50年代を席巻したピアニスト、その後の変遷を聴く [音源発掘]

ここところ、日頃の忙しさにかまけ、月1回の更新となってしまっていた当ブログ。
これままでは、遺憾!!、このまま放置すれば気力も失せ早晩消滅の憂き目となってしまうと、少々焦りを感じていたのですが。

しかし、月は8月、考えてみればはお盆の休みもあることだし、ならば、ここでひと踏ん張りしてと奮起して、ようやく当月2回目更新へと筆を執ることにした今回の記事。


紆余曲折を経て取り上げることにしたその話題は、いつもの音楽ネタではあるものの、ただの作品紹介ではなく、1950年代活躍したとあるジャズ・ピアニストの新旧作品を聴き比べその変遷をたどりながら、それぞれの時代のプレーを聴き比べてみようという趣向。

そうして選んだピアニストは、Red Garland。
それでは、早速Garland、その経歴とあわせその変遷を聴き比べてみることにいたしましょう。



Garlandというアーティストが、大きくジャズシーンに取り上げられるようになったのは、1950年代半ば、1940年代のビ・バップ衰退以後 ジャズの中心はアメリカ西海岸へと移ってしまっていた中、再びその覇権をが東海岸へと取り戻すべき、Art Blakey、Clifford Brown、Max Roach、Miles Davis等が新時代のジャズであるハード・バップを掲げ活動を開始した頃、Milesが自己の新しいQuintetのピアニストとして彼を起用しことに始まります。

そして、その後Garlandは、そのリズムセクションの一員としてPaul Chambers(b),Philly Joe Jones(ds)と共に活躍、このQuintetを時代の頂点へ導くに大いなる貢献を果たすことになるなのです。


また、その当時のこのトリオは、MilesのQuntetの人気と共に、ピアノ・トリオとしてだけでもかなりの人気を博していたようで、人々をしてオールアメリカンリズムセクションと呼ばしめたほどだったというのです。

しかし、そうした成功も2年余り続くと、今度は1957年以降Milesが、新しいジャズを求めてGil Evansとの共同作業を開始すると、それによりバンドの活動は低迷、ついに1958年3月のレコーディング最後にGarlandもMilesと袂を別ち独自の道を歩むことになるのです。

そして、迎えた1960年代、ジャズの世界もこれまでのハード・バップからモーダル・ジャズの時代となり、そこに加え新たに台頭してきたロックの影響により、それまでのジャズは衰退。50年代をけん引して来た多くのミュージシャンがその活路を求めヨーロッパに拠点を移す中、Garland自身はアメリカに残り活動を続けていたのですが、1962年、その彼も新時代の波には贖えず、とうとう引退への道を歩むことになってしまyったのです。


それから10年。
そのGariandが、復帰したのは1970年代半ばの事。
この時期のジャズは、Chick CoreaやWeather Reportなどの登場によってロックなどのエッセンスを吸収した新しい時代のアーティストによって再び隆盛を取り戻しつつあったのですが、それと共に50年代往年のピアニストたちも続々と復帰、Hank JoensやTommy Flanagan、Kenny Drewなどがいち早く作品を発表して大いなる脚光を浴びていたのです。

そして、50年代のピアノといえばやはりこのGarland、一体Galandはどうしているのだろうか思われようになった中、1975年、待望の彼の復帰作がやっとのことで世に出てきたのです。

それが、この作品!!

Auf Wiedersehen red garland.jpg


ピアニストのOscar Petersonを擁し、数々の彼の名作を世に送り出したドイツのジャズ・レーベルMPSより発表された”Auf Wiedersehen”です。

私もこの作品が発表された時は大いに期待したのですけど、まずはと思い自分で聴くより先に、日頃Red Gariand ”いのち” と自ら称すほどGariandファンの友人のところに行きその評価を求めたのですけど................


帰ってきた答えは...................

そのことをお話しする前に、この作品から、まずはDizzy Gillespieの名曲”A Night In Tunisia”をお聴きいただき、その答えを探っていただくことにいたしましょう。



と聴いていただいたところで、その言葉、それはGarlandの過去の演奏に起因していたということで、ここでもう一曲。

ならば引退前の演奏も聴き比べてみなければということで、次にお聴きいただくのは、Gariandの引退前の年である1961年制作の作品、”Bright And Breezy”から

Bright_&_Breezy.jpg


これまた、ジャズの有名なスタンダード・ナンバーの”On Green Dolphin Street”、この両者をお聴き比べいただき、さらにその答え探っていただくことにいたしましょう。







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70年代に蘇ったCharlie Parkerの心;渡辺 貞夫 with The Great Jazz Trio/Bird of Paradise [音源発掘]

例年に増して著しく早く明けた今年の梅雨。
そして、その梅雨が明けたと思えばいきなり夏全開の超暑い日が続いた思ったら、これまでの台風とは異なり日本列島を東から西へ逆走する台風12号の襲来。
そして、はたまた13号が!!!

体が慣れる間もなく容赦なく照りつける真夏の太陽に、もう辟易といった方も多いのではと思いますが。

今回は、その暑さに対抗してはたまた暑いジャズのお話。

前々回の記事「天才ドラマーを支えたピアニスト」で取り上げたドラムのTony Williamsについて、

1977年の渡辺貞夫と当時Tonyも在籍したHank Jonesのピアノ・トリオ・The Great Jazz Trioによる、全曲モダン・ジャズの父とも言われる”Charlie Parker” に因んだ楽曲を収録した演奏作品、 ”Bird Of Paradise”の収録時のこと、1945年生まれでParkerの全盛期にまだ幼かったTonyは、Parker の曲を全く知らなかったのにも拘らず、Tonyのとにかく1回聴かせてくれという要望に応え演奏し聴かせたところ、一発でその曲を覚えてしまい、次の演奏で完璧なドラム・プレイで収録を熟してしまった。 


という彼の伝説の一齣をご紹介させていただきましが、実は、このことを書き始めた途端にその昔よく親しみ聴いた、かの作品を聴きたくなり、そこでさっそくアルバムをGetに走り、久々に聴きなおしてみたところ、当時は、気づくことの出来なかった新たな強いインパクトを受けてしまったのです。

そして聴くほどに、次の記事で取り上げるのは、この作品をおいて他にはにないと思うようになってしまったことから今回は、その作品を取り上げ語ることにいたしました。

その作品のジャケットがこちら!!

渡辺貞夫 bird of paradise.jpg


そもそもこの作品、私が初めて聴いたのは、この作品がリリースされる2年ほど前の1977年初夏のこと。
当時、毎週FM東京で放送されていた、渡辺 貞夫が都度来日した海外アーティストを迎えての共演や、一つのテーマに基づき取り上げた楽曲を自己のカルテットで演奏収録し聴かせていた番組、”渡辺 貞夫マイ・ディア・ライフ” でだったのですけど、この時期の渡辺 貞夫というと、この作品の収録直前、Lee Ritenourや、Dave Grusinとの初共演よるフュージョン作品”MY DEAR LIFE”を収録を終え 貞夫フュージョン時代の扉を開いたばかりの頃で、私自身、ナベサダによるオーソドックスなジャスの新作は、しばらくの間 耳にすることは出来ないのではと思っていた頃なのです。

そうした時に、”Charlie Parker” に因んだ楽曲ばかりを演奏、それをFMで放送するという朗報。
しかも、その共演者は、この作品の前の年に発表され、大好評を博した作品 ”I'm Old Fashioned” で共演したThe Great Jazz Trioだと知り、これは絶対に聴き逃すことは出来ない、それに加えこの演奏、即座にレコード化されリリースされることはないだろうと考え、エア・チェックの準備を整えその放送開始を待つことにしたのです。


そうして向かえた放送当日、仕掛けておいたテープ・レコーダーの稼動を確かめて、即その放送に聴き入ると、番組進行DJによるこの日のセッションの簡単な紹介の後、聴こえて来たのは紛れもなくあの懐かしいビ・バップの空気に包まれた熱いジャズ・サウンド。
Parkerを師と仰ぐ渡辺 貞夫のアルトも、ビ・バップの時代よりジャズの世界に君臨するHank Jonesと、またこの時は、まだ若きRon Cater、Tony Williamsという、今こそ現代を代表する名手と呼ばれる二人のバックを得、その気高き師に迫りくる白熱のプレーを繰り広げていたのです。
けどまた、そうした演奏の間に間に放送では、いくつかのこのセッションのエピソードが紹介されていたのですが、実は、冒頭に御紹介したTony Williamsの伝説譚も、この番組の中で語られていたものの一つだったのです。

さて、そのTony Williamsのドラム、実は、こうした伝説譚を知りつつ、私自身、これまでこの作品を何度となく聴いて来たはずなのに、何故かその印象はあまり心に残っていなかったのです。


それから半世紀余り、今回聴き直してみてこの作品、何故かこれまでに知り得なかった強いインパクトを感じることとなった、その因となったのが、前々回の記事で語った、Tonyのドラム・プレイだったのです。

ビ・バップ時代のドラムから、さらに複雑化したリズム打ち鳴らす彼のドラム。それでいて、あのビ・バップ全盛時代世間を驚かされたMax Roachのメロディアスなドラム・プレイを凌ぐメロディアスな側面を有しつつ、よりに複合化したドラム・サウンドをもたらし入れていた。

そしてそうした彼のプレイが、古色の影が漂い始めた来たそれら楽曲群に、新しい装いを着せ新たに蘇らせる原動力となっていた。

と、そうしたことに気付かされことになったのです。

それでは、その白熱の演奏、いつものように、ここで1曲聴くことにいたしましょう。
曲は1943年 Gene de Paul,Don Rayeのペンのなるスタンダード・ナンバーで”Star Eyes”です。




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