早いものであれからもう10年!~東京スカイツリー開業10周年~  [閑話休題]

今や当たり前の日常となってしまった如く、大都会東京のシンボルとして勇姿を誇る東京スカイツリー。

開業10周年の報を聞き、このスカツリー建設の準備段階において僅かながらにも携わることになってしまった私にとっては、もう、そんなに時は過ぎてしまったのかと思いつつ、感慨深さもひとしおとの想いを感じているところ。

そうしたことから、当時撮ったスカイツリー誕生までの思い出の写真を取り出し眺めていたのですけど、今や当たり前となったスカイツリーの今や見ることの出来ない日々成長していく姿が、なんとも圧巻で懐かしく、今回はその建設の写真を見ながらその軌跡を辿ってみることに致しました。


まずは、今のスカイツリーの立っている場所、以前はどんなところだったのか、その風景からご覧いただくことに致しましょう。


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これが、現在スカイツリーの足がある辺りの当時の風景。
東武鉄道の線路と反対側の川のあたりはこんな風でした。

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ずいぶん殺風景な場所でしょ!!

実はこの場所、昭和24年に日本で初めて生コン工場が出来たところで、スカイツリーの着工前にはその生コン工場とセメント出荷貯蔵基地、砂利の集積場の他、東武鉄道の本社があった場所なのです。



さて、このスカイツリー、2008年7月に着工したのですけど、着工前はその事前準備の仕事でこの場所によく来ていた私も、ここでお役は御免。

しばらく、足が遠のくことになってしまったのですけど、2010年に入ると毎朝乗る総武線の通勤電車の車内から、その立ち上が行くその姿が見えるようになって来たことから、2010の4月、久々にその地を訪れてみることにしたのです

その時のスカイツリーの姿こちら!!

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まだ、第一展望台は出来ていませんけどかなりの高さ。

スカイツリーの足元には、

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その高さを示すこんな看板ありました。

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349mというと東京タワーを越える高さ、高いと感じるのも当然でですよね~。

そして、対岸の川べりには工事の進捗、工程を表示したこんな案内板がありました。

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それから2か月、電車の中から外を覗いて見てみると、

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下層の第一展望台が立ち上がっています。

そして、さらに2ヶ月後の2010年8月

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第一展望台の上に工事用クレーンが立上り、さらに上へと伸びてい行く様子が伺えます。
それにしても、あの展望台上のクレーン、地上から物を吊り上げているところを何度も見たのですけど、地上から450m以上のところから吊り上げているのに、吊り荷が大きく揺れることがなく、いつも整然と上がって行く様子は本当に圧巻でした。

そこで2010年11月、そろそろまた建設現場にまで足を運んでみよう出掛け撮ったのがこの写真。

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スカイツリーの隣に立つ建設中のビルは、東武鉄道の本社ビル。
この辺りは一帯の土地の多くは東武鉄道の所有で、ビルが建てられている辺りは、元はコンクリート・ミキサー車やセメント・タンクローリーの駐車場として使用されていた場所。

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ツリーの足元も、重機が乱立し、ごった返していた4月の状況と比べ、かなり完成後の姿に近づいてきたかのように見えます。

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この年の年末のスカイツリー。上部第二展望台も設置が終わり、いよいよ最上部の建設が始まっている様子がうかがえます。

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この日、スカイツリーで立ち退きとなった生コン会社の事務所を訪れたところ、こんなカレンダーが..........。

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建設開始後、日々成長していくスカイツリーの写真を収めたカレンダー。
画面をクリック 拡大してご覧になれます。


そして明けて2011年。
2月になるとアンテナ部分も次第に立ち上がり、完成も間近の様相。

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その後、ほどなく外観は完成。

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この後、2012年の3月の竣工に向けて内装工事や機材のテストをしていたようなのですけど、その間、スカツリーの下層第一展望台より強い光が放たれているのを見たことが思い出されます。
それにしても、あの光は一体、何だったでしょうか。


さて、開業後あの殺風景な場所はどう変わったのか、と言うことで出掛け見て回ったのですが、昔の面影は唯一、川沿い部分に残すのみで他には何処にもない。

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その唯一の場所がこの写真。
この場所は、上のコンクリート・ミキサー車が並んで止まっていた写真の場所なのですが。
モダンな街構えに変貌を遂げてました。


今では、平野の至るとこで威容を見せるスカイツリー。
確かに、これが出来たことで怪しげ飲み屋が並んでいた錦糸町駅前をはじめ周辺は下町から綺麗な東京を代表する街となったけれど、スカイツリー建設前より幾度となくこの地を訪れていた私にとっては、この写真を見るにつけ、あの殺風景ではあるけれど周辺に下町の空気を残したあの風景の方がしっくりと来るなと考えてしまいました。

そうは言っても、早10年。
今や、スカツリーは東京を象徴する景観の一つとしてすっかり定着してしまったという感じ。

私のお気に入りのビュー・ポイントである隅田川大橋からの雄姿を眺めながら、明日の活力を養うことに致しましょう。

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久々の解放感の中で聴いていた珠玉のサウンド;Phil Woods ・Live From The Showboat [音源発掘]

3年ぶりにコロナの足枷から解放されたゴールデン・ウィークも終わり。

しかし、コロナの嵐は収束したわけではなく、自由な空気が再び戻って来た人々の活気の中で、また感染の拡大が始まるのではないかという心配の気持ちも湧いて来るのだが。

そうは言っても、かれこれ3年間、何か重い空気をひきずり籠り毎日を過ごして来たことを思えば、解放された空気の中で羽を伸ばしたくなるのは当然のこと。

まあ、こうしたことを繰り返しながらコロナは収束に向かっていくのだろうと思え、今はその収束の第一関門に達したところなのかなと思っているところ。

しかしながら、かく言う私は、こうしてやっとのことで解放された日常を喜びながらも、人出の多い場所は大の苦手。
何処へ行っても人混みだらけはご勘弁と、このゴールデン・ウィークは家で音楽を聴きながらのんびりと過ごしていた次第。


そこで今回は、この休みの間、解放感に浸りながら気に入り聴いていた作品から、

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アルト・サックス奏者Phil Woodsの作品、 "Live From The Showboat"を聴いていくことに致しまた。

さて、Phil Woodsという人、1940年代に隆盛であったビ・バップの後を受け登場した、楽理的要素を追求したジャズであるクール・ジャズの中心的存在であったLennie Tristanoの影響を受け、1950年代の半ばに登場したアーティスト。

しかし、その演奏スタイルは、Lennie Tristanoと共にい歩んだ同じアルト奏者Lee Konitzとは異なり、その一つ前の世代のビ・バップを生み出しけん引したCharlie Parkerを彷彿とさせるもので、ほぼ同時代に登場したCannonball AdderleyやSony Stitt等共に、偉大なる巨人のジャズ史の残る後継者といわれて来た経歴の持主だというのです。

実はこの私、Charlie Parkerにかなり夢中になっていた時期があって、そこからParkerを継承者と言われる彼らの存在を知り聴き始めたのですが、中でも先の上げた二人がParkerと同じ黒人であったのに対しWoodsは唯一の白人であることに加え、Parkerの死後、Parkerの内縁の妻であったChan Parkerと結婚しParkerの二人の遺児を育てたと人だという興味も手伝って、以来このWoodsを好みよく聴くようになった者なのです

それはさておき、Woodsのこの作品は、1968年に渡仏しThe European Rhythm Machine結成、大きな話題を呼びながらも1972年に帰米した後の1976年録音のもの。

そこで気になるのが、1950年代 Parkerの後継者としてそれを彷彿するプレイをしていたWoodsが、渡仏時には、60年代に現れたフリージャズやロックのエッセンスを感じさせる、またプレイ・スタイルにおいてもこの時期隆盛を極めたJohn Coltraneのテナーサックスの影響を多分に感じさせるスタイルに変貌していたことから、果たして帰米後のそのプレイはどんなものであったのだろうかいうこと。

そした訳で、この作品、まずは1曲!聴いてみようかと思います。
曲は、”Bye Bye Baby”です。

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