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ヴァーチュオーソー 二人が繰出す音符の嵐;Oscar Peterson & Dizzy Gillespie [デジタル化格闘記]

関東で雪が降ったと思ったら、その2週間後には4月のようにな陽気到来。
そして翌日には春一番が..............................!!!!!

昨年より14日も早い春一番の到来というのですが、思うにここ数年、年を重ねるごとに気象の異常度がどんどん増して来ているような。

とは言っても、まだ春本番となった訳でもなく、いきなり真冬に逆戻りしたり。

下界の政情不安もさることながら、空の上でも冬と春が激しく覇権争いが繰り広げているかのような様相。
おかげで、毎日着る物も天気予報とにらめっこしながら、引っかえ取っかえをしなければならくなって煩わしい限りです。


とまあ、こうしたことを繰り返しの毎日ですが、春の暖かさが感じられるようになると、どういう訳か妙に聴きたくなってしまうのが、スウィングとバップのサウンド。
そうしたことから、今回は、私の好きなスウィング・バップ・サウンドより、この作品をチョイスすることに致しました。

oscar peterson & dizzy gillespie.jpg


それは、1974年制作の”Oscar Peterson & Dizzy Gillespie”。

.
アルバム・タイトルの通りこの作品は、超絶技巧ピアニストとして知られるカナダ出身のOscar Petersonと、
Charlie Parkerと共に、今に続くモダン・ジャズの原型ともいえるビ・バップを生み出したトランぺッターの Dizzy Gillespieによるデュエット集。

私がこの作品を初めて聴いたのは、記憶は定かではないのですけど、この作品が収録されたその翌年頃のこと。

まだ日本ではアルバムとしてリリースされてはおらず、聴いたのは偶然にチャンネルを回し見たTV放送でだったのですけど、そこで見た映像は、まさにこの作品ジャケット写真にある二人の姿。

しかしながら当時の私は、まだジャズを聴き始めて日も浅かったこともあり、この二人の名前や功績は知っていたものの、既に過去の人という印象で彼らについては興味薄であったため、偶然見てしまったのも何か縁、後学のために見ておこう程度の浅い考えで見始めたのものだったのです。

ところが、聴き始めて間もなく、この一時代を築き上げたヴァーチュオーソー二人の演奏に、その安易な思いは跡形もなく消え去り、そのサウンド中にすっかり身を引き込まれることになってしまい、その翌年この演奏がアルバムとしてリリースされるや即Getしてしまったものなのです。


それでは、この二人のヴァーチュオーソーによる超絶技巧のバトル、ちょっと体感していただくことに致しましょう。

曲は、有名なDuke Ellingtonの名曲”Caravan”です。






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思い出のジャズ・不朽の名作品:Sonny Clark・Cool Struttin,John Coltrane・Blue Train [デジタル化格闘記]

ところによっては、早咲きの桜の開花の報が聞こえて来るなど、春の空気の訪れが感じられるようになった今日この頃、前回取り上げたRoland Hannaの作品を聴いていたら、春の優しく和らいだ空気を浴びたせいか、無性に聴きたくなてしまったのが、若き日によく聴いていたジャズ・ファンの間では知らない人はいないのではと思われる、1950年代にBlue Noteレコードより発表されたこの名作。

その作品は、

sonny clark cool struttin.jpg


Sonny Clark、1958年制作の”Cool Struttin'” 

john coltrane blue train.jpg


と、
John Coltrane、1957年制作の”Blue Train”。

有名なジャケットなのでジャズを聴かない方でも、見た記憶があるという方もいるのではと思いますけど、そのサウンドも発表から60年余りを過ぎた今も、多くの人に愛され続けている名盤中の大名盤。

ということで、今回はその2作品をご一緒に聴いて行くことにしたいと思います。



さて、この2作品、私が初めて聴いたのは40年ほど前。

中でも冒頭の”Cool Struttin'”は、当時まだジャズよりロックに軸足があった私が、おりしも訪れたフュージョン時代の幕明けに触れてジャズにも目を向けるようになっていたところ、ジャズについて教えを受けていた”50年ジャズ命を”自称する友人より聴かせてもらい、軸足をジャズに移すこととなった思い出の作品。

そこで聴いたのは、ブルーな空気を多分に蓄えほんのりとした物悲しさすら感じさせるメロディと、それとは裏腹の演奏メンバーが発する熱い息吹を湛えたソロの応酬。

難しいことは全く抜きに、直感的にそのサウンド世界にのめり込んでしまった作品なのです。


と、私事の思い出話になってしましたが、蓄えられたジャズの魂が踊るそのサウンド、まずは楽しんでいただくことに致しましょう。


曲は、アルバムのタイトルなっている名曲、Sonny Clark作曲の”Cool Struttin'”です。 



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パンチが効いた歌唱が快い 魅惑の女性ヴォーカリスト;大野えり Studio Live 1980 [デジタル化格闘記]

9月、いよいよ秋。

気象庁お墨付きとなった今年の夏の異常気象。
このままでは、9月になっても年寄りには耐えがたい灼熱地獄の日々が続くのではと心配していたところの、盆明け以降のこの陽気。

まだ、時折夏の残り火が顔を出す日はあるものの、確実に凌ぎやすさは増している。

ならば、当ブログのテーマともなっている、古を訪ねての散策を再開しようかと、まずは私の住む船橋の遺跡辺りから始めてみようと、市が発行する市内遺跡マップを見てみたところ、なんと驚いたことに我家周辺がその遺跡所在地の一つとなっている。

果たして、いつの時代の遺跡だろうかと、その案内を見てみると、ここは縄文の貝塚が眠っている場所だとのこと!!!!!!

そういえば、今、隣の敷地にある集合住宅を建てる前に、市の発掘調査が入る云々の噂が飛んだこともあり、今思えば、それにはこうした背景があったからなのだと遅ればせながらに納得。

確かに船橋という場所、10000年以上前の早期縄文期より人が暮らしていた場所で、多くの縄文遺跡が見つかり発掘されていることは知ってはいったものの、しかし、まさかそれがこんな超身近に存在していたとは、ちょとした驚き。

とは言いながら、考えてみれば、それは、縄文人の暮らした遥か古よりまほろばとも言える良い場所に住んでいるということ。

と、いい気分を味わったころで、なれば、この秋はもう少し私の住む船橋の歴史、もう少し深く掘り下げて調べてみようかなという気になっているところ。


余談はさておき、ちょっとした出来事の展開でいい気分に浸ったところで、今回のお話は。

前回の記事でもお話した、この盆休み中にその昔録りためたライブのカセット・テープ。
その中から、初めて聴いた時よりお気に入りなっていた、この夏も超久々に取り出し度々聴いていた過日のライブ音源から。

大野えり j.jpeg


日本の女性ジャズ・ヴォーカリスト大野えりの1980年のスタジオ・ライブ。
レコード化されていない音源であることから、この際、日々もっと身近に置いて聴きたいとデジタル化し何度も聴き返しているのですが、聴けば聴くほど新たな発見があって面白い。

一人だけでほくそ笑んでいるのはもったいないと考え、ここで、ご紹介させていただくことに致しました。

当時私は、オーディオ評論家 菅野沖彦さんが司会を務めていた”デンオン・ライブコンサート”と言うFM東京のラジオ番組をよく聴いていて、そこで聴くことが出来る日本はもとより来日アーティストたちによるスタジオでのライブ演奏が醸し出す、レコードや公開のライブ・ステージとはまた違った空気を持つサウンドが好きで、ジャンルを問わず毎回聴いていたのですけど、これからご紹介する演奏は、1980年12月にこのラジオ番組で放送され、これが私にとって大野えりとの出会いになったもの。

このライブが行われた頃の日本のジャズ界はというと、フュージョンの波が台頭、渡辺貞夫、日野皓正をはじめ、当時の日本ジャズ界の中堅どころにあった峰厚介、本田武廣 等によるフュージョン・バンドのNative Sonなどが現れ、大いに隆盛を極めていた時期。

さらにヴォーカルの分野でも、いち早くフュージョン作品を発表し波に乗っていた笠井紀美子をはじめ、阿川泰子、アンリ菅野が登場し、ジャズのポピュラー化が進み大きな高まりを呈していた時。

そうした時期に登場したのが、この大野えり。
それまで登場した女性ヴォーカリストとはまた違った、彼女のジャズには打ってつけな硬質な声質と管楽的かつパンチの効いた歌唱スタイルから繰り出されるサウンドで颯爽と登場したアーティストで、このライブは自己のレギュラーグループ Good Questionを結成し、3作目となる作品”Eri”を発表した直後のもので、日本ジャズに新風を吹き込み一躍脚光を浴び上昇の波に乗っていた時期の彼女の姿を捉えたものなのです。


さて、そんな彼女のライブ、私としては、以来その歌唱に好感を持ち続けて来たのですが、かなり久しぶりにそのカセットテープに手を伸ばし聴いたところで、改めて再び大嵌まり。

今度は、このスタジオ・ライブだでけではなく、これまでの発表されて来た彼女の作品も聴きたくなり
、それを探し片っ端から聴く羽目にとなってしまったのですが、こうやって聴き比べてみるとこの一発録りのスタジオ・ライブの躍動感がさらに際立ってくるという按配。

とまあ、こんな調子でかなり熱が入ってしまい一人悦に入る状態となってしまったのですけど、このままでは我田引水とも受け取られかねない。

やはり、この辺で演奏を聴いていただき、その真価を感じていただかねば

ということで、このステージから、まずは1曲。
曲は、”Living Inside Your Love”を聴いていただくことに致しましょう。







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今、見直される1960年代を代表するトランぺッター:Woody Shaw Quintet Live in Tokyo 1981 [デジタル化格闘記]

早々の梅雨明けに続く、日本もとうとう亜熱帯化してしまったのか思うほどの猛暑に暮れた、2022年の夏。
この調子では、9月に入っても厳しい暑さが続くのではと心配していたのですが、盆明け以降は日々秋らしさが増してきて、一先ずやれやれと言ったところ。

そうした秋の兆しが感じられるようなった中、今回は来たる秋の夜長にじっくりと味わうには打ってつけのジャズ作品のお話。

その作品は、Freddie Hubbardと並び1960年代を表するトランペット奏者の一人に数えられる、Woody Shawの1981年の作品”Woody Shaw Quintet Live in Tokyo 1981".。

woody-shaw-quintet-in-tokyo-1981.jpg


この作品との出会ったのは、この盆のお休み中、年寄りには大敵のコロナと猛暑が環境が続く中、多くの人が動く盆は外出は控えめにして、ゆっくりと家で過ごすことにしようと、昔、録りためたFMで放送されたライブをエアチェックしたカセット・テープを聴いていたところ、その中でガッツンと一発食らった、Woody Shawが自己のクインテットを率いての初来日を果たした1980年の東京・中野”いもハウス”でのライブのテープがその切っ掛け。

そもそもこの私が、このWoody Shawに注目したのは、若き日に聴いた1969年制作のピアニストStanley Cowelllのリーダー作品”Brilliant Circles”で、そこに参加していたWoody Shawの伝統を踏まえながらも斬新溌剌としたプレイに出会い、いたく惚れ込んでしまったのがその始まり。

その後、そうした彼のプレイをさらに聴いてみたくて、何枚かの彼のスタジオ録音のリーダー作品をGet、聴いてみたのですけど、意気込みを感じるも妙に小難しくすんなりと心に入ってこないものであったり、それはないにしても”Brilliant Circles”のプレイから期待するものとは違うサウンドのものばかりで、なんとも物足りなく、これまでなんとも釈然としない想いを抱き続けていたのです、

ところが、以来20年余りの時が過ぎて再会したこのカセット・テープ。

それは、けして録音状態が良いとは言えない遥か昔のカセット・テープ、それにも関わらず今の再生機は、濁り聴きにくかったはずのその音質を聴きやすく向上さししめてくれ、おかげで、この演奏の本当の凄みを知らしめられ、長きの間抱き続けて来たShawに対する憤懣は解消することに至った次第。

しかし、満足できるクリアな音質となったわけでもなく、こうなるともっと良い音で聴いてみたくなるもの。

そこで、近年、この時期のFMで放送された日本でのライブ音源が相次いでCD化され発表されていることから、ひょっとすると思い探してみたところ見つけたのが、このカセットに収録された音源の1年後の2度目の来日時に収録されたと言うこの”Woody Shaw Quintet Live in Tokyo 1981".だったのです。

ただ、私の持っているカセットの1年後ということと、日本での収録された音源だというのに、何故か2018年に欧州のElemental Musicから発表された盤だというその出所の疑わしさが多少気になったものの、クレジットにある演奏メンバーも私の持っているカセットと同一で、収録時期も私のカセットと近く曲目も重複するもが大半ということで大いに食指動き、さそっくGetすることにしたものなのです。

ということで、
そうし手に入れたその作品、まずは全曲を捉えたこんな映像がありましたので、かなり長いのものですが、その一部始終、時間の許す限りお聴きください。


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往年の仲間たちとの再会から生まれた心温まるジャズの響き: Art Blakey & All Star Jazz Messengers- Aurex Jazz Festival’83;本日の作品☆ vol.152 [デジタル化格闘記]

今月の初め、笹子峠を越え久々に山梨を訪れてみたところ、意外だと感じたのは、思いもよらぬ木々の秋の色付きの深さ。

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と思って山向こうに目をやると、そこには真白い衣装に身を染めた富士山が頭を覘かせています。

DSC_6351-m.jpg


この風景、これまで、毎年この時期この地を訪れていた私の記憶からすると、富士山が白く衣装替えをするのは11月半ばだったはず
しかし、そこで見たのは富士の山のみならず、木々の色までもが秋の最終末を告げているかのような風景。

考えてみれば、今年は、年の始まりから春の訪れを告げる梅・桜の開花が例年より10日以上早かったしなと思いながら、これもそうした気候の流れが、この秋の季節の変わり目にも影響を及ぼしているのかなとの思いを巡らしているところ。


とは言っても、コロナの猛威も沈静化したところでようやく出た旅の空の下、前回に引き続きその昔録り溜めたライブ音源に耳を傾けながらこうした自然の空気に触れられるのは, なんとも味わい深いもの。


そこで、今回は1980年代、前回聴いていただいた夏のジャズのライブ・イベントLive Under The Sky
と並び、秋のライブ・イベントとして開催されていたAurex Jazz Festivalの音源を取り上げ聴いていただこくことしようと思います。


さて、Live Under The SkyとAurex Jazz Festival、その内容は先のLive Under The Skyは、開放的な屋外ステージの下、その時期注目されているアーティストによる最新のジャズ・フュージョンがプログラムの中心のイベントだったのに対し、Aurex Jazz Festivalは、秋らしく円熟の境地にある大御所的存在のアーティストによる伝統的なスタイルのジャズがその中心のイベントと、その性格は大きく異なるものだったのですけど、今回はその落着いた雰囲気のステージで繰り広げられた白熱のライブ、まずはそのステージ、この演奏から、始めることににいたしましょう。



そう、Art Blakey & Jazz Messengersのファンキー・ジャズ金字塔とも言える名曲、”Moanin' ”ですよね。
ということで今回は、私のライブ収録したカセットテープ・ライブラリーから、Art Blakey & All Star Jazz MessengersのAurex Jazz Festival’83のライブを聴いていただくことにいたしました。



ところで、お気付きかもしれませんが、このバンド名称、本来は”Art Blakey & Jazz Messengers”のはずなのに、ここでは”Art Blakey & All Star Jazz Messengers”との記載、それ何かの間違いじゃないのと思われるかもしれませんが.........。

一見余計に見えるAll Starの文字[exclamation&question]

間違って書き入れた訳ではないのです。

その意味するところは..........................!





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目まぐるしい季節の移ろいが教えてくれた白熱のLive!;Cick Corea & 渡辺貞夫 in Live Under The Sky '80;本日の本日の作品☆ vol.151 [デジタル化格闘記]

ゆっくりと秋の空気を楽しむ間もなく、いきなり訪れた冬到来かを思わせる日々。

ついこないだまでは、季節はずれの夏日到来に衣選びに振り回されていたはずなのに、これだけ気温の変化が激しいと体の方がその変化について行けなくて、ここのところ少々風邪気味となってしまった私。

てなわけで、老体であるからして こういう時こそ一層の養生に努めなければと思っていたところ、職場の若い連中にも体調を崩してしまう人が出て来てしまって、

これも今年の天候不順の激しさのせいなのかと思いつつ、毎日利用する駅前を散策してみると、そこで出会ったのがこの風景。

20211027_094508-km.jpg


この時期は、葉を落としているはずの彼岸桜の木に、なにやら花のようなものが[exclamation&question]
そこで、近づき確かめてみると..............................

20211027_094411-pbm.jpg


なんと、!!!!!本当に花をつけている[ダッシュ(走り出すさま)]

狂い咲きも甚だしい季節違いの彼岸桜。

これでは、人間様も体に変調をきたすのは当たり前。
その不具合も、年齢の大小には関係ないの当たり前だな納得したところ。



そうした中、今回は、体の変調のみならずこうした天候が心にも変調をもたらしたのか、これまで忘れかけていた、過去に録りためたライブ音源がどうも気になるようになり、そのカセット・テープを探しあさり聴いていたところ見つけた、白熱のライブ音源を取り上げることにいたしました。

それが、この二人のアーティストによるライブ。

Chick Corea & Sadao Watanabe.jpg


ピアニストのChick Creaと日本を代表するサックス奏者の渡辺貞夫が共演した、1980年7月27日の当時東京田園調布にあった田園コロシアムで開催されたLive Under The Skyの演奏。

この当時、毎年のように来日をしていたChick Coreaでしたが、この年は若手を配した自己のエレクトリック・インストメンタル・バンドを引き連れての来日。

この時期の私は、アコースティックに回帰したCoreaのサウンドを好みよく聴いていたものの、エレクトリックのCoreaサウンドの方は、このライブ以前のReturn to Foeverによる、あまりにもロック化しすぎたサウンドへの強い嫌悪感が残っていて、積極的に聴く気にはなれずにいたのです。

そのため、このライブも放送を録音したものの、ほぼ放置状態にしたままでいたのですが、ここのところの気まぐれな陽気に、それまでのわだかまりを忘れてしまったのか、この録音テープを見つけるや、妙に聴いてみたくなり、早速、耳にしてみたところ、飛んでも発奮[パンチ][爆弾][爆弾]

Coreaバンドのエレクトリックサウンドと渡辺貞夫のバトルがもたらす、緊張感に満ちた迫力ある音世界に出くわし、すっかりのめり込んでしまうことになってしまったのです。


というところで、私が聴いた、緊張感に満ちた迫力ある音世界、ここで聴いていただくことにいたしましょう。
曲は、Chick Coreaのオリジナルで、彼の”Spain ”、”La Fiesta”と並ぶ名曲”500Miles High"です。







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日本のクラシック・アーティストが新風を吹き込んだプログレの名作:Emerson, Lake & Palmer:Tarkus;本日の本日の作品☆ vol.150 [デジタル化格闘記]

長雨続きの幕開けとなった今年の秋。

涼しさが訪れたとは言え心を湿らすこの長雨には閉口ぎみであったものの、東シナ海で停滞、その後観測統計史上初の福岡上陸と迷走ともいえる進路を走破した台風14号が去った後に、ようやく訪れた爽やかな空気をともなった秋晴れの空。
おかげで、十五夜には我が家からは無事中秋の名月も拝むことが出来、窓を開けその月を眺めながめていると心に安らぎをもたらす心地よい虫の音が若かりしの思い出の世界に導いてくれる。


と、そうした感傷的世界に浸っているうちに聴きたくなって来たのが、若き日好みよく聴き、近年は日本のクラシック・アーティストに編曲カバーでよく聴いていたあのプログレシッブ・ロックの名作品。

そこで今回は、その懐かしのアナログ盤を手に取り聴き語ってみることにいたしました。

el&p tarkus.jpg


その作品は、Emerson, Lake & Palmer、1971年発表のセカンド・アルバム、”Tarkus”。

Emerson, Lake & Palmer(EL&P)というと、その全盛期を知る者にとっては、1972年東京・後楽園球場での来日公演の時の、当時まだドームではなかった球場の外まで大きく響き渡るバカでかいサウンドと、ステージで最も狂える男と言われていたバンドの中心的メンバ―であるキーボード奏者のKeith Emersonによる、オルガンに刀剣を突き刺し格闘のすえ、最後にはそのオルガンを引き倒し演奏?するという、ド派手なステージ・パーフォーマンス目立ち、そのイメージから当時は、音楽的な面から彼らを語ることは憚られると言った向きもあったと記憶していますが、そうしたイメージ払拭してよく聴いてみるとそのベースに見えてくるのは、現代クラシックの音。

後年、作曲者のEmersonがこの曲について、「この曲の作曲当時は、アルゼンチンのクラシックの作曲家Alberto Ginastera(アルベルト・ヒナステラ)の影響を強く受けていて、そのサウンドを取り入れ実現しようした。」と語っていることからも、そのことが事実であることがわかります。

それを物語るかように、2000年代に入ってから、日本のクラッシック界から、ピアニストの黒田亜樹ての仕上がりであり、Emersonがこれらのレコーディングにに先立ちあらかじめ編曲譜を見たうえで承認を与えていることから、Emersonが描いたこの曲の本来の姿が窺えるような気がします。

しかし、不思議なことに、こうした日本のクラッシック界のEL&Pへの隆盛な反応に対して、本場英国のクラシック界の反応は、Pink Floyd、Genesis、Queen、Jethro Tullなどのプログレシッブ・ロック作品に取り組んだ作品はあるものの、EL&Pについては、かなり探すもどういう訳かまったく見当たらないというのが実情。

このあたり理由は、はっきりわかりませんが、当時よりEL&Pの音楽をクラッシック・オーケストラの演奏で聴いてみたいと思っていった私としては、彼らのライブにじかに接することが多かった本国より、そのライブに身近に接することが出来ず、レコードで彼らの音楽に接することが出来なかった日本の方が、あのライブでの大音響や派手なパーフォマンスに惑わされことなく彼らの音楽の内にあるクラッシクの繊細な構築美を見出すことが出来たことが、こうした結果生んだのではと考えているところ。

それはともかく、私にとって語ればいろいろ思い出の湧いてくる”Tarkus”ですけど、そのお話はひとまず置いて、ここでその”Tarkus”、本家本元のEL&Pの演奏で聴いていただくことにいたしましょう。






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ありがとうChick Corea! 新時代を切り拓いたそのサウンドは永遠に。;本日の本日の作品☆ vol.149 [デジタル化格闘記]

2/13の朝、いつものように新聞に目を通していると、目に入って来た悲しい記事。
それは、私がジャズを聴き始めた頃、ロック・ファンであった私がうっすらとしたジャズへの興味を覚えつつも、今一歩奥へと踏み越えらずにいた時、そのつかえの扉をを吹き飛ばし開いてくれたアーティストの訃報。

そのアーティストの名は、現代ジャズの巨匠として知られるピアニストのChick Corea。

CC_At_the_Piano_Color_photocredit_ChickCorea_Prod-p.jpg


享年79歳、となれば、それもその人に与えられた寿命であり致し方ないと思えるものの、70歳を越えてからも、今のジャズに活力を取り戻すためにはロックのエッセンスを取り入れることが必要だと強く提唱し、自らその先頭に立ちながら新しい境地を開きつつ、2019年には来日しアコースティックなサウンドで現未来を駆け抜けるサウンドを生み出していた、そのことを聞き知っていた私にとっては、その突然の終焉の報はあまりにも唐突で、今だ信ずることが出来ないでいる有様。

そのChick Corea、その登場は1960年代半ばのこと。
Stan Getzのカルテットの一員としてプレイしたそのピアノ・タッチの美しさが大いに話題となり、日本でもそのStan Getzのカルテット来日に際しては、これに随行し初の来日を果たしたCoreaのピアノが大きな話題の焦点になっていたというほど。

Getzのカルテット後のCoreaは、Miles Davisのグループに参加、そこでエレクトリック・サウンドやロック・ビートを取り入れた新しいサウンドを模索していたMilesの下で働き、その後独立。
一時フリーの道にも足を踏み入れつも、1972年制作の作品”Return to Forever”では、ジャズ本来の味にボサノバの要素やエレクトリック・サウンドを取り入れ、清々しく親しみやすい新世代のサウンドでジャズの世界に新風を吹き込み、ジャズ界のニューリーダーしての地位を築くことになったアーティストなのです。


そこで、Chick Corea!
その彼を偲んで、今回聴いていただきたいサウンドは、公式に発表されていない日本でのライブ音源!!

まずは、70年代”Return to Forever”の成功から、フュージョンの道を歩み始めたCoreaの、その時代の終盤を姿を捉えた1979年。
東京稲城市にある、よみうりランドのシアターEASTで開催されたLive Under The Skyで、Al Di Meola(g),Bunny Brunel(b),Tony Williams(ds)と共演したスペシャル・カルテットによるライブ音源で、曲は、Corea作曲の”Senor Mouse”からお聴きいただくことにいたしましょう。




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秋の夜長に憩いをもたらす風格の男性ヴォーカル;Fujitsu Concord Jazz Festival 1989;本日の作品☆ vol.148 [デジタル化格闘記]

秋の到来を告げるかのように、朝晩はもとよりまだ夏の強い陽射ししの面影が残る日中でも、秋の快い風を感じられるようになった今日この頃。

令和の始まりと共に始まった、私の昭和~平成の頃のライブ映像の復刻紹介記事もこれで7回目。
我が家には、その昔に取り溜めたビデオ・テープは、まだまだあり、そこにどんな映像が眠っているのか楽しみはつきないのですが、これらアナログ映像をデジタル化していく作業も結構時間が掛かる作業で、そろそろ秋口の繁忙期を迎える仕事のこと考えると、これを続けることが段々重荷になって来てしまったのです。

そこで、今回がラッキ-7のケジメとなることから、とりあえず古のライブ映像記事は今回で一旦打ち止めとすることにしようと考えています。


とは言いながら気合を入れ直して、取り合えずの最終回となる今回のライブ映像は、これまで続いて来た1989年のライブ映像から、この年の11月22日に開催されたFujitsu Concord Jazz Festival での晩秋のコンサートらしく渋さを極める二組のアーティストのライブ映像をご覧いただこうと思います。


さて、その渋いアーティストとは、

この写真の人たち!!
SnapShot wess3.jpg


1951年に再結成されたCount Basie Ochestra(いわゆるニュー・ベイシー)でこのバンドの第2黄金期を築くに大きな役割を果たした、テナー・サックス、フルート奏者のFrank Wess と

SnapShot Wess2.jpg


彼の率いる Orchestra、

そして、

SnapShot  benett2.jpg


あのFrank Sinatraをして、「アメリカ音楽界、最高の歌手」と言わしめたヴォーカリストの Tony Bennettの
世界の音楽界を長き渡り支えて続けた二組のアーティストの登場です。


それでは、その彼らの演奏、まずはFrank Wess のOchestraの演奏から、ご覧いただくことにいたしましょう。



曲は、”Li'l Darlin' ”。

ご覧いただき、察しの良い方ははもうお気付きかと思いますけど、この演奏はまさにCount Basie Ochestraの演奏そのもじゃないかと思われたのではないかと思います。

それもそのはず、Count Basie Ochestraは、1984年に御大のBasie 没後、解散とはならず、その後は後に残ったこのバンドのメンバー達によって代々継承され、現在もトランペットのScotty Barnhartがリーダーを務め存続しているのです。

ということからこの映像は、このバンドの生き残りメンバーの一人であるFrank Wess が、リーダーを務めていた時期の、”Post” Count Basie Ochestraのものだということなのです。


さて、この映像を見た私、実は、Frank Wess がリーダーを務めていた頃の”Post ”Count Basie Ochestraの音源がCD・DVDになりどの程度発表されているのかと思い、ディスコグラフィ等・いろいろ資料を調べてみたのですが、そうした中で、なんとかドイツでこの映像の日本でのコンサートの演奏がCD化されているのをみつけたものの、これ以外には見当たらず、どうやらこの映像、結構貴重なもののようだということを知ったのです。


という訳でその貴重映像、続けてもう1曲。
それではBasie楽団と言えばやはりこの曲、

Frank Wess 率いる”Post” Count Basie Ochestraの演奏で、Basie 存命中のこのオーケストラのライブでのエンディング・テーマとして演奏されていた”One'clock Jump”の演奏をご覧下さい。















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20世紀を代表するエンターテイナー達、夢の来日コンサート☆ 本日の作品;vol.147 [デジタル化格闘記]

曇天の毎日が続いた今年の夏の始まり。
その日を遮る厚い雲の群れが去ったと思いきや、突如やって来た真夏の陽射し。
体も慣れぬ間もなく襲って来た猛暑の日々は、私のような老骨の持ち主にとって、かなりの厳しく辛いもの。

しかし、6月終わりから7月の間の長き曇天の日々から来る観測史上最長の記録的日照不足は、私のようなロートルには、1993年の夏、天候不順で低温が続きこれより冷害が発生、東北を中心に米の収穫が激減して日々食卓にのぼる米の入手が困難となった、平成の米騒動のことを思い出させることとなり、またそのような事態がまた来るのではと心配していたのところ、今度は一転しての好天とそこからそそぐ暑い日射し。
確かに体には堪えるものの、これで平成の米騒動ならぬ令和の米騒動は免れたと一安心。
やはり暑いとは言え夏の陽射しは生物の営みには欠かせないものと、今は積極的にその日差しを浴び(熱中症には注意して!)、自然に体を馴染ませ元気を養う日々を過ごしているところ。


とそんな毎日を過ごす中、これまで続けてご紹介して来た昭和の終わりから平成の初にかけてのライブ映像、これまで貴重な映像の数々の出会えたことから、以前より気付きながらも後回しにし来た”Super Concert”の見出しのついたビデオ・テープ。
「これ、何のライブ映像だったけ?Superと名があるならもしかすると掘り出し物かもしれない。」考え、そろそろ見てみなければと重い腰上をげテープをビデオ・デッキに差し込み見てみることにしたのです。
そしてそこに現れたのは、

SnapShot.jpg


この写真の3人による来日ステージのライブ映像。

何とその3人とは!!


世界的シンガーであり俳優のFrank Sinatra、Sammy Davis JrとLiza Minnelliの 20世紀ブロードウェイを代表するエンターテイナー達!!!

「あれ!!これは凄い。超大物の3人が共演来にしていたなんて」といつ頃の来日公演かと見て行くと、平成になって早々の1989年2月のテロップが出てきたのです。

これまでの記事にも1989年のライブ映像がよく出て来ているので、私が意図してその年のものばかりを選んでUpしているように思われるかもしれませんが、私としては恣意的にそうしているわけではなく、たまたま見つけデジタル化作業をしようとした映像がどういう巡り会わせか1989年のものばかりなってしまっていつという状況。

もしや、平成の神様に見入られてしまったのかと思うも、そのこと視点を変えて考えてみれば、この1989年という年はバブル景気の真っ只中、そうしたことからスポンサーもつき易くなっていたマスコミ側もそうしたイベントへの取り組みに積極的になっていたことの証左と思われ、その順風を受け平成となってさも早い時期に収録されたのが、このビッグ・エンターテイナーのライブだったのでは思えるのです。


それはさておき、

それでは20世紀を代表するビッグ・エンターテイナー3人のステージ、四の五の語るよりはということで、豊かな表現力で彼らの世界に見る者を否応無しに引きずり込んでしまうそのエンターテイメント力、まずはご覧いただくことにいたしましょう。



一部の隙もない見事なステージ・ワーク
セット一つないステージであるはずなのに、セットの組まれたミュージカル映画のワン・シーンが見ているような気にさえなってしまいます。

歌だけでなく3人の優れた演技力の成せる技なのか。
さすが、50年代60年代を席巻した、ブロードウェイの大エンタ―テイナー達だからこそのステージ、私も知らなかった曲ばかりの演目でしたが、すっかりその魅力に惹きこまれてしまいました。


さて、そうしたビッグ・エンターテイナー3人、といっても30年前以上前に活躍したアーティスト。若い方々の中には、エンターテイナー言えばMichael Jacksonなら知っているけどこんな人達は知らないという方も多いかと思いますので、ここで簡単にその彼らのプロフィールに触れておきたいと思います。

まずは、軽やかな動きとハリのある歌声を聴かせてくれていた小柄ではあるけれどその存在感をステージ一杯に見せていた黒人男性歌手のSammy Davis Jr。

1954年にレコード・デビューしたSammy Davis Jr、その類まれな才能によりその作品は大ヒットとなり、その後はミュージカル、そしてこの時期、既に米国の音楽界の重鎮的存在となっていたFrank Sinatraの評価を得、シナトラ・ファミリーの一員として映画界に進出、そのどこか剽軽さを感じさせるキャラクターのあいまって、スターダムの地位を築き上げたアーティストなのです。
特にその彼の芸域の広さは歌や演劇だけ留まらず、絶妙なリズム感から生み出されるタップダンスや時には
SinatraやMichael Jacksonの物真似までするほど、実に多彩なエンターテイメントで大いなる人気を博していたのです。
そしてその人気は日本でも、1973年に放映されたサントリーホワイトのテレビCM出演での絶軽妙な演技で、当時、お茶の間深くまで浸透していたことが思い出されます。



そして、紅一点のLiza Minnelli。
彼女は、1939年に上映されたミュージカルの名作”オズの魔法使”で主演のドロシー役を務めた 女優Judy Garlandの娘で、1963年にブロードウェイでのデビュー、1973年、映画『キャバレー』で主演を務め、アカデミー賞主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞をダブル受賞、その歌唱力と演技力が高い評価を受けているアーティスト。
この1989年の来日でも、ただ歌うだけでなく、さりげない演技を付加した立ち回りでその歌の背後にある情景や空気を漂わせていたステージは、さすが母と子の絆は争えないものと深く印象に残りました。



と、ここまで来れば、もう何にも語ることはいらないと思うのですが、最後に控える超大物アーティストの、Frank Sinatra。

1930年代に登場以後 生涯を通じアメリカの音楽界を象徴するシンガーとして、その頂点に君臨し続けた偉大なるエンターテイナー、若い方々でも音楽ファンであるならば、どこかでその名を聞いた記憶があるのではないかと思います。


と、拙いプロフィール紹介でしたが、何とか全員を語り終えたところで、次に進むはそうした彼らが織り成すステージ・サウンドの万華鏡世界。
この辺で、それぞれの豊かな個性溢れる世界、そのステージをご覧に入れることにしたいと思います。

この顔ぶれからして、まずは今も多くのファンに馴染まれているSinatraの世界から、と行きたいところですけど、やはり大御所から始めるのはいかがなものというところで、それはトリの楽しみに残し、当時のステージへの登場順に従って、まずはSammy Davis Jrのステージからご紹介して行くことにいたます。

それでは、剽軽な物真似からシリアスな歌の世界、そしてダンス、そうした彼の多彩な才能を秘めたステージ映像、とくとご覧ください。










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