和洋折衷の調べ事始め [名曲名演の散歩道]

今年の5月連休、今年はゆっくりと休もうと、自分で仕事の予定を連休以後としたことから、ここのところ目の回るような忙しさ。

覚悟はしていたことですけど、忙しい時に限ってまた新たな仕事が入って来てそれに輪をかけるという始末。
会社的には喜ばしいことなのかもしれませんがで、老いた身にはちょっときついという感じ。

おかげで記事をUpするテンポも遅れがちになってしまっていますが、仕事があるというのは張合いもある、ということで今回も気合を入れ直して、筆を進ることにしたいと思います。

さて今回のお話は、名曲名演の散歩道。
ここのところ、音源発掘では日本のプログレシッブ・ロックを取り上げて来たこともあり、今回の名曲も日本の曲を取り上げお話を進めて行くことにしたいと思います。


曲は、日本の西洋音楽黎明期に登場し、今も多くの日本人に親しまれる名曲を残した日本の代表的な作曲家の作品。


と言えば、もうおわかりでしょう。


そう、その作曲家とは瀧廉太郎。

明治末期に登場し、日本に西洋音楽の礎を築いた作曲家、小学校時代の音楽の授業で、この名前を聞いたという思い出をお持ちの方も多いのではないかと思います。

その廉太郎と言えば、思い当たるのは、やはり多くの方が音楽授業で習っただろうこの歌、”荒城の月”を思い出すのではと思います。

そこで今日の散歩道 その行き先は、”荒城の月”。
一見古き哀愁を感じてしまうこの曲、ところが歩いてみると意外なことに、ロックやジャズのアーティストにも取り上げられているのです。


ということで、今日はその”荒城の月”、そうした意外な相性の小道に足を運び入れたいと思います。

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この”荒城の月”が誕生したのは、今から112年前の明治34年(1901年)のこと。

この生い立ちをさらに調べてみると、この曲が作られたのは懸賞があったから??

というのは、西欧化政策をを進めていた当時の日本、音楽の世界でも当初は、唱歌として西欧の曲に翻訳詩をつけて歌っていたのだそうですが、どうもそれはかなり馴染みにくいものであったようで、しだいに日本人の手によるオリジナルの唱歌を望む声が高まっていったのだとか。
そしてその結果行われたのが、この唱歌の懸賞募集で、その懸賞に応募し見事旧制中学校の唱歌として採用されたのが、この廉太郎の”荒城の月”だったという訳なのです。

それにしても日本人の手による西欧音楽の出発点が、懸賞曲だったとは、明治という国の存亡をかけた西欧化に掛ける人々の息遣いが聞こえて来そうな話ではないかと思います。


こうして当初は、無伴奏の歌曲として登場したこの歌、その後、名声が高まるにつれ、廉太郎の作曲したもの他に別ヴァージョン生まれることになるのです。

の発端は、23歳という若さでこの世を去った廉太郎の死の14年後、山田耕作がピアノ・パートをつけるにあたり、原曲のロ短調からニ短調に移調、さらにはメロディまで改変を加えてしまったことに始まります。

そのメロディの改変とは、歌詞の”花の宴”のえの部分、原曲では#がついていたのに、山田版では#をとってしまったこと。

#があるとハンガリー民謡のように聴こえてしまい海外で演奏するには、、この方が日本の歌という印象が強くなるということなのだそうですが、日頃よく知っていると思っていたこの曲も。調べてみれば実にいろいろな遍歴あというもの。

これも、多くの人に愛されてきたこの曲の持つ魅力のせいなのかもしれませんね。


さて、前置きが長くなってしまいましたが、この辺で1曲。
現代のアーティストによる、”荒城の月”、ここでそのいくつかを聴いてみることにしたいと思います。

最初の演奏は、このアーティストが来日の後、NHKでこの、”荒城の月”と瀧廉太郎の生涯にまつわるドキュメント番組が放映されたことがあったのですが、このドキュメントの冒頭に使われた演奏から始めたいと思います。









ジャーマン・メタルの元祖的存在、Scorpionsの1978年のLive映像です。

当時お堅いNHKが、ドキュメント番組の冒頭にこの演奏を持って来たことに大変驚かされたものでしたが、
この演奏の印象、当のドキュメントの内容は忘れてしまったのに、この演奏の響きだけは深く記憶に刻み込まれてしまった、今や私のお気に入りとなってしまった”荒城の月”の演奏がこれです。

しかし、さすがNHK、この演奏の映像、そのままドキュメントに使わず、ギター・ソロの部分から武道館の天井を映し出しギターの響きが余韻を残し飛翔していくのを感じさせていた。
そして、その余韻が、廉太郎の生きた古の世界に導いていくという構成、この演奏の使用による演出効果は本当に忘れることができません。

それにしてもこの意外な組み合わせと思われるこの”荒城の月”、ベルギーでは讃美歌として歌われていたことを知れば、当然のことだったように思えてくるのですが、いかがでしょうか。


さて、次の演奏は、Jazzのピアノ・トリオの演奏から。
Horace Parlan のピアノ・トリオの演奏をお聴きください。



日本人の哀愁と黒人のブルース、その共通項を感じさせる演奏ですね。


ところで、この”荒城の月”のモデルとなった城、どこだと思いますか。

先の、NHKのドキュメントでは、廉太郎の父の故郷であり、廉太郎が病に侵され療養のため晩年を過ごした大分県竹田市にある岡城を取り上げていましたが、よく考えるとこれはちょっとおかしい。

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それは、この”荒城の月”の詩は、あらかじめ懸賞応募用に用意されたもので、この曲は、この詩に廉太郎が後から曲をつけたものだからなのです。

すると、その城のモデルは詩の作者にある?

となれば、この詩を書いた土井晩翠。
その晩翠と関係の深い土地が有力と思い、晩翠の出身地を思い浮かべてみると、そこは奥州仙台。

DSC035121.jpg


以前私も仙台駅からほど遠くないところにある晩翠が晩年を過ごした邸宅である晩翠草堂を訪ねたことがあるのですが、ここから2㎞程足を延ばすと、そこにあるのは青葉城ことあの伊達の仙台城。

晩翠の生きた時代は、今のように周囲に高い建物も少なく、家から仙台城を望むことが出来たはず。


となると、仙台城モデル説が濃厚!!?

確かに第一候補と言うべきなのですが、しかし、どうもことはそう簡単に収りそうにないのです。

それは、晩翠が、生前よく訪れたという岩手県二戸市にある九戸城説や、さらには晩翠が晩年訪れた会津で、”荒城の月”のモデルとなった城は、この会津の鶴ヶ城だと語ったということから、会津説も捨てきれないといった状況なのです。

そしてさらには、廉太郎の側にも内務官僚であった父に連れられ多感な少年時代を過ごした富山
市にある富山城説もあるといった具合にその候補地は、百花繚乱状態。


しかし、いずれにせよ廉太郎と晩翠が生きた明治となって僅か30年でしかないこの時代、つい先頃までその土地の中心として栄華を誇っていた城の記憶が、近代化という時代の波の中で急速に廃墟と化して目の前にあったという事実。

そこから感じられる儚い思いが、この曲と詩に幾重にも込められている。

そして、その深い思いが今も我々の心を揺さぶる強い力となって伝わってくるのだと、そう考えるのがいいように思えるのです。


そこで、今も日本人の心を揺さぶり続けるこの曲、最後は、そうした心を共に持つ日本人の演奏で締めくくることにしたい。

ということで、今度の演奏はスリーピーの愛称で親しまれたジャズ・テナーサックス奏者の、松本英彦の演奏でいってみることにいたしましょう。



躍動感溢れる”荒城の月”。

明治期廃墟と化していった城郭も、今はその土地々のシンボルとして新たな人生を歩み始めている。
そうした現代の城のあり方が、こうした演奏になったかのように思えます。

そこから、このPVにもできるだけ今やその土地のシンボルなった、多くの城を取り上げ登場させてみました。

それにしてもこの”荒城の月”、ちょっと取り上げようと調べてみると、興味深い事柄が次から次へと目にと煮込んで来る。
おかげで、ついつい、長文になってしまいました。

時代を越えて多くの人に愛され続けたこの歌、その深い思いをひしひしと感じることになりました。


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mk1sp

いずれも素敵な演奏ですね、日本独特の楽曲があるというのは良いものですね♪
by mk1sp (2013-05-26 22:13) 

マチャ

いつもお世話になっております。

突然ではありますが、ブログを終了することになりました。
事情はいろいろあって話すと長いのですが、諸般の事情により・・・

ただ、これからも楽しみに読ませていただきますし、時々はゲストでコメントをさせていただきますので、宜しくお願いします。

今までありがとうございました。
by マチャ (2013-05-27 19:31) 

老年蛇銘多親父

mk1sp さん

そうですね
ジャンルを越えて今も演奏され続けている日本の古き歌、他にもあるのですけど、またそんな演奏、記事してみたいと思っています。
by 老年蛇銘多親父 (2013-05-31 11:12) 

老年蛇銘多親父

マチャさん

いろいろ事情があるようですけど、残念です。

本当に突然の思いですが、わざわざご挨拶をいただけて、良かった思っています。

当方、しばらくはまだがんばるつもりですので、またお越しいただきコメントでも残して行っていただければと思っています。
by 老年蛇銘多親父 (2013-05-31 11:18) 

ituki

えー!マチャさん残念です[汗]
あんな内容の濃い気持ちの入った記事書ける人はそうはいないのに・・・さみしくなりますね。
また、ここでお会いできるといいです。

ところで、「荒城の月」でこれだけの記事が書けるなんて、さすが親父さんです[ラブラブハート]
とても、勉強になりました^^

Horace Parlanのイントロからとっても素敵でした[ぴかぴか]
映像も、お城のロマンが感じられる幻想的な月夜とのツーショットや雲海に浮き出たお城なんかもうぴったり!

面白いことに気が付いたんですが、スコーピオンズは原曲通り#を付けて歌って演奏しているのに、振られた観客は山田版で歌ってる(笑)
日本人ならではですね。

Horace Parlanはちゃんと#をとって(笑)、やっぱり無い方がしっくりくるというか日本的、邦楽っぽいですね。

しかし、瀧廉太郎が23歳で亡くなっているとは・・・惜しいですね。

by ituki (2013-06-03 00:12) 

老年蛇銘多親父

イッチ―

この記事、最近買ったホレス・パーランのアルバムがきっかけでね、そこにある荒城の月を聴いたら、昔見たNHKのドキュメントを思い出しちゃってこんな記事になってしまいました。

それにしても、子の散歩道、毎回書いていて思うのですけど、その曲の生い立ちを調べてみると、いろいろあって面白い。

そして、これをすることでその曲への理解も深まり、また違った聴き方ができる。
#の話なんて、またそれかもしれませんね。

スコーピオンズの演奏、その昔初めて聴いた時、外国人訛りあってまたいいななどと思っていたのですけど、それが原曲だった訳ですからね。

そうそう雲の上のお城、兵庫県朝来市和田山町にある竹田城。
日本の天空の城とかマチュピチュなんて言われているところなんだそうですよ。


それにしても、マチャさん残念ですね。
ご挨拶をいただいた時、言葉が出なかった。
PLAYLOG時代からの仲間が去っていくこと、本当に寂しいものです。


by 老年蛇銘多親父 (2013-06-03 04:58) 

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