ヴァーチュオーソー 二人が繰出す音符の嵐;Oscar Peterson & Dizzy Gillespie [デジタル化格闘記]
関東で雪が降ったと思ったら、その2週間後には4月のようにな陽気到来。
そして翌日には春一番が..............................!!!!!
昨年より14日も早い春一番の到来というのですが、思うにここ数年、年を重ねるごとに気象の異常度がどんどん増して来ているような。
とは言っても、まだ春本番となった訳でもなく、いきなり真冬に逆戻りしたり。
下界の政情不安もさることながら、空の上でも冬と春が激しく覇権争いが繰り広げているかのような様相。
おかげで、毎日着る物も天気予報とにらめっこしながら、引っかえ取っかえをしなければならくなって煩わしい限りです。
とまあ、こうしたことを繰り返しの毎日ですが、春の暖かさが感じられるようになると、どういう訳か妙に聴きたくなってしまうのが、スウィングとバップのサウンド。
そうしたことから、今回は、私の好きなスウィング・バップ・サウンドより、この作品をチョイスすることに致しました。
それは、1974年制作の”Oscar Peterson & Dizzy Gillespie”。
.
アルバム・タイトルの通りこの作品は、超絶技巧ピアニストとして知られるカナダ出身のOscar Petersonと、
Charlie Parkerと共に、今に続くモダン・ジャズの原型ともいえるビ・バップを生み出したトランぺッターの Dizzy Gillespieによるデュエット集。
私がこの作品を初めて聴いたのは、記憶は定かではないのですけど、この作品が収録されたその翌年頃のこと。
まだ日本ではアルバムとしてリリースされてはおらず、聴いたのは偶然にチャンネルを回し見たTV放送でだったのですけど、そこで見た映像は、まさにこの作品ジャケット写真にある二人の姿。
しかしながら当時の私は、まだジャズを聴き始めて日も浅かったこともあり、この二人の名前や功績は知っていたものの、既に過去の人という印象で彼らについては興味薄であったため、偶然見てしまったのも何か縁、後学のために見ておこう程度の浅い考えで見始めたのものだったのです。
ところが、聴き始めて間もなく、この一時代を築き上げたヴァーチュオーソー二人の演奏に、その安易な思いは跡形もなく消え去り、そのサウンド中にすっかり身を引き込まれることになってしまい、その翌年この演奏がアルバムとしてリリースされるや即Getしてしまったものなのです。
それでは、この二人のヴァーチュオーソーによる超絶技巧のバトル、ちょっと体感していただくことに致しましょう。
曲は、有名なDuke Ellingtonの名曲”Caravan”です。
そして翌日には春一番が..............................!!!!!
昨年より14日も早い春一番の到来というのですが、思うにここ数年、年を重ねるごとに気象の異常度がどんどん増して来ているような。
とは言っても、まだ春本番となった訳でもなく、いきなり真冬に逆戻りしたり。
下界の政情不安もさることながら、空の上でも冬と春が激しく覇権争いが繰り広げているかのような様相。
おかげで、毎日着る物も天気予報とにらめっこしながら、引っかえ取っかえをしなければならくなって煩わしい限りです。
とまあ、こうしたことを繰り返しの毎日ですが、春の暖かさが感じられるようになると、どういう訳か妙に聴きたくなってしまうのが、スウィングとバップのサウンド。
そうしたことから、今回は、私の好きなスウィング・バップ・サウンドより、この作品をチョイスすることに致しました。
それは、1974年制作の”Oscar Peterson & Dizzy Gillespie”。
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アルバム・タイトルの通りこの作品は、超絶技巧ピアニストとして知られるカナダ出身のOscar Petersonと、
Charlie Parkerと共に、今に続くモダン・ジャズの原型ともいえるビ・バップを生み出したトランぺッターの Dizzy Gillespieによるデュエット集。
私がこの作品を初めて聴いたのは、記憶は定かではないのですけど、この作品が収録されたその翌年頃のこと。
まだ日本ではアルバムとしてリリースされてはおらず、聴いたのは偶然にチャンネルを回し見たTV放送でだったのですけど、そこで見た映像は、まさにこの作品ジャケット写真にある二人の姿。
しかしながら当時の私は、まだジャズを聴き始めて日も浅かったこともあり、この二人の名前や功績は知っていたものの、既に過去の人という印象で彼らについては興味薄であったため、偶然見てしまったのも何か縁、後学のために見ておこう程度の浅い考えで見始めたのものだったのです。
ところが、聴き始めて間もなく、この一時代を築き上げたヴァーチュオーソー二人の演奏に、その安易な思いは跡形もなく消え去り、そのサウンド中にすっかり身を引き込まれることになってしまい、その翌年この演奏がアルバムとしてリリースされるや即Getしてしまったものなのです。
それでは、この二人のヴァーチュオーソーによる超絶技巧のバトル、ちょっと体感していただくことに致しましょう。
曲は、有名なDuke Ellingtonの名曲”Caravan”です。
巨匠に育まれ世に出たジャズ・新時代のギタリスト・Mike Stern:Neesh [音源発掘]
2月に入ってのいきなりの大雪に右往左往の状態となった大都会。
鉄道の遅延・運休は少なかったものの、高速道路が首都高をはじめ軒並み通行止めとなってしまって、長い所では3日間も閉鎖となってしまった所も出る始末。
雪の多い地方では、「僅か10センチ程度の雪で?」と物笑いの種になるような話だが、なにせ普段は雪が積もらずその備えもなく交通量も段違いの東京。
10年ほど前の大雪のことを考えると、このぐらいの慎重さは必要なのかなと考えているところ。
というのも、10年前の時は気象庁も雪は降るがさして積もることもなくすぐ止むとの予報で、それなら良かれと、私も気象庁を信じて車で横浜まで出かけたのところ、降り始めた雪は止むどころか、予報とは裏腹に降りはドンドン激しくなり、辺り一面を真っ白に覆いつくして行く状況となってしまって。
こうなるとノーマル・タイヤのままの私の車では、走行することは出来なくなると、幸い高速道路もまだ閉鎖されていなかったこともあり、即予定を変更し帰宅することにしたのですが、首都高に入り一安心するもさらに激しさを増す雪。
30分も走ると、あちらことらでスリップをして動けなくなっている車の姿も増えて来て。
これは、気をつけて走らなければと思った矢先、私の車もスリップ、壁に激突の羽目となってしまったのです。
しかし、スピードが遅かったこともあって車にダメージは軽微であったため、何とか脱出。
恐る恐る車を走らせ、いつも3倍に時間かけ家に着くことは出来たのですけど、首都高が全面閉鎖となったのは、私がスリップしてから30分ほど経った頃。
その後手後手の対応によって交通は大混乱となってしまったのです。
そうしたことを思い出すと、今回の東京の雪への対応、物流の遅延等により生活への影響はあったかもしれませんが、今後の課題は残るものの日々多くの人・物が動く街なればこそ、大きな混乱を避ける意味でも適切なものであったと思うのです。
さて、ここで話はいつもに戻って!!
今回の作品は!
アメリカ出身のジャズ・ギタリストMike Sternの、
1983年制作の彼の初リーダー作品”Neesh(邦題:ファット・タイム)”と致しました。
このMike Sternというギタリスト、1976年に師であるPat Methenyの薦めで、ブラス・セクションをオリジナル・メンバーに擁したロック・バンド、いわゆる、ブラス・ロックの先駆者として名を馳せていたBlood Sweat & Teasのメンバーとしてプロデビューを飾り、その後、1979年にはフュージョン系名ドラマーのBilly Cobhamのバンドに参加、そしてその2年後には、1976年以降活動を休止していた帝王Miles Davisのカム・バックに当り、その新グループのメンバーとして活動、若くして超大物の下で活躍して来た輝かしい経歴を持つアーティストなのです。
その Sternを私が知ったのは、当時よく聴いていたBlood Sweat & Teasの1977年の作品”Brand New Day ”でだったのですけど、その後、Miles Davisが、カム・バックしたとのニュースを聞き、早速その復帰作”The Man with the Horn”を手にしたところ、そこにギタリストとしてMike Sternの名を見つけ、名を記憶したのがその始まり。
プロ‣デビューしてから間もないのに、「早ジャズ界の頂点に!!」と驚きながら、レコード盤に針を落としてみると、Miles、サックス奏者のBill Evansのソロに続いてSternのソロ。
聴いてみるとそのギターは、Jim Hendrixバリバリを感じさせたMilesグループの前任ギタリストPete Coseyとは異なり、Hendrix色は薄く、代わってMilesをファンク・フュージョンの道に導くに大きな影響を与えたJohn McLaughlinに近い感じで、さらにロック色が強くEric Clapton 的な香りもあるなという感じ。
おかげで、Milesの繊細さとCoseyの爆発的プレイの間に乖離が感じられた前作とは異なり、”The Man with the Horn”では全体的にバランスの取れた仕上がりとなっていて好感を持てたものの、当時の私は、フュージョン系の音楽には懐疑的であったため、Sternの名は記憶に留めるも、それ以上深追いはしないままでいたのです。
そうした中で、今回本作を取り上げることになったのは、本作がSternの初リーダー作品であると共に、制作が日本のレコード会社(トリオ・レコード)の手によるものであり、日本国内のみでしか販売されなかったという希少ものだったということに興味を覚え、聴いてみたところバラエティに富んだ曲目が並び、それでいて違和感を抱かせることなくスムーズにそれらの曲を熟して行くSternというギタリストの中に、豊かな音楽性を感じたからなのです。
ということで、この辺で本作品から1曲、お聴きいただくことにいたしましょう。
曲は、”Mumbley Peg”です。
鉄道の遅延・運休は少なかったものの、高速道路が首都高をはじめ軒並み通行止めとなってしまって、長い所では3日間も閉鎖となってしまった所も出る始末。
雪の多い地方では、「僅か10センチ程度の雪で?」と物笑いの種になるような話だが、なにせ普段は雪が積もらずその備えもなく交通量も段違いの東京。
10年ほど前の大雪のことを考えると、このぐらいの慎重さは必要なのかなと考えているところ。
というのも、10年前の時は気象庁も雪は降るがさして積もることもなくすぐ止むとの予報で、それなら良かれと、私も気象庁を信じて車で横浜まで出かけたのところ、降り始めた雪は止むどころか、予報とは裏腹に降りはドンドン激しくなり、辺り一面を真っ白に覆いつくして行く状況となってしまって。
こうなるとノーマル・タイヤのままの私の車では、走行することは出来なくなると、幸い高速道路もまだ閉鎖されていなかったこともあり、即予定を変更し帰宅することにしたのですが、首都高に入り一安心するもさらに激しさを増す雪。
30分も走ると、あちらことらでスリップをして動けなくなっている車の姿も増えて来て。
これは、気をつけて走らなければと思った矢先、私の車もスリップ、壁に激突の羽目となってしまったのです。
しかし、スピードが遅かったこともあって車にダメージは軽微であったため、何とか脱出。
恐る恐る車を走らせ、いつも3倍に時間かけ家に着くことは出来たのですけど、首都高が全面閉鎖となったのは、私がスリップしてから30分ほど経った頃。
その後手後手の対応によって交通は大混乱となってしまったのです。
そうしたことを思い出すと、今回の東京の雪への対応、物流の遅延等により生活への影響はあったかもしれませんが、今後の課題は残るものの日々多くの人・物が動く街なればこそ、大きな混乱を避ける意味でも適切なものであったと思うのです。
さて、ここで話はいつもに戻って!!
今回の作品は!
アメリカ出身のジャズ・ギタリストMike Sternの、
1983年制作の彼の初リーダー作品”Neesh(邦題:ファット・タイム)”と致しました。
このMike Sternというギタリスト、1976年に師であるPat Methenyの薦めで、ブラス・セクションをオリジナル・メンバーに擁したロック・バンド、いわゆる、ブラス・ロックの先駆者として名を馳せていたBlood Sweat & Teasのメンバーとしてプロデビューを飾り、その後、1979年にはフュージョン系名ドラマーのBilly Cobhamのバンドに参加、そしてその2年後には、1976年以降活動を休止していた帝王Miles Davisのカム・バックに当り、その新グループのメンバーとして活動、若くして超大物の下で活躍して来た輝かしい経歴を持つアーティストなのです。
その Sternを私が知ったのは、当時よく聴いていたBlood Sweat & Teasの1977年の作品”Brand New Day ”でだったのですけど、その後、Miles Davisが、カム・バックしたとのニュースを聞き、早速その復帰作”The Man with the Horn”を手にしたところ、そこにギタリストとしてMike Sternの名を見つけ、名を記憶したのがその始まり。
プロ‣デビューしてから間もないのに、「早ジャズ界の頂点に!!」と驚きながら、レコード盤に針を落としてみると、Miles、サックス奏者のBill Evansのソロに続いてSternのソロ。
聴いてみるとそのギターは、Jim Hendrixバリバリを感じさせたMilesグループの前任ギタリストPete Coseyとは異なり、Hendrix色は薄く、代わってMilesをファンク・フュージョンの道に導くに大きな影響を与えたJohn McLaughlinに近い感じで、さらにロック色が強くEric Clapton 的な香りもあるなという感じ。
おかげで、Milesの繊細さとCoseyの爆発的プレイの間に乖離が感じられた前作とは異なり、”The Man with the Horn”では全体的にバランスの取れた仕上がりとなっていて好感を持てたものの、当時の私は、フュージョン系の音楽には懐疑的であったため、Sternの名は記憶に留めるも、それ以上深追いはしないままでいたのです。
そうした中で、今回本作を取り上げることになったのは、本作がSternの初リーダー作品であると共に、制作が日本のレコード会社(トリオ・レコード)の手によるものであり、日本国内のみでしか販売されなかったという希少ものだったということに興味を覚え、聴いてみたところバラエティに富んだ曲目が並び、それでいて違和感を抱かせることなくスムーズにそれらの曲を熟して行くSternというギタリストの中に、豊かな音楽性を感じたからなのです。
ということで、この辺で本作品から1曲、お聴きいただくことにいたしましょう。
曲は、”Mumbley Peg”です。