:43)
mwainfoさん
だいぶ前のこと、とある評論家が、日野皓正について彼は単なる楽器の演奏家という以上に音楽家であると評していたのを読んだことがあって、私もその通りだと思っているのですのでが、今思えば、その音楽家日野の原点、それはやはりあの日野 菊池クインテットにあったのではないかなと思っています。
そんなことで、ステージの合間に日野 菊池クインテットのLP盤がかけられていたこと、日野のプーさんに対する深い思いが伝わってくる出来事のように感じました。
この日のコンサートの情景、拝見して、この二人、プーさんを偲びつつも、この二人の思いがこの場に呼んだプーさんの魂、それが奏でる音を感じながら演奏していたのではという気がして来ました。
by 老年蛇銘多親父 (2015-08-11 06:46)