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2023年 習志野第一空挺団降下訓練初め [閑話休題]

2023年も、早2週間が過ぎ、今はお正月気分も抜け、皆ようやく日常の生活に立ち戻ったところではないかと思いますが、

私の今年のお正月、どこに行くでもなく5日までお休みを頂き、ゆっくりと骨休みをし過ごしていたのですけど、そのお休みの最終日、家の中で過ごしていても、いつもに増して表の様子が賑やかしい。

そこで、表に出て空を見上げ眺めると、陸上自衛隊の大型輸送用ヘリコプターCH-47チヌーク5機が、編隊を成して我家の上空を飛び抜けて行く。

これは、賑やかしいのも当たり前!!

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空挺団が駐留する我家近くの習志野の自衛隊、毎年お正月明けの最初の休日に習志野演習場での初降下訓練が一般公開で開催されるのですが、これはまた事前の訓練飛行?をしているのかなと思うも、今年は飛行機数が5機とは例年に比べかなり多いように思える。

そこで、今年の演習の演目はどうなているのかと調べてみると、今年の演習にはアメリカ、イギリス、そしてオーストラリアの空挺団も参加するとの案内。

なるほど、これなら飛行機数が多いのも、さもありなんと納得しつつ、海外の部隊参加の降下訓練。
これは、とにかく初めてのこと!!

ならば今年は、久々に演習を行ってみようかとの気が湧いて来て、久々に見に行くことにしたのです。



そして、1月8日の訓練開催日、当日。

演習場に向かう車で渋滞する成田街道を横目に、徒歩で目的地向け出発。
途中、習志野駐屯地前に差し掛かると、掲示板に第一空挺団降下訓練初めのポスターが。

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開催日に間違いがないことを確認、一安心して再び歩き始め、ほどなく演習場入口に到着です。

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さて到着したこの演習場、実は近代日本陸軍にとっては歴史的な場所。

この地、江戸時代には徳川幕府の馬牧であったところなのですが、幕府が倒れた後の、明治6年(1873年)4月29日、明治天皇ご臨席のもと、その御前で初の近衛兵の演習が行われた場所なのです。

そして、さらに、この演習には、歴史上超有名なさる人物も参加していたのですが?





さて、その人物とは..............??






その人とは、当時、唯一の陸軍大将であった、西郷どん こと西郷隆盛。

しかし、その登場、体格を生かした堂々とした馬上姿と思いきや、この時の西郷隆盛、肥満のため馬に乗れず馬の前をトボトボと歩いて出て来たとのことで、その姿を見た天皇は思わず笑いを漏らさられてしまったのだとか。


そうした英雄の隠された恥辱のエピソードが残る習志野ですが、その地名の名付け親は明治天皇。
近衛兵の演習の翌月に命名されたその地名の意味は、なんともカッコの悪さが目立った西郷どんの姿とは裏腹に、配下の陸軍少将 篠原国幹の颯爽とした見事な指揮ぶりに感服した天皇が、「習え篠原」と言う意味を込めて習志野ノ原と名付けたというのです。

この地名譚、他にいくつかの説があるようなのですが、西郷、篠原の出身地である鹿児島に住み、西郷どん生誕地の傍で暮らしたことのある私にとっては、「習え篠原」説がしっくりと来てしまう。

なにはともあれ、歴史的由緒あるこの習志野演習場。
興味があれば、この辺りの事情、さらに考察していただければと思います。

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そして、その歴史譚に感慨を覚えながらとことこ歩いて、辿り着いた演習場の入り口。
その門をくぐったその眼前で出迎えてくれたのは、

2機の攻撃用へリコプターAH-1Sコブラ。

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なんとも迫力のあるその雄姿!!
これから始まる訓練への期待が湧いて来ます。


出迎えのコブラを眺めながら進んでいくと、今度は会場の案内板が立っています。

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昨年は、コロナ拡大のため一般公開は見送られたのですが、今年も行動制限はなくなったとは言え、コロナの嵐は去ったわけではない。
そのため、今年はこの会場でも入場時の検温、手荷物検査が実施されているとのこと。

まあこれもご時世、しっかり検査を受け潔白の身となったところで、右手に射距離200mの屋内射撃場を眺めながら、さらに歩いた先の分かれ道奥にあったのは。

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画面をクリック拡大して装甲車の前の青い看板を見てください。




航空自衛隊 習志野分屯基地とありますね。

ここは、防空用の地対空ミサイルであるパトリオットミサイルを運用する第1高射群第1高射隊が駐屯しているところ。

2013年の初降下訓練を訪れた時には、このミサイル発射機トレーラーも演習に登場、そこで私も初めてそれを見て、家の近くにこんな強力兵器があることを知り、ずいぶん驚かされたものでしたが。

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その基地、よく見るとのミサイル基地であることを明かすかのように左右にミサイルのようなものが設置されていますね。



場内に入って約2㎞、我家から5㎞ほど歩いただろうか、ようやく演習観覧地に到着。

そして、そこで待つこと10分ほど。

晴天の空にヘリコプターの爆音が近づいくるのが聞こえて来した。

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そして、頭上にCH-47チヌークの姿が!!!

お待ちかね、いよいよ降下訓練の始まりです。


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早いものであれからもう10年!~東京スカイツリー開業10周年~  [閑話休題]

今や当たり前の日常となってしまった如く、大都会東京のシンボルとして勇姿を誇る東京スカイツリー。

開業10周年の報を聞き、このスカツリー建設の準備段階において僅かながらにも携わることになってしまった私にとっては、もう、そんなに時は過ぎてしまったのかと思いつつ、感慨深さもひとしおとの想いを感じているところ。

そうしたことから、当時撮ったスカイツリー誕生までの思い出の写真を取り出し眺めていたのですけど、今や当たり前となったスカイツリーの今や見ることの出来ない日々成長していく姿が、なんとも圧巻で懐かしく、今回はその建設の写真を見ながらその軌跡を辿ってみることに致しました。


まずは、今のスカイツリーの立っている場所、以前はどんなところだったのか、その風景からご覧いただくことに致しましょう。


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これが、現在スカイツリーの足がある辺りの当時の風景。
東武鉄道の線路と反対側の川のあたりはこんな風でした。

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ずいぶん殺風景な場所でしょ!!

実はこの場所、昭和24年に日本で初めて生コン工場が出来たところで、スカイツリーの着工前にはその生コン工場とセメント出荷貯蔵基地、砂利の集積場の他、東武鉄道の本社があった場所なのです。



さて、このスカイツリー、2008年7月に着工したのですけど、着工前はその事前準備の仕事でこの場所によく来ていた私も、ここでお役は御免。

しばらく、足が遠のくことになってしまったのですけど、2010年に入ると毎朝乗る総武線の通勤電車の車内から、その立ち上が行くその姿が見えるようになって来たことから、2010の4月、久々にその地を訪れてみることにしたのです

その時のスカイツリーの姿こちら!!

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まだ、第一展望台は出来ていませんけどかなりの高さ。

スカイツリーの足元には、

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その高さを示すこんな看板ありました。

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349mというと東京タワーを越える高さ、高いと感じるのも当然でですよね~。

そして、対岸の川べりには工事の進捗、工程を表示したこんな案内板がありました。

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それから2か月、電車の中から外を覗いて見てみると、

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下層の第一展望台が立ち上がっています。

そして、さらに2ヶ月後の2010年8月

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第一展望台の上に工事用クレーンが立上り、さらに上へと伸びてい行く様子が伺えます。
それにしても、あの展望台上のクレーン、地上から物を吊り上げているところを何度も見たのですけど、地上から450m以上のところから吊り上げているのに、吊り荷が大きく揺れることがなく、いつも整然と上がって行く様子は本当に圧巻でした。

そこで2010年11月、そろそろまた建設現場にまで足を運んでみよう出掛け撮ったのがこの写真。

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スカイツリーの隣に立つ建設中のビルは、東武鉄道の本社ビル。
この辺りは一帯の土地の多くは東武鉄道の所有で、ビルが建てられている辺りは、元はコンクリート・ミキサー車やセメント・タンクローリーの駐車場として使用されていた場所。

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ツリーの足元も、重機が乱立し、ごった返していた4月の状況と比べ、かなり完成後の姿に近づいてきたかのように見えます。

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この年の年末のスカイツリー。上部第二展望台も設置が終わり、いよいよ最上部の建設が始まっている様子がうかがえます。

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この日、スカイツリーで立ち退きとなった生コン会社の事務所を訪れたところ、こんなカレンダーが..........。

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建設開始後、日々成長していくスカイツリーの写真を収めたカレンダー。
画面をクリック 拡大してご覧になれます。


そして明けて2011年。
2月になるとアンテナ部分も次第に立ち上がり、完成も間近の様相。

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その後、ほどなく外観は完成。

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この後、2012年の3月の竣工に向けて内装工事や機材のテストをしていたようなのですけど、その間、スカツリーの下層第一展望台より強い光が放たれているのを見たことが思い出されます。
それにしても、あの光は一体、何だったでしょうか。


さて、開業後あの殺風景な場所はどう変わったのか、と言うことで出掛け見て回ったのですが、昔の面影は唯一、川沿い部分に残すのみで他には何処にもない。

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その唯一の場所がこの写真。
この場所は、上のコンクリート・ミキサー車が並んで止まっていた写真の場所なのですが。
モダンな街構えに変貌を遂げてました。


今では、平野の至るとこで威容を見せるスカイツリー。
確かに、これが出来たことで怪しげ飲み屋が並んでいた錦糸町駅前をはじめ周辺は下町から綺麗な東京を代表する街となったけれど、スカイツリー建設前より幾度となくこの地を訪れていた私にとっては、この写真を見るにつけ、あの殺風景ではあるけれど周辺に下町の空気を残したあの風景の方がしっくりと来るなと考えてしまいました。

そうは言っても、早10年。
今や、スカツリーは東京を象徴する景観の一つとしてすっかり定着してしまったという感じ。

私のお気に入りのビュー・ポイントである隅田川大橋からの雄姿を眺めながら、明日の活力を養うことに致しましょう。

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歴史の波に翻弄された二人が過去を忘れて集った庭  -松戸・戸定邸庭園- [閑話休題]

前回の記事でも冒頭、今年は梅の花の見頃が1週間近く早いように感じるというお話をしましたが、そうしたことから、最近では家の周辺や通勤途上に咲く梅の花を見かけるついつい眺めてしまうようになってしまい、そうこうしているうちに、梅林に群れ咲く早春の風情に浸りたくなり、どこかそうした場所へ行ってみたくなってしまった私。

ということで、どこを訪ねたら良いかのか思案し、やはり梅林と言えば水戸の偕楽園か!と考えるも、 
しかし!!

新型コロナ・ウィルスの猛威が吹き荒れる中、年寄りの不用心な遠出は憚るべきではなどと悩んだ末、ふと浮かんで来たのが、季節は秋であるも18年ほど前に訪れ見た、梅の木が立ち並んでい松戸にある戸定邸の庭園風景。いつかは、梅の花の季節に、ここに訪れてみたい思いながら、それきりになっていたこともあり、我が家からも1時間足らずで行ける場所ということで、さっそく出かけてみることにしたのです。


かくして訪れたその場所、その入口まで来てみると、古風な風情を湛えた門脇にいい塩梅に白い花をつけた梅の木が立っています。

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これは考えていた通り期待できそうと、勇んで門をくぐり抜け、母屋入口の前まで来てみると、

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今度はその建物の前に、あったのは!!

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満開の桜!!

早咲きの寒桜が誇らしげに枝一杯に花を咲かせ、一足早い春の訪れを告げるかの如く来る者を迎えくれています。

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さて、早くも春の装いを纏っていたこの戸定邸という所、 
ここは、徳川幕府最後の将軍である15代慶喜の異母弟で、水戸藩、最後の藩主(11代)であった徳川昭武が、別邸として建設、明治19年(1884年)に完成させた後、その後半生を過ごした、現在は国の重要文化財ともなっている唯一、一般公開されている徳川家の住居として知られる場所。

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さらに、この建物の前面に広がる庭園は、徳川昭武庭園(別称:戸定邸庭園)と呼ばれる、前面に芝生を敷き詰めた日本最古の洋風庭園であり、こちらも国の名勝に指定されている場所なのです。

そして、この館の主である徳川昭武という人、藩主となる前、徳川幕府最末期の1867年にパリで開かれた万国博覧会に徳川将軍慶喜の名代とし出席、その後、再度パリに留学したという経歴の持ち主で、その時に触れた西洋文化、洋式庭園に感化され、自身の監修の下、和の中にさり気なく洋を混ぜたこの庭園を造らせたのだというのです。

皇族、そして兄 慶喜も訪れたという、特に兄 慶喜とはこの庭でお互いが趣味であった写真を楽しんでいたということで、この庭園を眺めながら目を閉じてみると二人が、撮影に興じ互いにプロ裸足だったいうその腕前を競い合っていたその姿と屈託ない笑い声が見え聴こえしてくような気にさえなってくるのです。

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時の明治天皇に謁見し長きにわたる逆賊の汚名を晴らした慶喜を祝い招き、互いに歴史に翻弄された過去を忘れて喜びあい、晴れた心でカメラに興じる兄と弟、そうした微笑ましさを感じる歴史の一駒がここにはあったのです。

しばし、そうした歴史の余韻に身を浸したところで、次に向かったのはお目当ての母屋の先にある梅林。

果たして、その花の様子は.......

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来るべき春の暖かさを感じられる、期待通りのこんな風景。

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地面しっかりと根を張り、可憐な花を咲かせている梅、桜とはまた一味違った美し趣が、そこにありました。

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園によれば、紅梅の見頃が終わり白梅が見頃を迎える時期となっているとのこと、私が訪れたこの日はちょうどその端境期だったのか、紅白ともほどよく調和して艶やかさ満点という感じ。

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しばし、歴史と梅の告げる春の香りに浸っり思ったのは、江戸時代、水戸街道の宿場町として栄えたこの松戸いう街、日頃は何気なく通り過ぎているも、あの水戸の黄門様こと光圀公はじめ歴史的由緒が秘められた街であるということ。

今度訪れる時は、今回の戸定邸訪問で得た知見を元に、この地に残る隠れた歴史の痕跡を探し歩いてみたいと思いました。

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帰路、買い物をして行こうと津田沼の街に立ち寄り、何の変哲もない児童公園の前を通りがかると、ここにも早咲きの桜が..........

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こんなところにも、早咲きの桜の木があったのかと思っていたところに、どこからともなく聴こえて来たのがこの音楽。

Bill Evansのピアノによる”Spring is Here ”

最後の最後まで、早い春の訪れ鑑賞三昧となった今日一日でした。






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和みの空気を運ぶ、紫陽花の咲く街角 [閑話休題]

前回の記事から1ケ月、長い間お休みをしてしまいましたが........

実はこうなったのも、今年は4月から、災禍続きの私。

以前にもお話しをしましたが、4月に薬の副作用で胃腸障害を引き起こし1ケ月近く満足に食事を摂ることが出来なかくなったのを皮切りに、その回復の兆しが見えたところで、今度は齢90歳を越えた父が、インフルエンザを発症し入院。

高齢でのインフルエンザ発症、これは命取りになる見舞いに行かなければ思うも、2週間で6㎏も体重を減らしてしまった私は、著しい体力低下招来のまっただ中、、何をしてもすぐ疲れてしまう状態で、今生の別れとなるかもしれない事態を前にして、出掛けて行くとなどということもまならずという有様。

しかし、幸いにして父の病は回復しなんとか退院、私の方も、やっとのことで体力回復の兆しが見え始めていたことから、これで一件落着、これで父を見舞うことが出来ると安堵していたところに、今度は、ここ暫く症状が治まっていた30年来のお付き合いとなるアレルギー性皮膚炎の再発。

この病気、これまでなら売薬を飲めば治癒していたものが今回は全く効かず症状は悪化するばかりで、これは医者にかからねばと治らないと、はたまた病院通いをすることになってしまったのです。

そして、その病気も医者が処方してくれた薬のおかげで快方へ向かったのはいいですけど、負の連鎖はこれで収束に向かわず一難去ってまた一難。

今度は、さらに大きな、負の打撃の大きな一振りに見舞われてしまうことになってしまったのです。


それは、父の死


90歳を越えていた父、その年齢でのインフルエンザ発症といえばまず助からないと、私たちも覚悟したのですけど、見舞いに行き励ましを重ねたところ、どうにか元気を取り戻し、その回復の様子に医者も驚いていたことから一旦は安堵したのですが.........

やはりとインフルエンザとの闘いは、90歳という年齢にはかなり厳しいものであったようで、それから1週間後、その体力のすべて使いつくした末の出来事だったようなのです。








そうした鬱陶しさに加え忙しさの加わった毎日を過ごすことになってしまった今年の私の6月、目まぐるしく動き過ぎ行く時の中、その心と体は、憂い荒みがちになり疲れ果ててしまっていたのです。

そして、こんな調子では、またひとつ隠れた病が頭を出してくるのではと心配していたところ......

日々過ごす日常の街角で、その思いを救ってくれる予期せぬ救世主に出会うことになったのです。


ぞれは、忙しく実家と病院の間の平凡な街角を往復する日々、そこで見つけたこの季節ならではの和みの風景の一コマ。

この季節、当たり前のように街角に咲いている紫陽花の花の姿だったのでした。

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これまで全く気付いていなかったのですが、この紫陽花、その和みの空気に惹かれて注意深くいつもの街を歩き見てみると、普段見慣れた街の風景のいたるところに季節の彩を醸し出し咲いていることを知ったのです。

ならば、その一つ一つを訪ね歩いてみれば、負の連鎖に痛みつけられた私の心もその憩いの空気で癒し潤して治すことが出来るかもしれないと思い、それらをつぶさに観察してみると、普通に知られる紫陽花とは異なった花をつけた紫陽花を多々見つけることになってしまったのです。

例えばこの紫陽花

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良く見ていただくと、その前の写真の紫陽花とは一つ一つの花の形が違うことが、お分かりなるのではと思います。

おまけに、普通は、紫陽花の花色、酸性の土壌では青い花を、アルカリ性の土壌では赤い花をつけるといわれているのですけど、こちらはその双方が混合し咲いています。

そして、果たしてこの花の咲くここの土は酸性?アルカリ性?......................と、
この青と赤の花が混じり咲く様子に首をかしげながらさらに歩いていると、次に出会ったのは,

さらに驚きの、このガクアジサイの花 !!




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船橋、今と!! それを育んだ歴史の跡 (その3;中・近世、町の発展編) [閑話休題]

前回は、この次に訪れたこんな場所、

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と、この写真を残して、記事を終えましたが、今回は、そうした過去の営み残照を感じる、この町の中近世の名残を探し求め歩いた、その道行きをまた続け語ってみることにしたいと思います。


ところで冒頭に掲げた、住宅に囲まれたこの写真の場所、これは何かお分かりになりますか。


家々に囲まれた場所に鳥居、差し詰め、それは古くからの商店街に残ったお稲荷さんだろうって!!

確かにそう見えなくありませんが、この社に祀られているお方は...........?




この絵のお方!!!!!!!

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高僧のようにも見えますが。

となればこの社、お稲荷さんではありませんよね。


この絵は、そのお方が、第3代将軍 徳川家光公の夢枕に立たれたその時の姿を描いたもの。

となると、その人を祀るこの場所は????





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船橋、今と!! それを育んだ歴史の跡 (その2;その名の始まり編) [閑話休題]

今回も前回に引き続き、私の住む町、船橋のお話。

ふなっしーとアンデルセン公園の影響か、近年、全国住みたい町の上位にランクされるようになった船橋、このこと、私が住み始めた頃は、常にワーストにランクされていたことから考えると、それはにわかには信じられないことだ思いながらも、世間の評判を呼ぶようになったその町に住む私、それまでどうせたいした所ではないと感じ振り返り見ることなかったこの町のこと、よく考えてみると「そういえば長年住んでいるのに船橋の歴史、あまりにも知らなすぎる」ということに気付き、この町の成り立ちを一念発起調べてみることにしたのです。


そして、調べ始めてみてまず驚いたのは、世間的にはあまり知られてはいないことだと思いますが、この地、縄文時代の遺跡である貝塚の多い地域であるということ。

さらに驚いたことにその貝塚、、平成20年に発掘調査された取掛西貝塚などは、現在発掘された市内の遺跡の中ではさも古いものだそうで、縄文草創期に属す1万年前のものであるのをはじめ、市の史跡公園としなっている7000年前の飛ノ台遺跡など、多くの古い縄文遺跡が市内各所に点在してあるという事実。

特に10000年前という取掛西貝塚遺跡の貴重性、縄文遺跡としては特に有名な、あの青森県の三内丸山遺跡が、今から5000~4000年前の縄文中期に最盛期のものだということを考えると、この地に人々が集落を作り住み始めたことのその古さ、そのことがよくわかるのではないかと思います。


そうした遥か古の昔より人々の営みの痕跡を宿すこの地、この様子なら中央の歴史書には語られていない、隠された歴史の痕跡と出会えるのではと考え、今度は、船橋という町の隠れた伝承を宿す地を探し町を訪ね歩るいてみることにしたのです。


そうして、まず訪れてみたのは、船橋の地名語源とされるこの場所。

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海老川に架かる海老川橋。

中近世には、海陸旅の重要拠点の宿場町として繁栄したという船橋、その船橋の家々が立ち並ぶ本町通の東のはずれ近くに架かるこの橋、この橋のある場所が、この船橋の地名由来の場所だというのですが、その謂れは 日本最古の歴史書である日本書紀・古事記の征西・征東の説話で知られる、日本武尊が東征の途上、当時は現在より水量も多く川幅の広かったこの川を渡河することが出来ず難儀していたところ、地元の民が小舟を並べて橋を渡したというのが、この船橋とう地の名称発祥の由来なのだとか。

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日本武尊というと第12代景行天皇の皇子で、大和朝廷創成期にその勢力拡大に活躍した伝説の人物ですが、その舞台となった時代は、今から1500年ほど前の古墳時代のこと。

そうなればこの地名譚、現存する史書で、この地名が確認できるのは、鎌倉時代に成立した「吾妻鏡」だというのですが、書記などにある古い説話がその発祥譚と関係づけられている考えると、その成立の時期はさらに遡るれる推定できるのではと考えてしまうのです。


..........................###!!

と、ここまで書いてふと思いあったのが、平安時代初期の史書「日本三代実録」に名を見せる、今もこの地に鎮座する、現在は船橋大神宮の名で親しまれている下総国意富比神社の存在。

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現在は、かっての宿場通りの東の端に鎮座するこの社なのですが、当初はそれとは逆の西の端にあったというのです。

それがこの社。

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今は入日神社と呼ばれているこの社。

この社、JR総武線の線路を跨ぐ国道14号線の跨線橋の影になり、よく注意して歩かないと行き過ごしてしまうような場所となってしまった所にある社なのですけど、実は、このどこにでもあるような何の変哲のない社が、「意富比神社」の元宮だというのです。

その由来によると、海路により東京湾横断し、上総の国今の君津近辺に上陸した日本武尊が、次に上総を出帆し上陸したのが、下総の国のこの場所だったというのです。
そしてその後、その地の人々によって、尊の遺徳を偲びかつ郷土の守り神として、その上陸地に建立したのが、この社だと語っているのです。


こうやって、今に残る伝承の断片を見て行くとこの地の地名譚、元々海運・漁労を生業としていたこの地の集落の人々が、その安全・豊漁の願いを祈っていたこの元宮に、その昔、関東各地広くに多くの伝承を生み残していた、嵐に会いながらも東京湾を渡り関東一体に朝廷の威徳を広しめた日本武尊の遺徳にすがり、日々暮らしの救いを求め、自然発生的に日本武尊と船橋の地名を結んだ地名発祥伝承が生みだしたのはと思えて来たのです。


今でも、船橋大神宮の境内に建つこの建物。

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長きにわたり、海と共に生きて来たであろうこの地の人々を見守って来た船橋大神宮灯明台、その建物を見るにつけ、この地に暮らした人々の、古代の英雄にその暮らしの安寧を託した心の内の祈りの囁きが聞えてくるような、そんな気さえしてくるのです。




夏に逆戻りかと思うような暑い日に続いたかと思えば、突然、間もなく冬到来を感じさせる日々が続く、超気紛れな今年の秋の空模様。
これは老いた体には毒になるとばかり、先日仕事に合間の休息をと立ち寄った、埼玉県岩槻市にある岩槻城址公園で出会ったこの風景。

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驚いたことに、早、平地にも紅葉の季節が訪れていた。
ここ数年に比べ1ヶ月近く早いその訪れに、風邪ひき易体質の私、よく大丈夫でいれたものだと、病気にならぬようもう一度その気を引き締め直しながら、その様子を楽しんできました。


さて、調べれば、調べるほどその奥深い歴史に触れられる私の住む町船橋、次回の行き先は、この町がさらに発展をとげた近世のこんな場所を訪れ、そこから見える風景を味わうことにしたいと思います。

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船橋、今と!! それを育んだ歴史の跡 その1 ≪ふなっしー地上降臨5周年≫ [閑話休題]

船橋、私がこの地に住んでから、気付いてみれば、いつの間にやら30年。
そもそもは、仮初の寓居のつもりだったのですけど、昨今は、ここまで長く住むことになろうとは考えていなかったと思いながら、、先日、毎日お世話になっている、我家の最寄を走る新京成電鉄に乗っているる.........???

いつもは電車に乗りシートに座ると即、惰眠を貪ってしまう私、この日もご多分に漏れずいつものように惰眠を貪っていたのですが、電車が駅に停車するのを感じたところで、どういう訳か、どの辺まで来たのだろうかと、ふと目を開けてみると、いきなりその目に飛び込んできたがこの駅名表示板。

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何故か、駅名の横にふなっしーの姿絵が!!!
さらに、よく見てみると、駅名”みさき”の”さ”と”き”の右下には小さく小さな”っ”と”ー”の文字が!!

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”みさっきー”
この間書き、最初はふなっしーの絵を見た悪餓達のゴロ合わせ狙ったいたずら書きかと思ったのですけど、他の駅名板を見てみると、他も皆同じようになっている。

これはいくらなんでも手が混んでる、となるとこれは、この駅の所有者、新京成電鉄の仕業??

近年、電車や駅をピンクと白のツートンに塗り替え、田舎私鉄のイメージの払拭に懸命な新京成電鉄。
船橋市にある三咲駅、この駅名をご当地人気キャラの”ふなっしー”をもじって”みさっきー”とする味なマネ、ずいぶんこの会社も変わったものだ思いつつ、ならば船橋市内にある他の新京成電鉄の各駅にも何か仕掛けがあるのではと考えて、後は寝ずに他の駅の様子もよく見てみたのですが、特に変わったものなのもなし。

なれば、深夜22時から翌朝7時まで無人駅となる新京成線の中でもローカルな部類入ると思える三咲駅、そんな駅にあれだけの仕掛けの意味、それは一体何???

そんな疑問を抱き続けながら、翌日も新京成電車に乗って車内を見渡すと、目に入って来たのがこの社内広告。

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それは、ふなっしー地上降臨5周年と、新京成電鉄70周年を祝うコラボ企画の広告。

それによれば、
ふなっしートレインの運行や、三咲駅のふなっしー部屋の登場、ふなっしートレイン記念乗車券の発売など。いくつかの記念イベント企画されているとのこと。

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その中で、特に私の気を惹いたのは、昨日見たふなっしーだらけの三咲駅の有様から、その駅に設けられたというふなっしー部屋の存在。

一体、どんなものなのか一見してみたい、見ればあの時思った疑問も氷解するかもしれないと、帰宅時に早速寄って、見てみることにしたのですが..................!!




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春の風に誘われて! [閑話休題]

今年の桜、東京では例年より早い3月21日に開花宣言があったものの、その後は、冬に逆戻りしたような天気続きの毎日で、その桜の花も今にも咲きそうなピンクの蕾を膨らしながらも、もう一歩その殻を破り開くこともできず、毎日の通勤で四ツ谷外堀土手の桜並木の下を歩き通う私も、その様子を眺めながら、桜の花が樹木を覆い尽くすその日を待ちどうしく過ごしていたのですが..............。

しかし、それから1週間後。

ようやく春の暖かさが戻って来た日の朝、この陽気ならばあの固い蕾ようやく開き始めたのではと期待を持って、いつもの土手の並木道に来てみると、昨日まで今にも咲きそうに蕾を膨らませていた日影の一本の小枝に、やっと開くことが出来ました言わんばかりに、一輪の桜の花が、誇らしげに可憐な花を咲かせていたのです。

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それに続けてさらに、日当たりの良い、道路際の枝を見てみると

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こちらの方は、今にも開きそうな蕾を後に従えて、さらに多くの花を開かせていました。



そして、翌日の朝には、

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まだ、咲く花まばらであるにもかからず、早くも、その開花を待ちに待った人たちのお花見を場所を確保しようとするブルーシートが、至る所に敷かれていたのです。

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ようやく訪れた、春の日々。

そこで、私も今年は、いつもの四ツ谷外堀土手の桜から離れて、街の至る所に芽吹いるだろうと思われる春の気配を探し散策してみることにしたのですが。






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気付いてみれば1か月が過ぎてました。 [閑話休題]

突然の家族の入院。
無事退院できた思いきや、今度は会社の方、突如舞い込んできた予定外の大仕事に、全員、いつも2~3倍程度の仕事を熟さなければならないほど大忙し。

おかげで、ゆっくりと時間をとることもできないまま、気付いてみれば1か月以上もブログの更新が途絶えてしまうことになってしまいました。

しかし、忙しい日々はまだまだ続くし、このまま過ごせばばいつ更新できるかわからない、この辺で近況報告も兼ね、なにかしなければということで、今回は忙しい日々訪れた場所で見た秋の風景、そうしたお話で久々の更新をすることにしたいと思います。


そこで、まず最初の風景は、

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山梨県中央市から望む夕焼けに染まる八ヶ岳。

今年の秋は、あまりの忙しさに、ちょっと仕事の合間にとその土地の風景や風土を楽しむ余裕も失っていたのですが、この日は、まもなく仕事も一段落というところで、西の方角を望んでみたところ、夜の明かりがともり始めた裾野の街並みのバックに、夕日に染まった八ヶ岳の山容が目に入り、その姿が、いつもに増して美しかったことから、思わずシャッターを押し収めてしまったもの。

いつも見慣れた風景でも、夕暮れ時となるとまた違った趣があること、このことで改めて気付かされることになりました。
そして、それ以後は、日中は忙しくて仕事に没頭せざる負えないのなら、その日の終わり仕事が一段落した時に、その地の夕暮れ時の風景を眺めながら、明日の鋭気を養うことにしたのです。


そうして、次に出会った夕暮れ時癒しの風景は、

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東京は江東区から望む夕暮れ時の東京湾。

大井町方面を映したものですが、この方角、空気の澄んだ朝方は、どこか冷たい大都市のバックに、遥か彼方に丹沢連山がこんな風に望める場所なのです。

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それにしても、夕暮れ時の海の上に広がる空、その広さがさらに際立って見えるものですね。

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さて、次に向かったのは長野県の松本市。
こちらは季節柄、紅葉を期待して出かけたのですけど、今回は仕事先に着けばそれを楽しむ時間もなさそうだしということで、この日は、いつもより時間を繰り上げて出発したのですが。

その甲斐あってか、出会ったのはこの風景。

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なるほど早起きは三文の得なんて。

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甲府から諏訪湖へと標高が上がって行くうちに、木々の色が次第に秋色に色濃く染まって行く様子を楽しみながら目的地へと、新たな元気を得ながら向かうことが出来ました。

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そして、数日松本に滞在、帰りは何とか日没の時刻までに諏訪湖へとたどり着くことが出来たので、立ち寄ってみると、

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赤く染まった木々の下に広がる湖面。
いつも観光地でありながながら、湖周辺の風景は今一つパットしないと感じる諏訪湖も、この季節は一見の価値があるのではとういう感じでした。

しかし、この秋の絶景も束の間。
ここでちょっと小休止をしていると、あっという間に夜の帳が降りて来て、この湖の印象を塗り替えて行きます。

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夕焼けと、その下に点々と見える街の灯に囲まれた黒ずんだ湖面。

古代縄文の神を宿すこの諏訪の地、あたりを包み込んで行く夜の帳は、この山間の湖に、その神が跋扈する神秘的な空気を醸し出しているようにも思えます。、



まだまだ続く、目一杯仕事のスケジュール。

いつもの音楽記事は、なかなか書けそうにもないけど、秋の夕暮れ時のなにかもの寂しく感傷的な空気。
今度は、どんな空気と巡り合えるのか、その楽しみをバネにして、前向きにこの局面を乗り切って行こうと思っています。

そしてまた、その巡り合いで得た様々な空気、また記事にできればと思っています。

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春を告げる桜の舞 [閑話休題]

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東京の桜はもう散ってしまいましたけど、今年は例年より早い3月21日に開花、しかし、その翌日からの寒の戻りのため、その後開花は一旦お預け、おかげで随分長い間、桜の季節を楽しむことができました。

私も、毎日、通勤で歩く事務所前にある四ツ谷外堀堤の桜並木を眺めながら、日々花の成長を見守り、その咲き乱れる様子を楽しみに過ごしていたのですが、その開花の様子、日々観察をしてみて今年はその咲き開き方に、いつもとは違う様子があることに気付かされたのです。


それは、ようやく暖かさ戻り始めた開花より5日ぐらいたった日のこと。
今日こそは、さらに開花の進んだ桜が見れると期待を胸に、いつもの外堀堤に来たのですが、堤に上ってその様子を見てみると、

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蕾は育っているものの、開花の進み具合はさほど進んでいない様子。
これでは、満開となるのはまだまだだなと落胆しつつ、200mほど先に進むと見えてきたのはこんな様子。

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なんやら、かなり花が開いている様子。
そこで足早にその場所へと向かい、上を見てみると、

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こちらの方は、かなり花が開き始めている。

どうやら、日当たりの良い場所と良くない場所での成長の差なのようなのですが、確かに考えてみれば例年もこうした傾向はあるものの、開花宣言後の冷え込みせいか、今年はその成長にかなり大きな差が出てしまったようで、その後もこの場所の開花進行状況は、日当りの良い場所と良くない場所では3日から4日の開きもって進んで行ったと見えたのです


さて、その後、東京の桜は3月の末となったのですけど、今年の私は妙に桜づいてしまったようで、どういう訳か千葉県の佐倉市、続いて栃木県のさくら市と、行く先までさくらとの深いご縁に結ばれてしまったのです。

そして、その地でも、また東京より遅れて見ごろを迎えた桜に出会うこととなってしまって........!!

なかでも、偶然にも、オオシマザクラ並木とソメイヨシノが並木が共生し花を咲かせている地を訪れることが出来たこと、いやいや今年は例年にも増して桜の季節を楽しまさせてもらいました。

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それでは最後に、今年私が出会った桜の季節、トランペットが奏でる”さくら さくら”メロディに乗せ、こんなビデオに仕立ててみましたので、ご覧くださればと思います。






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