Goodbye Six Stringed Warrio:追悼 Jeff Beck [音源発掘]

松の内も明け日常への始動を開始したところに、いきなり飛び込んで来たJeff Beckの訃報。

そして、その翌日、追悼の涙も乾かずうちに、またしても飛び込んで来た高橋幸宏逝去の報。


60年代半ばに登場、Eric Clapton、 Jimmy Page世界3大ロック・ギタリストの一人数えられるBeckと、80年代初頭、坂本龍一、細野晴臣らと共に結成、テクノ・ポップ旋風を巻き起こし世界を席巻したYellow Magic Orchestra(YMO)のドラマーとして名を知られる高橋幸宏の訃報は、7,80年代、この二人の音楽に親しんで来た私にとって、それが立て続けであっただけにかなりの衝撃。

哀しみ尽きない二人の死、ただ冥福を祈るばかりなのですが、今回は、私が、音楽に親しみ始めて以来、ロックにおけるバイブル的存在として無意識ながらも敬意を抱き、よりショックが大きかったJeff Beckを偲んでその思い出を語ることにしたいと思います。

Jeff Beckは、世界3大ロック・ギタリストとして多くの人に記憶されているアーティストなのですが、 同じく世界3大ロック・ギタリストと呼ばれるClapton、 Pageと比べてどちらかというと地味でいささか影薄い感じがするように思われるかもしれません。
それは、他の二人に比べ、人々の目を引くコマーシャル性に欠ていたことにその一因があるように思うのですけど、Beckその真髄は、ロック・ギターの革命児であるあのJim Hendrixの憧れのギタリストであったことをはじめ、QueenのギタリストのBrian Mayや同輩でLed ZeppelinのギタリストであるJimmy Pageなど、名だたるロック・ギタリストが称賛して止まないほどの偉大なるアーティスト。

その経歴は、先の世界3大ロック・ギタリストを輩出した1965年、 伝説のバンドThe YardbirdsにEric Claptonの後を受け加入、そこでの活動の後、Rod Stewart や現Rolling StonesのRon Woodを率いJeff Beck Groupを結成、70年代に入ると60年代後半台頭したアート・ロックの尖峰をなしたVanilla Fudgeの中心的メンバーTim BogertとCarmine AppiceとBeck,Bogert,Appice(BBA)を結成してソウル寄りのアプローチに迫るなど、黎明期のロック界に重要な足跡を残しています。

そして続く、1975年にはそれまでのグループによるバンド活動から脱皮、ソロに転じ”Blow by Blow”を発表、さらに1976年にキーボ-ド・ドラム奏者のJan Hammerらとフュージョン・インストメンタル作品とも言える”Wired ”を発表、大きな成功を収めることになります。

こうして、ステージの頂点を極めたBeck、その旅はさらに続き、今度は1989年、Jeff Beck's Guitar Shop”で、とうとうグラミー賞のベスト・ロック・インストルメンタル・パフォーマンス賞を受賞、11年後の2000年には、テクノ・ロックに迫ったの作品”You Had It Coming” 、2003年の作品”Jeff ”で再びグラミー賞のベスト・ロック・インストルメンタル・パフォーマンス賞を受賞するなど、たゆまなくロック・ギターの新しい世界への挑戦を続けて来た革新的アーティストなのです。



さて、こうして、時代ごとに様々な顔を生み出してして行ったJeff Beck。
ここからは、私のお気に入りのBeck作品より、1曲を聴きながら彼の歩んだ軌跡を偲び辿って行こうと思います。






続きを読む


nice!(20)  コメント(6) 
共通テーマ:PLAYLOG

2023年 習志野第一空挺団降下訓練初め [閑話休題]

2023年も、早2週間が過ぎ、今はお正月気分も抜け、皆ようやく日常の生活に立ち戻ったところではないかと思いますが、

私の今年のお正月、どこに行くでもなく5日までお休みを頂き、ゆっくりと骨休みをし過ごしていたのですけど、そのお休みの最終日、家の中で過ごしていても、いつもに増して表の様子が賑やかしい。

そこで、表に出て空を見上げ眺めると、陸上自衛隊の大型輸送用ヘリコプターCH-47チヌーク5機が、編隊を成して我家の上空を飛び抜けて行く。

これは、賑やかしいのも当たり前!!

_DSC7554-1m.jpg


空挺団が駐留する我家近くの習志野の自衛隊、毎年お正月明けの最初の休日に習志野演習場での初降下訓練が一般公開で開催されるのですが、これはまた事前の訓練飛行?をしているのかなと思うも、今年は飛行機数が5機とは例年に比べかなり多いように思える。

そこで、今年の演習の演目はどうなているのかと調べてみると、今年の演習にはアメリカ、イギリス、そしてオーストラリアの空挺団も参加するとの案内。

なるほど、これなら飛行機数が多いのも、さもありなんと納得しつつ、海外の部隊参加の降下訓練。
これは、とにかく初めてのこと!!

ならば今年は、久々に演習を行ってみようかとの気が湧いて来て、久々に見に行くことにしたのです。



そして、1月8日の訓練開催日、当日。

演習場に向かう車で渋滞する成田街道を横目に、徒歩で目的地向け出発。
途中、習志野駐屯地前に差し掛かると、掲示板に第一空挺団降下訓練初めのポスターが。

_DSC7654-hm.jpg


開催日に間違いがないことを確認、一安心して再び歩き始め、ほどなく演習場入口に到着です。

_DSC7650-hm.jpg



さて到着したこの演習場、実は近代日本陸軍にとっては歴史的な場所。

この地、江戸時代には徳川幕府の馬牧であったところなのですが、幕府が倒れた後の、明治6年(1873年)4月29日、明治天皇ご臨席のもと、その御前で初の近衛兵の演習が行われた場所なのです。

そして、さらに、この演習には、歴史上超有名なさる人物も参加していたのですが?





さて、その人物とは..............??






その人とは、当時、唯一の陸軍大将であった、西郷どん こと西郷隆盛。

しかし、その登場、体格を生かした堂々とした馬上姿と思いきや、この時の西郷隆盛、肥満のため馬に乗れず馬の前をトボトボと歩いて出て来たとのことで、その姿を見た天皇は思わず笑いを漏らさられてしまったのだとか。


そうした英雄の隠された恥辱のエピソードが残る習志野ですが、その地名の名付け親は明治天皇。
近衛兵の演習の翌月に命名されたその地名の意味は、なんともカッコの悪さが目立った西郷どんの姿とは裏腹に、配下の陸軍少将 篠原国幹の颯爽とした見事な指揮ぶりに感服した天皇が、「習え篠原」と言う意味を込めて習志野ノ原と名付けたというのです。

この地名譚、他にいくつかの説があるようなのですが、西郷、篠原の出身地である鹿児島に住み、西郷どん生誕地の傍で暮らしたことのある私にとっては、「習え篠原」説がしっくりと来てしまう。

なにはともあれ、歴史的由緒あるこの習志野演習場。
興味があれば、この辺りの事情、さらに考察していただければと思います。

004.jpg





そして、その歴史譚に感慨を覚えながらとことこ歩いて、辿り着いた演習場の入り口。
その門をくぐったその眼前で出迎えてくれたのは、

2機の攻撃用へリコプターAH-1Sコブラ。

_DSC7574-hm.jpg


なんとも迫力のあるその雄姿!!
これから始まる訓練への期待が湧いて来ます。


出迎えのコブラを眺めながら進んでいくと、今度は会場の案内板が立っています。

_DSC7577-km.jpg


昨年は、コロナ拡大のため一般公開は見送られたのですが、今年も行動制限はなくなったとは言え、コロナの嵐は去ったわけではない。
そのため、今年はこの会場でも入場時の検温、手荷物検査が実施されているとのこと。

まあこれもご時世、しっかり検査を受け潔白の身となったところで、右手に射距離200mの屋内射撃場を眺めながら、さらに歩いた先の分かれ道奥にあったのは。

_DSC7584-km.jpg


画面をクリック拡大して装甲車の前の青い看板を見てください。




航空自衛隊 習志野分屯基地とありますね。

ここは、防空用の地対空ミサイルであるパトリオットミサイルを運用する第1高射群第1高射隊が駐屯しているところ。

2013年の初降下訓練を訪れた時には、このミサイル発射機トレーラーも演習に登場、そこで私も初めてそれを見て、家の近くにこんな強力兵器があることを知り、ずいぶん驚かされたものでしたが。

_DSC7586-km.jpg


その基地、よく見るとのミサイル基地であることを明かすかのように左右にミサイルのようなものが設置されていますね。



場内に入って約2㎞、我家から5㎞ほど歩いただろうか、ようやく演習観覧地に到着。

そして、そこで待つこと10分ほど。

晴天の空にヘリコプターの爆音が近づいくるのが聞こえて来した。

DSCN0648-km.jpg


そして、頭上にCH-47チヌークの姿が!!!

お待ちかね、いよいよ降下訓練の始まりです。


続きを読む


nice!(17)  コメント(4) 
共通テーマ:PLAYLOG