医学の日米交流を促進すべく催されたJazzの祭典☆ 本日の作品;vol.147 [デジタル化格闘記]

令和改元の日に偶然見つけた平成元年のジャズ・フェスティバルの映像に始まり、これまで昭和の終わりから平成の初めにかけて開催、TV放映された様々なジャズ・フェス関連の映像を4回に渡りご紹介してまいりましたが、5回目の今回は、再び1989年(平成元年)に戻って、5月の記事でご紹介したこの年のMt Fuji Jazz Festivalの翌月に日本武道館で開催された、Mind Medicine Jazz Festival〜face to face〜 の映像をご紹介したいと思います。

このジャズ・フェスティバル、これまでご紹介して来た当時催された数々のフェスティバルとは趣が異なってその母体は、日本が生んだ世界的医学者・野口英世博士の業績を記念し設立された米国財団法人野口英世医学研究所が、日米医学交流の促進を目的とした野口英世記念医療センタ-設立のため、その募金活動の一環として開催されたもの。

その呼びかけに参加したアーティストは、日本のMALTAを中心に、アメリカからManhattan Jazz QuintetとOscar Petersonトリオの一員として永きにわたりPetersonを支え続けて来たドラマーの Ed Thigpen率いるYoung Men & Olds、そして私がこのフェスティバルでそのプレイを見て以来、忘れられない存在となってしまった

Renee Rosnes SnapShot2m.jpg


この頃は新進気鋭の存在として頭角を現して来ていたピアニストのRenee Rosnesと、この時期、旬というべき存在だった面々の顔が並ぶ興味惹かれる豪華な布陣。


実を言うとこのビデオ、ここで見たRenee Rosnesのプレイを再び見たくてこれまで何度も探し続けてきたのですが見つからず、明けて令和を迎えた日に、巡り合わせ良く平成最初の年のMt Fuji Jazz Festivalのビデオを見つけることが出来たことから、これはもしかすると思い気を取り直して探したところ、これまでの苦労がなんだったのかと思えるほど簡単に目の前に転げ出て来たもの。
とっくに破棄してしまったと諦めてしまっていたものが出て来たこと、これも、令和の魔法のおかげとかなんとか私事をのたまいながら、恐る恐るこのビデオを鑑賞してみると、画像の状態も良く参加したメンバーのサウンドも想像以上の出来。

これは自分一人で楽しむものではないと思い、いつもの如く早速デジタル化作業に取り掛ることにしたのでした。


そうして、無事作業を終えたのが、こちらの映像。
まずは、私の敬愛する美貌のピアニスト、Renee Rosnesの演奏からご覧いただくことにいたしましょう。



女性らしいエレガントな佇まいと、透き通ったピアノの音色が心に染み入り体全体に広がって行くような心地良さを満喫した演奏、曲は、”I hear Rhapsody"でした。

さて、このフェスティバル参加の一組であったManhattan Jazz Quintet、実はこの時期のMJQは、このフェスティバルの少し前までChick Coreaのトリオで驚異のプレーを見せていたベースのJohn PatitucciとドラムのDave Wecklを新メンバーに加えたばかりの頃で、これが新メンバーによる日本初お目見えではなかったのかと思うのですけど、前回の”Tsumura Jazz”の記事で、1年後の演奏をご紹介したことでもあり、またPatitucci、Wecklの二人もこちらの演奏ではまだ加入したばかりとあってか、まだ固く、1年後のような自由奔放さはまだ見られない演奏だったためここでは割愛、それに代えて続いては、ジャズ・フェスならではの通常なら見られない顔合わせの演奏から、Renee RosnesのトリオとMJQのサックス奏者George Youngのコラボ演奏を、ご覧いただくことにしたいと思います。

ホーン奏者を加えてのRenee のまたトリオとは趣の違うその横顔、とくとご覧ください。






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昭和から平成のジャズ・フェス録画映像の中に残っていた、懐かしのCM映像☆ 本日の作品;vol.146 [デジタル化格闘記]

これまでの3回は、昭和から平成始めのジャズ・ライブの映像をご紹介してまいりましたが、今回は・・・・・・。

今ではこうしたジャズ・ライブの番組にお目にかかる機会は少なくなり、あっったとしてもNHKかWOW WOWというのが相場になってしまったように思うのですけど、実はこれまでご紹介して来た昭和の終わりから平成初めの映像の放映元はすべて民放からのもの。
このあたり、当時は容易にスポンサーがついたバブルの時代だったからということもあるのでしょうけど、民放というとやはりスポンサーありきということで放送に必ずついてくるのがCM。

実は、これまでご紹介して来た映像は、DVDもBDもない、まだアナログのビデオ時代に収録したものなので、当然民放の番組の収録とあってCMも録画されていて、それが現代のデジタルのように簡単にカット出来し再編集すれば映像の質の低下を招いてしまうことから、手を入れることもなくそのまま残していたのです。

ナベサダ KIRIN CM SnapShot.jpg


そうしたそれらのCM、今ではいつもCMなどさっさとカットしてしまいまともに見ることはない私ですが、しかし、それらの映像は皆アナログとあり、どうしても見ざるおえない状況から否応なし見るはめになってしまったところ、それらのCM、30年経った今見てみると、その時代背景を肌で感じれたり、またジャズ・フェスティバルのスポンサードならではの趣向があってなかなか興味深く面白いもの。、

という訳で、ジャズを楽しみながら見つけた印象に残ったCM、それらを選んでご紹介することにいたしました。


さて、これらジャズ・フェスティバルの放送のスポンサー、CMを見てみると中にはジャズとは無縁と思われる企業まで、実に多くの企業がCMを流していたことに驚かされるのですが、中でも目新しかったのは、この当時パーソナル分野にも広がりつつあった、コンピュター・メーカーのCM。

当時は最先端の感覚があったのですが、今見ると.................
一体どんなCMだったのか、まずはご覧いただきましょう。



浅香唯が登場する、沖電気のパソコンのCM。
今でこそ、沖電気のパソコンなんてどこにもありませんが、この当時NECや富士通以上にこの分野では評価の高い企業だったのですよ。

それにしても、初々しい浅香唯さんの姿が、今では陳腐となってしまった当時のパソコンのCMであったことを忘れさせ、色褪せることない魅力を放っています。


そしてお次は、
今では、ジャズ番組のスポンサーになるなんて、まずありえない企業のこんなCM。
どんな業種の企業が登場するのか、ちょと覗いてみて下さい。



東京証券のCMです。
ジャズの世界とはまったく別世界にある証券会社までもがスポンサーとなっている、バブルの時代ならでは感じさせる時代の一コマという感じです。

そう証券会社といえば、もう一つ。
バブル崩壊後、金融破綻の恐ろしさを国民に強く印象付けることとなったあの証券会社も、スポンサーとなっていたのです。



山一証券のCM。
後に、日本の経済を揺るがす大惨事を引き起こすことになる、そうした不安を微塵にも感じさせない、のどかかつ明日への希望さえ感じさせるCMですね。


さて、ジャズ・フェスとはかけ離れたCM映像ばかりをご覧に入れてきましたが、日本の企業は金儲けばかりに明け暮れる野暮な連中ばかりではない、日本の代表的ジャズ・アーティストを起用した、こんな粋なCMもありました。



日野皓正さんが登場するKIRINのCM。
1987年に放映されたものですが、この時期の日野さん、毎年山中湖の湖畔で開催されるMt.Fuji Jazz FestivalのTV収録では、演奏だけでなくインタビュアも務めるなど、共にかなり乗り乗りの様子丸見えで、このCMでもそうした様子が反映されなかなかの仕上がりとなっているように感じます。

そして、日野皓正さんが、登場なればこの人も.................. !!!





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