昭和~平成!! 音楽の祭典 花盛り☆ 本日の作品;vol.145    [デジタル化格闘記]

ここまで、2回にわたり我家のビデオ・ライブラリーから発掘した平成始まりの頃のジャズのライブ映像をご紹介して来ましたが、今回も引き続きその発掘映像から。

1回目、2回目と結構お宝ともいえるLive映像を見つけることが出来、さらに柳の下には何かあるのではと続けていろいろあさってみたところ、気付かされたのは昭和の終わりから平成の初めに開催されていたジャズ・フェスティバルの数の多さ。

見つけ出したビデオを見てみると、その開催地は都市圏だけに及ばず、特に夏には高原や海浜などの全国のリゾート地など全国至る所で開催されていた状況が見えて来たのです。

今更ながらであはるものの、ずいぶん多くのジャズ・フェスが開かれていたのだなと驚き、あの時代の社会情勢を思い返してみると、時は日本全土が未曾有の好景気に湧いたバブルの時代。

音楽界もそうしたバブルの波に乗って全国津々浦々お祭り騒ぎが繰り広げられた結果、こうしたことになったのかなと考え、どこかにその残映が写っていないかと、もう一度それらフェスティバルの映像を見てみると、これこそ正にと思しきものを見つけたのです。



それがこの写真!!

Tsumura Summer Jazz '90 Stage View.jpg


いかがですか
見ていただき、このステージ、ちょと妙な所があるのわかりますか?





そう、ステージの両袖に設けられている大きな広告看板のようなもの!!
通常のライブでは、このようなものありませんよね。

そして、その看板、よく見てみると何かマークと”ツムラ”という文字が書かれています。
お察しの良い方は、もうお分かりかと思いますが、
これは...................、


バスクリンで有名な漢方薬品メーカーの”ツムラ”の社章と社名ロゴ。
それにしても、薬品メーカーとジャズ、あまり縁がなさそうな、ちょっとその結びつき、思い浮かないですよね。

そこで、その訳。
それは、この映像の中にあるのですけど.....



これは、1990年の夏に開催された、Tsumura Summer Jazzの、オープニングでの”ツムラ・イリュージョン・バンド”の演奏映像です。

さて、このバンドと”ツムラ”との関係、そのヒントは映像の中でのメンバー紹介にあるのですが、

そうです、紹介されたメンバーの一人、バンジョーを弾いていた方、
津村昭という名で紹介されていましたよね。

実はこの津村昭氏、”㈱ツムラ”の創業者一族の一人でこの時期の”㈱ツムラ”の3代目社長を勤めていた方なのです。

そこで調べてみると、
この頃の”㈱ツムラ”、多角化の一環としてフジサンケイグループが主催したサーカス等のイベントに協賛、「ツムライリュージョン」という名称で興行が行っていなっていたというのです。

そうしたことから、最初”ツムラ・イリュージョン・バンド”を名を見た時は「どうせ社長かなんかの道楽だろう!」とたかをくくってその演奏を見始めたのですが、見進んでいくうちに驚いたことにこのバンド、そこに参加しているアーティストの顔ぶれの凄さ!!!!
クラリネットの北村英治と藤家虹二、トロンボーン 薗田憲一、テナー・サックス 松本英彦、ピアノ 前田憲夫、ドラム ジョー川口等、当時の名高い日本の超一流どころが顔をそろえていたのです。

これだけのアーティストが一堂に会し一緒に演奏するなどというのは、なかなか珍しい出来事。

これは、かなりの本気モード、となれば津村氏のバンジョーもと思い、そちらにもじっど耳を傾け聴いてみると、これまたなかなかの腕前のよう。

となれば、この後に続く出演者の顔ぶれもかなり期待できそう、こうした多くのアーティスト集うフェスティバルでは、レコーディングや一人のアーティストの単独コンサートではお目にかかれない、珍しい顔合わせによる演奏が見れるものと、引き続き見て行くと。

そこで出会ったのがその珍しい顔合わせ、それもかなり珍しい貴重なもの。
それは、そのアーティストが好きで彼らのディスコグラフィを度々チェックしていた私も、ここで初めてこの二人が一緒に演奏をしているのを見、聴いたもの。

ということで、その超珍しい顔合わせによるピアノ・カルテットの演奏、引き続きご覧いただくことにいたしましょう。








一般的なピアノ・トリオにもう1台のピアノが加わった、ピアノ・カルテットというかなり珍しい編成による演奏。

そして、そのピアノをプレイする二人にピアニストは、ともに50年代のバップ期に登場活躍し、その後60年代のモーダル・ジャズや70年代のフュージョンの波に呑まれ乗ることもなく、70年代半ば以降50年代バップの心を灯しつつ伝統的なジャズの姿を甦らせたHank JonesとKenny Drew。

この時期、活動の本拠をアメリカに置くHankと、デンマークに拠点を移していたDrewが、同じフェスティバルに出演するということ自体が珍しいはずなのに、ここでは共演、ましてはベースとドラムを従えたピアノ・カルテットという編成でしているということ、これはかなり貴重な演奏映像ではないかと思うのです。

演奏した曲はあの有名な、デューク・エリントンの名曲”Take The "A" Trane”。
バップの期に名を残した二人の微妙なピアノ・タッチの違い、お楽しみいただけたけだしょうか。
こうした思いもよらない顔合わせによるスウィング感溢れるこの演奏、これこそまさに、ジャズならではの醍醐味じゃないかと思います。


そして続いては、

冒頭のデキシー・ジャズ系の演奏ではなく、日本のモダン・ジャズを支え、さらには日本歌謡界発展にも寄与したて来た日本人ベテラン・プレヤーの、これまた豪華の顔合わせによる演奏です。

こちらも、30年たった今ではもう見ること出来ない貴重な記録ともいうべきものなのですか、この時期の日本人プレヤーのレベル高さを垣間見ることが出来るものとして、是非ともご覧いただきたく思います。

曲は”Work Song"です。



ドラムのジョージ川口が率いるNew Big ”Four"にスリーピーことテナー・サックスの松本英彦が客演した演奏です。

さて、この演奏の核となるジョージ川口と松本英彦、この二人は、戦後米軍キャンプで活動を開始し、1950年代に現在の渡辺プロダクションの創始者であり当時ベーシストであった渡辺晋や”こんにちわ赤ちゃん”や”上を向いて歩こう”などの作曲者として知られるピアニストの中村八大らと共に、日本ジャズ黎明期、その発展に大きく寄与したアーティストなのです。

この日本ジャズの重鎮ともいえる二人が、この時期中堅どころとして活躍していた20近くも年下の中村誠一(テナー・サックス)市川秀男(ピアノ)、水橋孝(ベース)ら戦後育ちのアーティストに混じって、老いてなお磨きが掛かった瑞々しく若々しいプレーが味わえる、大変興味深い映像だったと思います。



とまあ、ざっと見ていただいて漢方薬品メーカー・ツムラ協賛のこのジャズの祭典、ここまで登場した顔ぶれを見ても音楽とは無縁と思える企業協賛のジャズ・フェスティバルとしては、かなり充実した内容だったのでと思います。
そして、さらにこのフェスティバルのトリに、当時高い人気を誇り絶頂期にあったDavid Matthews率いるManhattan Jazz Quintetをもって来ているあたり、単なる社長さんの道楽と片づけてしまうことは出来ないものがあると感じました。

そこで、これだけのイベントを張ったツムラ、その後はどうなったのか思い調べてみると、バブルの崩壊以降は多角化の一環として手掛けたこの興行関連事業をはじめ他の事業も、ことごとく赤字にとなり経営悪化、社長の津村昭氏も1995年にその座を追われ退任となったとあるのです。

そのことから、このジャズの饗宴は、バブルの仇花が生んだ一夜の夢だったのだと考えつつ、しかし、音楽(ジャズ)の視点から見れば、それはその内容の面白さから貴重な財産と言えるものだったと思え、仇花とはこうした貴重もの後世に残してくれたこと、一ファンとしては大変有り難く感じたのでした。


さて、トリの演目である現代をリードする若手二人が加わったManhattan Jazz Quintetの演奏も、見どころ満載なのですが、この演奏については、バブル期に出会った別の異色のジャズ関連映像と合せ、また別の機会にご紹介させていただこうと思っていますので、乞うご期待。

今回は、この辺でお開きとさせていただこうと思います。







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きたろう

大変おそくなりましたが、おかね塚(下)昨日アップしました。どうぞ、ご覧ください<m(__)m>

(松本英彦のライブのVHStテープ持っています。多分押し入れの奥の方に存在(捨ててはいないはず))。
by きたろう (2019-07-12 10:26) 

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