神の啓示に導かれて;Keith Jarrett・Solo Concerts: Bremen/Lausanne 本日の作品;vol.140 [デジタル化格闘記]

今回は、再びいつもに戻って音楽ネタ。

その音楽ネタ、今年は、年初めからこれまで我がライブラリー収めておきながら、そのまま聴きそびれてしまっていた作品を取上げ聴き直し、その感想とその作品まつわる私自身の思い出をテーマに書き留め行くという趣向で筆を進めているのですけど、今回も長い間私のライブラリーに眠らせてしまっていたこんなアナログ盤を掘り出し、また語って行くことにいたしました。

Solo Concerts: Bremen & Lusanne-m.jpg


その作品は、ジャズ・ピアノの巨匠Keith Jarrettの1973年の作品”Solo Concerts: Bremen/Lausanne ”。
アナログ盤では3枚に収録された大作である本作品、この作品が出た頃の私は、Keith のピアノが大のお気に入りで、彼の作品が発表されればGet、かたっぱしから彼の作品を聴き、Liveにも参戦するという状態だったもですが。

この作品も、リリースされるとすぐにGetしよく聴いていたのですが、しかしその後は、なんといってもアナログ3枚組、A面B面をひっくり返しながら2時間超、次第にそうしたことしながら音楽に没頭する時間もとれなくなり、以来30年以上、お蔵入り状態になってしまっていたものなのです。

そうした長い間忘れていたこの作品、それを思い出すことになったきっかけは、前々回の記事で取上げた益田幹夫のピアノ作品の”黒水仙”を聴いてのこと。

しかとした理由もなく、益田幹夫のピアノを聴いていたところ、その余韻の中にどういう訳かKeithのピアノの面影が浮かんできて、忘れかけていたこのソロ・ピアノ作品を思い出し聴きたくなってしまったというのがその顛末。

とは言え3枚組み2時間を越えるこの大作、聴くといってもどこでもというわけには行かず、持ち運び通勤の道中、電車の中で手軽に聴くことが出来ればと、音源デジタル化作業に取り掛かることとしたのです。

そうして30年ぶりに再会したそのサウンドは!!!



keith jarrett 50.jpg











曲は、”Bremen 1973年7月12日” ドイツのブレーメンで行われたLiveから、その Part Iでした。

さて、この演奏、曲のタイトルを見てその題名が演奏した日付、場所、そのパート区分で表記されていることに、奇異なものを感じたかもしれませんが、それもそのはずでこのソロ・ピアノ、既成の曲のスコアなど全くなくすべてが無の状態の中、Keithがその心の中から湧き出る旋律を鍵盤を叩き紡ぎ生み出したもの。

つまり、これは、あらかじめの曲などという設定はなく、全編が即興演奏の中から生まれ出た音楽ということなのです。

この時期のKeithというと、Dewey Redman(ts)、Charlie Haden(b)、Paul Motian(ds) 等とのジャズ史上名高いアメリカン・カルテットでの演奏で大いなる注目と人気を集めていた頃だったのですが、そうした絶頂期にその彼自身初となる、この前代未聞とも言える全く無状態からから始まるピアノ・ソロで、未知なる音世界を築いて行こうと挑戦したこの演奏は、当時のジャズ界に大きな衝撃を与えることになったものなのです。

そして、その冒険的取組みは、1972年8月のモールドでのコンサートに始まり、その後はこの作品に収められているローザンヌ、ブレーメンのほか、72年9月ストックホルム 同年年11月ニューヨーク、73年4月ベルンでも行われているのですけど、ECMレコードの代表であるManfred Eicherによれば、そのすべてが録音をされ、当初はその全部をレコード化しようと考えていたものの、その後、たとえ演奏は良くとも録音状態のよくないものは避けるべきだと思い、ローザンヌ、ブレーメン両コンサートに留め、レコード化したのが本作品だったと語っているのです。

さてクラシカルな旋律から始まるその演奏、しかし、その先その旋律はフォーク、ゴスペル、ロック等、あらゆる異質のジャンルのサウンドが入り混じりつ変化、それでいて、曲としての連続性は破綻することなく終焉へど導いて行ってくれる。
Keithの弾くピアノの研ぎ澄まされた透明感ある音色の美しさも手伝って、無からこれだけ密度の高い音楽が生まれ出ていたことをあらためて聴き直し知り、私自身背筋に冷たいもが走るの感じてしまったほど。

しかもブレーメンでのこの演奏、この日のKeithは激しい背中の痛み訴えつその体調は最悪の状態で、Eicherもこの日のコンサートは中止せざるおえないと判断、それを発表してしまったのですが、開演4時間前になって突然、Keithからの是非ともやりたいという電話での強い意思表示を受けたことから、急遽このステージが実現したのだと、当時のアナログ盤のライナーノーツにあるのです。

開幕までこうした経緯のあるこの演奏、そうしたことから私は、ここで耳にしたこのサウンドは、それを即興で生んだKeithの類稀な才能も去ることながら、痛み耐え混濁した意識の中で彼の脳裏に聴こえてきた神の歌声のに導かれ生まれ出たものなのではという思いに駆られてしまったのでした。

そして、突然の中止撤回により、この日集まった聴衆は、わずか200人であったこの日のコンサート、そこで起きた奇跡的なともいうべきこの深淵な音空間に多くの人が接することが出来るべく、この音源を選びレコード化したKeithとEicherの卓見に敬意の念さえ覚えることになってしまったのです。


さて、72年に始まった、Keithの即興によるこのソロ・ピアノ活動は、本作の大成功により、現代に至るまで連綿と続けられていて、これまで多くの作品が発表されているのですけど、こうした中で、さも名高く高い人気を博し、その演奏がCMのBGMとして使われたほどの名演奏と言われているの作品に、1975年の”The Köln Concert”という作品があります。

実は、この作品でも、Keithは数日間の不眠続きから来る背中の痛みに悩まされ、その体調は最悪状態であったといい、そのうえ用意されたピアノもKeithが満足する音を出せないという代物であったという、Bremen以上に劣悪な環境の中で生まれたものだというのです。

体調不良時に生み出されたこの2つの名演奏、これらのことを思うと、これら名演が生まれた背景には、体調の不具合苦しみながら、ピアノと格闘するKeithの体内に、それを見かねた神が宿り、いつもの彼の音世界とは違った方向へとそのサウンドを導いて行った、そうした神秘的な何かが働き生まれたのが、この2つの名演てあったように思えてならなくなってしまうのです。


それでは、ここでもう一つの神秘、やはり聴いていただきたいというところで、”The Köln Concert”の演奏をお聴きいただき、再びKeithのピアノの中にある神秘の真髄に浸っていただくことにしたいと思います。



体調不良のなか音域の豊かさかつ音程に問題を抱えるピアノと格闘するKeith。
そこから聴こえて来るのは、音域の足りなさを補うかのように細かくリズムを連打し音楽を紡いで行く、突如それまでの彼の演奏にはなかったスタイルで、未知なる世界を生み出して行く彼の姿。
重なる悪条件を逆手に取り至高のものへと仕上げいる。
やはり、ここには、人知を超えたなにかがあると考えてしまいます。


30年ぶりに聴いた本作品、若き日何度も聴いたはずなのに、今、その凄さは倍加して身に襲いかかって来た。
それは、30年の間知らず知らずのうちに育ち磨きかかった私の感性の賜物だったのか、それともKeithに宿った神の仕業だったのか。

やはり、前者ではありえない、それは紛れもなく神の仕業なのだ!!

などと思い、朝の通勤電車に中でこの演奏を聴いていたら、あろうことか音楽に没頭し降車駅を通り過ぎてしまうことに。

それほどにこの作品、奥深さを湛えている、時を置いてじっくりと聴いてみることで、また違った世界が見えて来る面白さ、今回はそのことをいたく痛感させられることになりました。


DSCN0435m.JPG



Track listing(LP Vesion)

All tracks written by Keith Jarrett.
Side one
1. "Bremen, July 12, 1973 Part I"

Side two
1. "Bremen, July 12, 1973 Part IIa"

Side three
1. "Bremen, July 12, 1973 Part IIb"

Side four
1. "Lausanne, March 20, 1973 Part Ia"

Side five
1. "Lausanne, March 20, 1973 Part Ib"
2. "Lausanne, March 20, 1973 Part IIa"

Side six
1. "Lausanne, March 20, 1973 Part IIb


Personnel Keith Jarrett – piano

Recorded
March 20 & July 12, 1973



この記事を書き終えたその後に、ジャズ喫茶を営みつつジャズ評論家として活躍しているG氏の本を一見したのですけど、新たにジャズを愛し聴く人を育てることに日夜奮闘している由。
確かに、ジャズという音楽、なかなかとっつきにくいとの印象を持っている方が多いように思いますが、このKeithの演奏で私が語った通り、時を越えて聴けばまた新しい側面が見えて来る。

クラシックにもこうした面白さがあるのですけど、ジャズの場合、その核となっているのは即興演奏。
それは、その時その場所での演奏家が置かれていた環境により、その内容・出来は大きく異なってくるもの。

そうしたことを、思いながら聴くとその音楽の秘められた、さらに異なった世界を知ることになる、それはジャズでしか体験できないものだと思うのです。

この記事を書きながら、そうしたことを多く体験したこの作品、これを聴いて、多くの方がジャズの深淵たる世界に目を開いてくれればと、拙いながらもそのことを願いたく思いました。



nice!(18)  コメント(2) 
共通テーマ:PLAYLOG

nice! 18

コメント 2

yuzman1953

老年蛇銘多親父さん、こんばんは。
今日は仕事が休みでしたので、じっくり鑑賞させていただきました。ジャズに疎い私ですが、キース・ジャレットの名前は知ってました。紹介された二曲でキース・ジャレットを初めて聴いたのですが、交響曲のように物語性があり、美しいピアノの旋律に癒されました。三度聴きましたが、何度でも聴きたくなります。これが即興なのですから、ジャズは奥深いですね。
by yuzman1953 (2019-02-28 00:58) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

yuzmanさん

大変お気に召した由、うれしく思います。

私も、この作品を初めて聴いたとき、それまでのKeith のトリオやカルテットの演奏とは違ったクラシカルな旋律の美しさを感じ、さらにKeithの音世界に嵌ってしまったという思い出があり、また別の機会に、私お気に入りのKeithの作品を紹介できればと思いました。







by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2019-02-28 10:16) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント