令和の曙に見つけた、平成のJazz・Live事始め (平成Live映像 発掘記) 本日の作品;vol.143 [デジタル化格闘記]
平成から令和への改元を迎え、多くの人が10連休の恩恵に預かった今年のゴールデン・ウィーク。
私も、中1日の出勤はあったものの、珍しく9日間の休みをとることが出来たのですが、仕事柄、元来、平日に数日間の休みを取らなければならなく身、そうしたことから、こうした時期、どこへ行っても人ばかりでわざわざ疲れに行くようなもの、こんな時あえて人ごみの中に出掛けることはない、また人の少ない平日に行けばいいと、実家に行き、亡くなった父の遺品の片付けをすることにしたのです。
そうしたところ、出て来たのが古いVHSビデオテープ・デッキ。
ちゃんと動くのかと状態を見たところ、どうやら問題はなさそう、我が家のデッキは壊れてしまったしということで、家に持ち帰りさっそく、我が家のAV機器と接続、仕舞ってあったビデオ・テープの中から手に触れたものを内容も確認せずに取り出し視聴したところ、綺麗に再生できたことに一安心、ところが、そのビデオの収められていた映像、それを良く見てみたところ、そこに収録されていた内容にビックリ!!
なんと、それは、当時富士山の麓にある山中湖の湖畔で毎年8月に行われていたマウント・富士 ジャズフェステバル、それの1989年(平成元年)開催の映像だったのです。
このフェスティバル、1986年に始まり、ジャズの名門レコード・レーベルBlue Noteレコードに所縁のアーティストによるジャズの祭典として2004年まで続いていたものなのですが、よりにもよって平成から令和に変わったばかりの5月の1日に今から30年も前の平成元年の映像が出てくるとなんて!!!。
ましては、1989年のこのフェスティバルは、Blue Noteレコード創業50周年を記念するとういう一つ時代の区切りなるものだったというのです。
改元の偶然だけでなくジャズ史の面からも貴重と思えるこの代物との唐突ともいえるその出会いに、ただの奇遇とは言い切れない何か運命的必然性が宿っているように思え、これは何としてデジタル化し残さねばならないと、それまでやっていた自宅に持ち込んだ荷物の片付けもそっちのけにして、さっそくその作業にかかることにしたのです。
そして作業完了、大いなる期待を胸に視聴してまず感じたのは、このフェスティバルに出演したアーティストの顔ぶれの豪華絢爛さ。
Chick CoreaやGeorge Adams、Ralph Peterson等といった、ちょうどこの時期に制作したスタジオ・レコーディング作品が高い評価を受け、時代の潮流として活躍脚光を浴びていたアーティストの面々が日本の誇る美しい富士山麓の自然の下に、集結したと言ってもいいほどの凄さ。
忙しくスケジュールを合せることがかなり難しいと思われる面々が万障繰り合わせ、遠く離れたこの極東の地に集結していたということにまず驚き、ここで彼等がいかなるプレーを繰り広げたのかそのことに大いに興味をそそられて、全編を腰を据えこの30年前の饗宴の鑑賞することにしたのです。
そして視聴の結果は!!
さすが名だたるアーティストの饗宴、レコード・CDには残されていないアーティストの顔合わせによる演奏やこのフェスティバルでの再会を喜ぶその様子などが見られるなどその内容の豊富さ、そして演奏自体の質の高さに釘付けの状態となり、あっという間の2時間を過ごすことになってしまったのでした。
とにかく、どのアーティストの演奏も、この時期高い評価を受けていたスタジオ作品の出来を凌ぐ良質なものだったと感じたのがその感想、これは一人だけで楽しむだけではもったいない。
やはり、これは多くの人に見ていただかねばと考え、デジタル化作業に加え今回はそのLive映像の一部をUpすることいたしました。
最初の演奏は、親日家でも知られ、このフェスティバルにも、1989年までに開催された4回のうち3回に来日出演をしていた、40年の長き渡りジャズを牽引し多くの有能プレヤーを世に送り出してきたジャズ界の大御所的存在となっていたドラマーのArt Bleakyの演奏から、ご覧いたくことにいたしましょう。
曲は、Bleakyといえば”Mornin'”思い浮かべる方も多いかと思いますけど、フェスティバルと言えば欠かせない、それに並ぶ彼の名曲!!
”Blues March”からお聴きいただくことにいたしましょう。
御年70歳を迎えたArt Bleakyと彼のThe Jazz Messengersの演奏。
まったく衰え見せないBleakyの姿が、印象的です。
ところがその元気一杯のBleaky、実は、この演奏の翌年の10月に肺がんためこの世を去っているのです。
ということは、この映像はBleakyの最晩年を捉えたものということ。
そこで、Bleakyのディスコグラフィーを調べてみたところ、この時の演奏の記録の記載はなく、そうしたことから、これは生前のBleakyのLiveを収めた最後の映像だという可能性のある、極めて貴重なものであるらしということが分かったのです。
そしてさらには、そこでJazz Messengersのメンバーとして演奏しているアーティストの顔ぶれ。
Bleakyの70歳を祝い70Th Anniversary Messengers と名付けられたその名の通り、この当時のオリジナル・メンバーはトロンボーンのRobin Eubanksだけで、他は、トランペットTerence Blanchard、アルト・サックスBobby Watson、ピアノMulgrew Millerという、70年代後半から80年代中葉の後期Jazz Messengersの黄金時代を築き、その後の90年代以降のJazz界を支えて行ったアーティスト達を配した、強力かつこの日だけのスペシャルな布陣が取られていたのです。
ここ数年私は、ちょうど後期黄金期のMessengersの演奏や、上記3人のスペシャル・メンバーの作品を探し良く聴いてきたのですが、それと比べ、この日の彼らのプレーは、彼らを世に知らしめた恩師 Bleaky御大の生誕70年を心から祝い、彼ら自身のリーダー作品や出演作品でのプレー以上の力のこもった好プレーを展開している様子が強く感じられ、またその熱演を受けて冴えわたる、余命後1年と思えぬ Bleakyの力強いプレーを見て、これは、Bleaky最晩年の名演に一つなのではと思うようになってしまったのです。
そして お次は........
まずは、オープニングのArt Bleaky&The Jazz Messengersの演奏で気を良くし勢いに乗ったところで、次に私の目を引いたのがこの演奏。
それは、ピアノトリオの演奏なのですが、四の五の言わず、まずはご視聴願うことにいたしょう。
Chick Corea Acoustic bandの演奏で曲は、”Sophisticated Lady”です。
Chick CoreaのAcoustic Bandとは、1985年にChickがベースのJohn PatitucciとドラムのDave Weckl という二人の若手アーティストを従え結成したElektric Bandに端を発し、その後こ3人そろって楽器をエレクトリックからアコースティックに持ち替え、ジャズのスタンダード・ナンバーなどを演奏したバンドなのですが、このフェスティバルの開催された1989年が初お目見え。
しかし、私としては、Elektric Band時代より彼らの凄さは巷の評判で知ってはいたのですが、過去にChickが率いたロック指向が強いエレクトリック・サウンドの忌まわしい記憶が心に残っていて、このElektric楽器を使用したElektric Bandについても聴く気にもせず、彼等に対しては注目することもないままでいたのです。
そんな時、出会ったのがこのアコースティク楽器に持ち替えた彼らのライブ映像。
どうせ、間借りものようなサウンドしか聴かせ得ないだろうと思いながら、さして期待もせずこの映像を見たのですが、演奏を見てこちらもビックリ。
Chickのアコースティック・ピアノの美しさは、思い描いていた通りのものだったのですが、予想だにもせず驚かされたのはPatitucciのウッド・ベースのプレイ。
ウッドらしい美しい音色を保ちながら、凄まじいテクニックでピアノ・トリオの世界をそれだけの世界とどまらないさらにスケールの大きなものとする役割を担っていた。
私にとって、この映像は彼らに対する認識を新たにした思い出深いもの、あれから早30年もが過ぎたのかと
そのことを思い出しながら、楽しまさせていただきました。
それにしても、この映像の初めの山中湖湖畔の風景のバックに流れ出たChickのピアノ美しさは、感無量でした。
そして、次は、この演奏を外しては終われないと思ったこの映像をもう一つ。
それは、
この時代、新進ドラマーとして注目を浴び、スタジオ作品”V"で高い評価を得ていたRalph Peterson。
そのカルテットに、日本を代表するトランぺッター日野皓正が参加した映像がありましたので、引き続きそれをご覧に入れようかと思います。
曲は、”Some Day My Prince Will Come”です。
スタンダード・ナンバーを演奏する日野。70年代はフュージョンにシフトしていた彼でしたが、80年代に入りオーソドックスな路線に戻ってきたその演奏、とある評論家の方が彼のプレイについて、「日野皓正は単なるトランペッターである以上に音楽家だ。」と語っていた、その言葉の意味が良くわかる演奏でなかったかと思います。
さて、新時代を迎えところで偶然にも見つけた珠玉の映像。
まだあったはずと、これを機に再度物色してみたところ、またいくつかを探し当てることが出来ました。
という訳で、次回もまたその映像、またデジタル化編集してご覧に入れことにしたいと思います。
それにしても新時代を迎えるや否やちょっとしたお宝を発掘なんて、そして、それに続いてまた新たな発掘の成果とは、私にとって令和という時代、なにか良い時代となりそうな、そんな気がして来ました。
私も、中1日の出勤はあったものの、珍しく9日間の休みをとることが出来たのですが、仕事柄、元来、平日に数日間の休みを取らなければならなく身、そうしたことから、こうした時期、どこへ行っても人ばかりでわざわざ疲れに行くようなもの、こんな時あえて人ごみの中に出掛けることはない、また人の少ない平日に行けばいいと、実家に行き、亡くなった父の遺品の片付けをすることにしたのです。
そうしたところ、出て来たのが古いVHSビデオテープ・デッキ。
ちゃんと動くのかと状態を見たところ、どうやら問題はなさそう、我が家のデッキは壊れてしまったしということで、家に持ち帰りさっそく、我が家のAV機器と接続、仕舞ってあったビデオ・テープの中から手に触れたものを内容も確認せずに取り出し視聴したところ、綺麗に再生できたことに一安心、ところが、そのビデオの収められていた映像、それを良く見てみたところ、そこに収録されていた内容にビックリ!!
なんと、それは、当時富士山の麓にある山中湖の湖畔で毎年8月に行われていたマウント・富士 ジャズフェステバル、それの1989年(平成元年)開催の映像だったのです。
このフェスティバル、1986年に始まり、ジャズの名門レコード・レーベルBlue Noteレコードに所縁のアーティストによるジャズの祭典として2004年まで続いていたものなのですが、よりにもよって平成から令和に変わったばかりの5月の1日に今から30年も前の平成元年の映像が出てくるとなんて!!!。
ましては、1989年のこのフェスティバルは、Blue Noteレコード創業50周年を記念するとういう一つ時代の区切りなるものだったというのです。
改元の偶然だけでなくジャズ史の面からも貴重と思えるこの代物との唐突ともいえるその出会いに、ただの奇遇とは言い切れない何か運命的必然性が宿っているように思え、これは何としてデジタル化し残さねばならないと、それまでやっていた自宅に持ち込んだ荷物の片付けもそっちのけにして、さっそくその作業にかかることにしたのです。
そして作業完了、大いなる期待を胸に視聴してまず感じたのは、このフェスティバルに出演したアーティストの顔ぶれの豪華絢爛さ。
Chick CoreaやGeorge Adams、Ralph Peterson等といった、ちょうどこの時期に制作したスタジオ・レコーディング作品が高い評価を受け、時代の潮流として活躍脚光を浴びていたアーティストの面々が日本の誇る美しい富士山麓の自然の下に、集結したと言ってもいいほどの凄さ。
忙しくスケジュールを合せることがかなり難しいと思われる面々が万障繰り合わせ、遠く離れたこの極東の地に集結していたということにまず驚き、ここで彼等がいかなるプレーを繰り広げたのかそのことに大いに興味をそそられて、全編を腰を据えこの30年前の饗宴の鑑賞することにしたのです。
そして視聴の結果は!!
さすが名だたるアーティストの饗宴、レコード・CDには残されていないアーティストの顔合わせによる演奏やこのフェスティバルでの再会を喜ぶその様子などが見られるなどその内容の豊富さ、そして演奏自体の質の高さに釘付けの状態となり、あっという間の2時間を過ごすことになってしまったのでした。
とにかく、どのアーティストの演奏も、この時期高い評価を受けていたスタジオ作品の出来を凌ぐ良質なものだったと感じたのがその感想、これは一人だけで楽しむだけではもったいない。
やはり、これは多くの人に見ていただかねばと考え、デジタル化作業に加え今回はそのLive映像の一部をUpすることいたしました。
最初の演奏は、親日家でも知られ、このフェスティバルにも、1989年までに開催された4回のうち3回に来日出演をしていた、40年の長き渡りジャズを牽引し多くの有能プレヤーを世に送り出してきたジャズ界の大御所的存在となっていたドラマーのArt Bleakyの演奏から、ご覧いたくことにいたしましょう。
曲は、Bleakyといえば”Mornin'”思い浮かべる方も多いかと思いますけど、フェスティバルと言えば欠かせない、それに並ぶ彼の名曲!!
”Blues March”からお聴きいただくことにいたしましょう。
御年70歳を迎えたArt Bleakyと彼のThe Jazz Messengersの演奏。
まったく衰え見せないBleakyの姿が、印象的です。
ところがその元気一杯のBleaky、実は、この演奏の翌年の10月に肺がんためこの世を去っているのです。
ということは、この映像はBleakyの最晩年を捉えたものということ。
そこで、Bleakyのディスコグラフィーを調べてみたところ、この時の演奏の記録の記載はなく、そうしたことから、これは生前のBleakyのLiveを収めた最後の映像だという可能性のある、極めて貴重なものであるらしということが分かったのです。
そしてさらには、そこでJazz Messengersのメンバーとして演奏しているアーティストの顔ぶれ。
Bleakyの70歳を祝い70Th Anniversary Messengers と名付けられたその名の通り、この当時のオリジナル・メンバーはトロンボーンのRobin Eubanksだけで、他は、トランペットTerence Blanchard、アルト・サックスBobby Watson、ピアノMulgrew Millerという、70年代後半から80年代中葉の後期Jazz Messengersの黄金時代を築き、その後の90年代以降のJazz界を支えて行ったアーティスト達を配した、強力かつこの日だけのスペシャルな布陣が取られていたのです。
ここ数年私は、ちょうど後期黄金期のMessengersの演奏や、上記3人のスペシャル・メンバーの作品を探し良く聴いてきたのですが、それと比べ、この日の彼らのプレーは、彼らを世に知らしめた恩師 Bleaky御大の生誕70年を心から祝い、彼ら自身のリーダー作品や出演作品でのプレー以上の力のこもった好プレーを展開している様子が強く感じられ、またその熱演を受けて冴えわたる、余命後1年と思えぬ Bleakyの力強いプレーを見て、これは、Bleaky最晩年の名演に一つなのではと思うようになってしまったのです。
そして お次は........
まずは、オープニングのArt Bleaky&The Jazz Messengersの演奏で気を良くし勢いに乗ったところで、次に私の目を引いたのがこの演奏。
それは、ピアノトリオの演奏なのですが、四の五の言わず、まずはご視聴願うことにいたしょう。
Chick Corea Acoustic bandの演奏で曲は、”Sophisticated Lady”です。
Chick CoreaのAcoustic Bandとは、1985年にChickがベースのJohn PatitucciとドラムのDave Weckl という二人の若手アーティストを従え結成したElektric Bandに端を発し、その後こ3人そろって楽器をエレクトリックからアコースティックに持ち替え、ジャズのスタンダード・ナンバーなどを演奏したバンドなのですが、このフェスティバルの開催された1989年が初お目見え。
しかし、私としては、Elektric Band時代より彼らの凄さは巷の評判で知ってはいたのですが、過去にChickが率いたロック指向が強いエレクトリック・サウンドの忌まわしい記憶が心に残っていて、このElektric楽器を使用したElektric Bandについても聴く気にもせず、彼等に対しては注目することもないままでいたのです。
そんな時、出会ったのがこのアコースティク楽器に持ち替えた彼らのライブ映像。
どうせ、間借りものようなサウンドしか聴かせ得ないだろうと思いながら、さして期待もせずこの映像を見たのですが、演奏を見てこちらもビックリ。
Chickのアコースティック・ピアノの美しさは、思い描いていた通りのものだったのですが、予想だにもせず驚かされたのはPatitucciのウッド・ベースのプレイ。
ウッドらしい美しい音色を保ちながら、凄まじいテクニックでピアノ・トリオの世界をそれだけの世界とどまらないさらにスケールの大きなものとする役割を担っていた。
私にとって、この映像は彼らに対する認識を新たにした思い出深いもの、あれから早30年もが過ぎたのかと
そのことを思い出しながら、楽しまさせていただきました。
それにしても、この映像の初めの山中湖湖畔の風景のバックに流れ出たChickのピアノ美しさは、感無量でした。
そして、次は、この演奏を外しては終われないと思ったこの映像をもう一つ。
それは、
この時代、新進ドラマーとして注目を浴び、スタジオ作品”V"で高い評価を得ていたRalph Peterson。
そのカルテットに、日本を代表するトランぺッター日野皓正が参加した映像がありましたので、引き続きそれをご覧に入れようかと思います。
曲は、”Some Day My Prince Will Come”です。
スタンダード・ナンバーを演奏する日野。70年代はフュージョンにシフトしていた彼でしたが、80年代に入りオーソドックスな路線に戻ってきたその演奏、とある評論家の方が彼のプレイについて、「日野皓正は単なるトランペッターである以上に音楽家だ。」と語っていた、その言葉の意味が良くわかる演奏でなかったかと思います。
さて、新時代を迎えところで偶然にも見つけた珠玉の映像。
まだあったはずと、これを機に再度物色してみたところ、またいくつかを探し当てることが出来ました。
という訳で、次回もまたその映像、またデジタル化編集してご覧に入れことにしたいと思います。
それにしても新時代を迎えるや否やちょっとしたお宝を発掘なんて、そして、それに続いてまた新たな発掘の成果とは、私にとって令和という時代、なにか良い時代となりそうな、そんな気がして来ました。
老年蛇銘多親父さん、こんにちは。
古いVHSビデオテープがノイズもなく再生できたのは奇跡ですね。管理がしっかりしていたのでしょう。
私はベータとVHSのデッキを処分できずに持っていますが、テープが全部駄目になっています。
by yuzman1953 (2019-05-16 14:39)
あの時代は、日本でも良い演奏を聴けていたのですね。やはり昔はいい時代だなあと思います。
そして、映像が乱れてないですね。
貴重なお宝映像をありがとうございます!
art blakeyの最晩年の演奏を聴けて嬉しいです。
by ハンコック (2019-05-17 07:11)
yuzman1953さん
実は私も、最初はもう映らないだろうと半ばあきらめ気味でテープをセットしたのですけどね。
そうしたら結構きれいな画像が出て来て、その上画像の乱れも多少でとどまっていたのですから、我ながらビックリしてしまったというのが真相なんです。
大げさかもしれませんが、このこと令和がもたらした奇跡なのではと、思っている次第。
これに気を良くして、そのあと他のテープも検証しているのですが、結構いい状態で残っているものが出て来ているので、デジタル化し暫時またご紹介できればと思っています。
by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2019-05-18 17:02)
ハンコックさん
Art Blakeyの最晩年の演奏を見つけた時は、私もかなり心が躍りました。
今、このほかのビデオも検証し、結構いい演奏が出て来ていますので、また引き続き編集しご覧に入れたいと考えています。
by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2019-05-18 17:07)
老年蛇銘多親父さんコメントありがとうございます(*^_^*)
私は、通算で正味20年位神田(内神田=旧神田鎌倉町)の職場に通っていました。在職中(土曜出勤制の時)は、神幸祭などを、職場の窓から眺めていました。女子社員はブログにアップした「内神田鎌倉町町会」の神輿の担ぎ手でかりだされたりしていました。
今も、なんだカンダで、月に1~2度は神田に行きます。第2の地元みたいなところです。
by きたろう (2019-05-24 10:43)