本命の不調で射止めた主役の座;・Art Blakey & The Jazz Messengers;”No Problem (危険な関係のブルース)” [名曲名演の散歩道]

桜も開花。
例年に増しいち早い春の訪れに、いつもなら、心を躍らし花々が咲き誇る艶やかな世界を闊歩しているはずなのですが、

しかし、.今年は..........!!

全世界的なコロナウィルスの流行で、イベントの中止や外出の自粛が求められ多くの人が感染の広がり防止に努めている中、不用意に外に出てふらふらと歩き回るわけにも行かず、私も、待っていた春が来たというのに出来るだけ外出を控え家で過ごすことにしている昨今。

そうは言っても、ただ家にいて時間を持て余しボーッとTVばかり見ているのも芸がなくもったない。
ならば、昔、買ったレコード(古い人間なのでCDではなくアナログ盤ですが)を聴き返してみようかと考え、しばらく使っていなかったレコード・プレヤーに円盤を乗せ、ジャズ三昧に浸ることとあいなってしまったのですが、いろいろ聴いてみたところどういう訳か、以前よりお気に入りとして愛聴していた作品より、買った時、聴くも肌が合わなかったとか理解不能とそのまま放置してしまった作品の方に、これまで気付かなかった良さを発見をすることしばし、

それは....
若気の至りによる突っ込み不足のせいだったのか、それとも年輪を重ねいろいろな音楽体験をして来たことによる聴く姿勢の変化によるものなのか、

私自身よくわからないのですけど、とにかくこれは面白いと今は、そのことにすっかり嵌りきってしまいアナログ盤と格闘しているところ。


とまあ、そうしたことで今回は、こうした作品を聴いているうちに、まだ私が、ジャズの良さが理解できず好きになれずにいた頃、バイト先の先輩に聴かせていただき初めてジャズの良さを感じることになった曲、そういえば少なくと20年以上聴いていないなと思い出し聴いてみたその曲のこと、今回はそれを取り上げ語ってみることにいたしました。


それでは、その思い出し聴いてみたその曲、まずはここで聴いていただくことにいたしましょう。



いかがですか、この曲、ジャズに興味のない方でもどこかで耳にした覚えがあると思われたのでは?

これは、1959年制作のロジェ・ヴァディム監督によるフランス映画、”Les liaisons dangereuses(邦題;危険な関係)”の主題曲として知られる、”No Problem(邦題:危険な関係のブルース)”という曲。

Art Blakey Les liaisons dangereuses.jpg


そして演奏は、当時、ファンキー・ジャズの寵児として”Moanin'”や”Blues March”などのヒット曲を生み出し、人気の絶頂にあったArt Blakey 率いるThe Jazz Messengers。
当時、日本ではこのThe Jazz Messengers、その彼らの”Moanin'”が大ヒット、蕎麦屋の出前持ちまでもが自転車をこぎながら口笛で歌っていたというほどの人気で、その”Moanin'の翌年に発表されたこの曲も、その人気も手伝って大ヒット、後世多くの人に知られるようになった名曲なのです。


なれどその名曲、私としては、久しぶりにMessengersのオリジナルの演奏を聴いてみたところ、1950年代後半、フランスでは、1957年の映画”大運河"でのThe Modern Jazz Quartetの起用を皮切りに、その翌年の1958年には”死刑台のエレベーター”ではMiles Davisが、そしてこの”危険な関係”でのThe Jazz Messengersの起用と、ジャズを劇中音楽に使うことが一つの流れとなっていた時勢の中で、この作品が生まれたということ、そして、Jazz Messengers作品の中で唯一フランス人のBarney Wilenがサックス奏者として参加した作品であること以外に、これまで、この作品誕生の経緯については意識して調べたことがなく知らないことが多いのではと考え、これを機にその誕生に纏わる経緯を調べてみることにしたのです。


そして、さらに掘り下げて調べてみた結果は、これまで知らなかった、この曲が世に出るにあたってのさらに面白い事実があったことを知ったのです。







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歴史の波に翻弄された二人が過去を忘れて集った庭  -松戸・戸定邸庭園- [閑話休題]

前回の記事でも冒頭、今年は梅の花の見頃が1週間近く早いように感じるというお話をしましたが、そうしたことから、最近では家の周辺や通勤途上に咲く梅の花を見かけるついつい眺めてしまうようになってしまい、そうこうしているうちに、梅林に群れ咲く早春の風情に浸りたくなり、どこかそうした場所へ行ってみたくなってしまった私。

ということで、どこを訪ねたら良いかのか思案し、やはり梅林と言えば水戸の偕楽園か!と考えるも、 
しかし!!

新型コロナ・ウィルスの猛威が吹き荒れる中、年寄りの不用心な遠出は憚るべきではなどと悩んだ末、ふと浮かんで来たのが、季節は秋であるも18年ほど前に訪れ見た、梅の木が立ち並んでい松戸にある戸定邸の庭園風景。いつかは、梅の花の季節に、ここに訪れてみたい思いながら、それきりになっていたこともあり、我が家からも1時間足らずで行ける場所ということで、さっそく出かけてみることにしたのです。


かくして訪れたその場所、その入口まで来てみると、古風な風情を湛えた門脇にいい塩梅に白い花をつけた梅の木が立っています。

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これは考えていた通り期待できそうと、勇んで門をくぐり抜け、母屋入口の前まで来てみると、

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今度はその建物の前に、あったのは!!

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満開の桜!!

早咲きの寒桜が誇らしげに枝一杯に花を咲かせ、一足早い春の訪れを告げるかの如く来る者を迎えくれています。

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さて、早くも春の装いを纏っていたこの戸定邸という所、 
ここは、徳川幕府最後の将軍である15代慶喜の異母弟で、水戸藩、最後の藩主(11代)であった徳川昭武が、別邸として建設、明治19年(1884年)に完成させた後、その後半生を過ごした、現在は国の重要文化財ともなっている唯一、一般公開されている徳川家の住居として知られる場所。

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さらに、この建物の前面に広がる庭園は、徳川昭武庭園(別称:戸定邸庭園)と呼ばれる、前面に芝生を敷き詰めた日本最古の洋風庭園であり、こちらも国の名勝に指定されている場所なのです。

そして、この館の主である徳川昭武という人、藩主となる前、徳川幕府最末期の1867年にパリで開かれた万国博覧会に徳川将軍慶喜の名代とし出席、その後、再度パリに留学したという経歴の持ち主で、その時に触れた西洋文化、洋式庭園に感化され、自身の監修の下、和の中にさり気なく洋を混ぜたこの庭園を造らせたのだというのです。

皇族、そして兄 慶喜も訪れたという、特に兄 慶喜とはこの庭でお互いが趣味であった写真を楽しんでいたということで、この庭園を眺めながら目を閉じてみると二人が、撮影に興じ互いにプロ裸足だったいうその腕前を競い合っていたその姿と屈託ない笑い声が見え聴こえしてくような気にさえなってくるのです。

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時の明治天皇に謁見し長きにわたる逆賊の汚名を晴らした慶喜を祝い招き、互いに歴史に翻弄された過去を忘れて喜びあい、晴れた心でカメラに興じる兄と弟、そうした微笑ましさを感じる歴史の一駒がここにはあったのです。

しばし、そうした歴史の余韻に身を浸したところで、次に向かったのはお目当ての母屋の先にある梅林。

果たして、その花の様子は.......

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来るべき春の暖かさを感じられる、期待通りのこんな風景。

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地面しっかりと根を張り、可憐な花を咲かせている梅、桜とはまた一味違った美し趣が、そこにありました。

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園によれば、紅梅の見頃が終わり白梅が見頃を迎える時期となっているとのこと、私が訪れたこの日はちょうどその端境期だったのか、紅白ともほどよく調和して艶やかさ満点という感じ。

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しばし、歴史と梅の告げる春の香りに浸っり思ったのは、江戸時代、水戸街道の宿場町として栄えたこの松戸いう街、日頃は何気なく通り過ぎているも、あの水戸の黄門様こと光圀公はじめ歴史的由緒が秘められた街であるということ。

今度訪れる時は、今回の戸定邸訪問で得た知見を元に、この地に残る隠れた歴史の痕跡を探し歩いてみたいと思いました。

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帰路、買い物をして行こうと津田沼の街に立ち寄り、何の変哲もない児童公園の前を通りがかると、ここにも早咲きの桜が..........

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こんなところにも、早咲きの桜の木があったのかと思っていたところに、どこからともなく聴こえて来たのがこの音楽。

Bill Evansのピアノによる”Spring is Here ”

最後の最後まで、早い春の訪れ鑑賞三昧となった今日一日でした。






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