前の10件 | -

ビッグ・ネームを従え輝く隠れた逸材の快演:Hal Galper・Now Hear This [音源発掘]

なかなか収まらないコロナの嵐が吹き荒れる中、開催か中止かと騒がれながらもいよいよ始まった東京オリンピック。
無観客とはいえ天下の大イベント、世紀の一瞬を見ようとブルー・インパルスの曲技飛行や開会式の競技場から打ち上げられる花火を見ようと、多くの人が集まっている様子が伝えられると、その無事をいのるばかりの憂鬱さを感じていたのですが、いざソフト・ボール、サッカーと競技が始まり、その後続々と日本人選手の活躍、メダル獲得の報が届くと、それまでの憂いはすっかりと消し飛んでしまい、今は、日々熱く応援に勤しんでいるところ。

そんなオリンピック、各自にいかれましても、それぞれのスタイルで日本のみならずお気に入り選手の活躍に胸をたぎらせ声援を送っていることかと思いますが、当ブログの方は今回もいつもに引き続き昨今目に留まったジャズ作品のお話。



その作品は、前回取り上げた土岐英史が日野皓正のクインテットにに在籍していたことから、私の知っている作品の他にも土岐在籍中の作品はないかと日野皓正のディスコグラフィに目を通していたところ、偶然見つけたもの。

Hal Galper Now Hear This.jpg


クレジットされていた演奏メンバーを見て、これは有望と早速聴いてみたところ、日野のトランペットの切れの素晴らしさに圧倒されて選んでしまったのですが、日野のトランペットが目的であったこの作品。
見つけた時は、Terumasa Hinoの名が最初にあったことから、渡米ニューヨーク在住後の日野皓正のリーダー作品だと思ったのですけど、そうではなく??、
よく調べてみるとピアニストのHal Galperの1977年のリーダー作品。作品のタイトルは、”Now Hear This”です。

Hal Galperというピアニスト、私もこの作品で目にするまで知らなかったかったのですけど、この演奏を聴いて日野皓正は元より、この作品を聴いてみたいと思わせた他の二人のアーティストであるドラムのTony Williams、ベ-スのCecil Mcbeeという当時のジャズ界を代表するアーティストと十分に渡り合い対等以上のプレーを聴かせてくれている。

これだけのビッグネームを集め、そこで対等以上のプレーを演じているHal Galperとは一何者かと調べてみると、1938年生まれで、この作品のレコーディング時点ではベテランの域にあったともいえるアーティストなのだそうなのですけど、70年代に入ってCannonball Adderleyのクインテットの一員となるまでメジャー・シーンでの活動歴は気薄で、今だ過小評価されているアーティストなのだとのこと。

それにしても、この熱いサウンド。
Hal のピアノをは元より当時を代表する面々の生み出すそのサウンド、やはり、ここで聴いていただかねばなりませんね!!

曲は、Halのオリジナルで"Now Hear This" .です。




続きを読む


nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:PLAYLOG

追悼 命尽きるまでジャズを語り通したサックスマン;土岐英史・Black Eye [音源発掘]

6月は、新旧二人の日本人ジャズ・アーティストの取り上げその作品を聴いてまいりましたが、今回は前回記事の峰厚介の作品聴いていたところ、峰と同時代の日本人サックス奏者といえばこの人もいたなと思い出し、あわせてよく聴きだしたアーティスト、

ところが、ちょうど前回の記事を書き終え、ちょっと一服とこの日のニュースに目を通していたところ、そこにいきなり飛び込んで来たのが、そのアーティストの訃報。
その人の名は、土岐英史。

1960年代後半には活動を始めていた人であるので、享年71歳という年齢、それは人生100年時代の現代においてはちょっと早いかなと思うものの、高齢であることからそれもその人の寿命、残念だがいたしかたないことだと思うのですけど、ここ数年は、毎年のように新作を発表、今年5月にも荻原 亮、井上 銘 二人のギタリストを従えた意欲作”Little Boy Eyes”を発表するなど、意気軒高な姿のニュースが届けられていただけに、その逝去の報にはびっくり。

ということで今回は、その土岐英史を偲んで、その彼の作品を選び聴いて行くことにしたいと思います。
さて、私が土岐英史の名を知ったのは、1973年に発表された日野皓正の作品”Journey Into My Mind"や宮間利之とニュー・ハードの作品”土の音~日本伝説の中の詩情~”の演奏メンバーに一人としてその名がクレジットされていた彼を見つけ、どんなサックス奏者だろう思ったことが事の始まりで、とはいっても、当時はまだ彼のリーダー作品はなかったことから、それらの作品ではしっかりと彼のプレイをとらえることが出来ず、それから待つこと2年。
ようやく発表された彼の初リーダー作品”Toki”を聴き、それまでの日本のジャズ・アーティストの音とは一味違った感覚のサウンドが妙に体にフィットしまったのがその付き合いの始まり。

そうした当時新鮮さを感じた感覚、今その作品を聴き直してみるとその頃の彼のプレイは、ソプラノ・サックスは60年代ジャズのジャズをけん引したJohn Coltraneそのものと言った感じで、アルト・サックスの方もその影響を強く感じさせたるものであったことがわかり、そのことが当時Coltraneを好んでいた私の感性にぴったりと嵌まってしまったのだなあと述懐しているところ。


実は、峰厚介を聴いていたところ土岐を思い出したというのも、70年代のColtraneのスタイルの影響が大だった峰が、老境に至りストレートな伝統的スタイルのジャズに回帰し質感高い良質なプレイを聴かせてくれていたからで、もしかするとColtrane色濃厚であった土岐も同様であるに違いない考え、昨今の彼の新作に接してみたくなってしまったのがその発端だったのです。

そうして、聴きだした晩年の彼の作品、最晩年はピアノやギターを好んだという彼らしいギタリストとのじっくり聴かせる作品があるのですが、やはり聴いていただきたいのは、サックスを中心とした、オーソドックスなカルテット・クインテットの作品。
そこで今回選んだのが、この作品。

土岐英史 black eyes.jpg


2018年発表の”Black Eyes"です。

それでは、前置きはこのくらいにしてこの作品、ここで1曲聴いていただくことにいたしましょう。

Let's listen!!


nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:PLAYLOG

日本のジャズ復活の灯を育んだサックス・マン;峰厚介・Bamboo Grove [音源発掘]

これからのジャズ界を、グローバルな立ち位置から担うであろう新進気鋭のアーティストとして、前回はピアニストの大林武司の作品を取り上げさせていただきましたが、今回は昨今出会い聴き入ってる、60年代衰退の一途を辿っていた日本のジャズ界において、復活の炎を育て上げるに大きな足跡を残した、一人のサックス奏者の最新作を取り上げることにいたしました。

その演奏がこちら!!!!!!



まずはダイジェスト映像でその演奏をご覧いただきましたが、この映像にあるその作品は、現在、日本を代表するサックス奏者 峰厚介の2018年制作の”Bamboo Grove"です。

峰厚介 bamboo grove.jpg


さて、その峰厚介というアーティスト、音楽活動を開始は1963年、アルト・サックス奏者としてのデビューだったというのですが、この時期の日本のジャズ界はというと、それまで日本にジャズ・ブームをもたらしていた戦後日本の占領統治にあたった駐留米軍が撤退により次第に勢いを失い、往時のパワーを失っていた時期。

そうした状況の中デビューした峰ですが、その彼が頭角を現したの始めたのは1960年代後半のこと。
それは、アメリカから帰国した渡辺貞夫をはじめ菊池雅章、日野皓正の登場、活躍が大きな転機になり日本ジャズ界に復活の光がにわかに見え始めて来た頃。
峰もその時の勢いに押されたかのように1969年、菊地雅章のグループに加入、新たにテナー&ソプラノ・サックスを手掛け、1970年には初リーダー作品”Mine”を発表、注目すべき若手サックス奏者の
一人として大いに注目される存在となっていったのです。



そして、さらに彼の名を大きく知らしめたのが、1978年に結成されたジャズ・フュージョン・グループNATIVE SONでの活動。

当時、渡辺貞夫、日野皓正が、フュージョン路線を歩みジャズをお茶の間に届けるほどのブームが訪れていた中、当時私の周囲の仲間筋では、菊池、渡辺の門下生ともいえる峰をはじめ本田竹曠(key)、村上寛(ds)等もフュージョンというコマーシャルとも見える音楽路線を志向したことに驚きと失望を感じていたものでしたが、今考えてみれば、そもそも日本のみならず本場アメリカでもジャズが衰退したのは、本来人々の心を包み込み楽しさ与え悲しみを癒すことが望まれる音楽を、聴く者の心を置き去りにし演奏テクニックを競い演奏する者だけの興味を優先する方向に傾いてことがその大きな要因だったと思え、こうしたポップな雰囲気一杯のサウンドもジャズの聴衆回帰の結果であり、共に楽しみながら聴くフュージョンとういうサウンドも、そう考えれば本来音楽のごく自然な姿ではないかと思っているところ。


ともあれそのNATIVE SON、活動を始めるや大きな評判を呼び、TV・CMに出演しお茶の間にジャズを浸透させるなどの大活躍を果たし、それと同時に峰の名も日本を代表するサックス奏者として多くの人に知れ渡るようになったのです。

それにしても、この峰等、当時若手精鋭たちのフュージョン路線への選択、結果としてジャズという音楽を身近なものとし、それが、現在海外で活躍する多数の日本人ジャズ・アーティストを生むその起爆剤としての役割を果たすことになった私自身思っているのです。


こうして日本のジャズ・サックス奏者の中心的存在となった峰厚介。
あのNATIVE SONからほぼ40年後に制作された本作品ではどんな姿となっているのか。
この辺で、1曲聴いてみることにいたしましょう。
曲は、峰厚介作曲の”Rias Coast ”です。








続きを読む


nice!(13)  コメント(0) 
共通テーマ:PLAYLOG

New Yorkで活躍する新進気鋭の日本人ピアニスト;大林武司・Manhattan [音源発掘]

5月は、2回に渡り私にとって久々の良き出会いとなった、ネオ・プログレシッブ・ロックのアーティストを取り上げその作品を聴いて参りましたが、今月は再びいつものジャズ・フィールドに戻ってピアノ・トリオの作品を聴いて行きたいと思います。

そこで、取り上げたのがこの作品。

大林武司 Manhattan.jpg


日本人ピアニスト大林武司の”Manhattan”です。

と言ってもこの人、日本のマスコミにはあまり登場することはない人なので、その名を聞いてもピンとこないという方が多いのではと思うのですが、日本人として初めてジャズ名門レーベルBlue Noteから作品発表したトランぺッターの黒田卓也と同様に、New Yorkを拠点に活躍する新進気鋭のピアニストで、なかでも、大林とドラマーのUlysses Owens Jrを中心に日米若手アーティストによって結成されたNew Century Jazz Quintetの活動で、大きな注目を浴ている今が旬のアーティストなのです。

そもそもこの私が、大林武司を知ったのは、黒田卓也に注目し、その黒田が拠点を置くNew Yorkの若手日本人アーティストの動向を探ってみたところ、みつけたのが大林の在籍するNew Century Jazz Quintetで、その作品を聴いてみたところ、そこで聴いたピアノのプレイの心地よいインパクトに満ちた響きに、これは只者ではないと深く聴き惚れてしまってのこと。

そのこと、どうやら New Century のドラマーであるUlysses Owens Jr.の「彼のピアノはまるでMulgrew Miller のようだ」という評にある通り、もともと1980年代半ばから2013年に亡くなるまで大きな足跡を残した名ピアニスト Millerの大ファンであった私にとって、大林のピアノに知らず知らずのうちに Millerの面影を感じてしまっていたからのようなのですが、そうだとしても彼のタッチの美しさ、構成力に富んだソロの魅力は、Milerとはまた違った側面もありまた格別。

ということで、そうした彼のリーダー作品はないものかと探してみたところ見つけたのが、2016年発表のこの作品。
彼にとっては、初のピアノ・トリオ作品、より彼の音楽性と向き合えると、早速聴いてみることにしたのです。



曲は”World Peace"。
日本の琴の調べにも似た静かなメロディーとバックのメリハリのあるビートとの調和が、心に残るこの演奏、ここには、New Century Jazz Quinteで見せるMulgrew Millerを思わせるプレイとはまた一味違ったで、 日本人ピアニスト大林武司ならではの独自の世界があるように思います。


2008年の活動開始以来、先のNew Century Jazz Quintetのほか、New Yorkを拠点とする黒田卓也(tp)、中村恭士(b)、小川慶太(ds,per)、馬場智章(ts)等、日本人若手アーティストによって結成されたJ-Squadの一員として、そして、MISIAと黒田の主催するTakuya Kuroda, Jose James, MISIA, Terri LyneCarringtonのメンバーとして活躍している大林、その経歴を調べてみると、

1987年広島県広島市出身。2007年 20歳の時にバークリー音楽院へ進学。
翌年師事していたグラミー賞受賞ドラマーTerri Lyne Carringtonのバンドに加入し、プロ活動を開始。
卒業と同時にNew Yorkに活動拠点を移し、NYCの主要ジャズクラブに出演。
2016年には、米フロリダ州ジャクソンビルで毎年開催されているで若手ジャズ・ピアニストの登竜門として知られるジャズピアノの世界コンクールである”Jacksonville Jazz Piano Competition”で日本人初のグランプリを受賞。

という具合。
彼の音楽に加えそうした履歴からも、今後の有望な日本人若手ジャズ・アーティストの一人として大いに注目すべき存在だと思うのです。


さて、こうして経歴を調べているうちに、今度は、New Century Jazz Quintetでの彼の演奏を聴いてみたくたなってきました。
とういことで、またここで1曲聴いてみることにいたしましょう。
曲は、New Century Jazz Quintet 2017年の作品”Soul Conversion”より”James”です。



日本的情緒が漂うメロディに、その心を体現しようと構えるソロをとるフロント二人の欧米人ホーン・奏者の葛藤が見えてくるような微妙なスリル感が漂う演奏。

実はこの曲、N CJQを聴きたくなって、聴いてみたところ、そこで大林の感性が生み出すこの微妙な面白さを発見したということから、この曲を取り上げることにしたもの。

本来のJazzとは異質である空気を注ぎ込み、新たな現代のジャズを生み出している大林武司、今は昨年以来久々に日本に滞在し、自らのピアノでジャズの魅力伝道の旅を続けていることのこと。

そこで、最後は今年の1月に発表されたピアノ・ソロ作品”Visions In Silence”に収められた中の1曲である"Save Your Heart"を聴き、彼の日本と音楽への思いを噛みしめ味わいながら、今回を締め括ることにしたいと思います。





Track listing
1 World Peace
2 Cill My Landlord
3 Heart
4 Cyclic Ridge 2
5 In Walked Bim
6 One For Sonny
7 Untitles Bossa
8 Steel Heelscol 1016
All Compose by 大林武司

Personnel
大林 武司 Takeshi Ohbayashi (piano)
Track 1.5.6.7
中村 恭士 Yasushi Nakamura (bass)
Nate Smith (drums)
Track 2.3.4.8
Tamir Shmerling (bass)
Terri Lyne Carrington (drums)

Releases.
2016/11




nice!(17)  コメント(4) 
共通テーマ:PLAYLOG

プログレ復活の救世主 Marillion:Misplaced Childhood(過ち色の記憶) [音源発掘]

異常なほど早い今年の梅雨の訪れ。
西日本では、例年に比べ2週間近く早いと言われているその訪れですが、聞けば台湾・フィリッピン付近の海水温度が高く多くの水蒸気が天に上り、それが雨雲となり日本に流れ込んでいるためなのだとか。
今年は台風の発生も早かったことから、南の海の水温が高いのではと思っていたのですだが、案の定という感じ。

そう聞くと思い出されるのが、インド近海で発生した大量の雨雲が日本に流れ込み西日本各地に大きな災害を引き起こした昨年の梅雨のこと。

この分では、今年の梅雨は、昨年同様大きな災害をもたらす危険性大のように思え、何か心も落ち着かなくなってしまう今日この頃。

と言いながら、その心配を慰めようと、前回記事以来懲りもせず浸り続けているのが、ネオ・プログレの世界。
前回は、長きに渡って活動を続けている2つのプログレ・アーティストを取り上げましたが、その彼らを聴き続けているうちに、彼らと共に80年代に入り滅亡寸前であったプログレの世界に、逆風を吹き込むかのようにネオ・プログレ・ムーブメントを立ち上げた、そ代表格ともいえるアーティストであるMarillionを聴き直してみなければと思い立ち、今は、前回紹介のArena、IQに加えMarillionのサウンド釘付け傾聴中となってしまったところ。

しかし、そのMarillion、ヴォーカルのFish在籍時の初期においては大きな評判を呼びアルバム・セールスも一定の成果を上げたのにも関わらず、それと裏腹に元祖プログレの雄であるGenesisの単なるコピーじゃないかという批判が多々あったとにこと。
かく言う私も、彼らを最初に聴いた時は、余りにもGenesisの影が濃すぎるなと感じ、これは単なるGenesisのコピーではないかと失望、1988年のFish脱退、後任ヴォカーリストのSteve Hogarth加入までは、彼らの作品からは遠ざかってしまうことになってしまった批判者の一人だったのですが。

しかし、前回取り上げたAreaやIQなどの作品に出会ってから、ネオ・プログレ・ムーブメントのアーティストには多かれ少なかれあのGenesisの影が宿っているような空気を感じ、そのネオ・プログレの代表格であるMarillionが、その地位を築き上げたFish在籍時の作品も毛嫌いせずあらためて聴いてみたくなり、今はそれらを聴き楽しんでいるところ。

そして今、中でも気に入っているのは、やはりFish在籍時代の最高傑作と言われるこの作品。

Marllion Misplaced Childhood .jpg


1985年リリースの”Misplaced Childhood(邦題:過ち色の記憶)”です。

当時バンドの中心的存在であったFishが、ドイツ生まれのスイス人作家のヘルマン・ヘッセの小説「デミアン-エーミール・シンクレールの少年時代の物語」より影響を受け、自身の体験を題材にして作られたストーリーを持つコンセプト・アルバムであるこの作品、そうしたことを知るとプログレ・オールド・ファンの私などは、Genesisの6作目となる1974年の作品”The Lamb Lies Down on Broadway(邦題;眩惑のブロードウェイ)”が思い起こされてしまい、この作品もGenesisの作品同様、難解で馴染みにくいような気がして聴くのはやめようかと思いつつ、
とにかく、聴いてみなければわからないとその音源にスイッチを入れてみると、それが聴き始めた途端に我が身にフィット。

プログレらしい緻密さと音楽美を保ちながらも、ポピュラリテかつ快活なサウンドが耳に届いて来たのです。


というところで、このMarillionの”Misplaced Childhood”、Fish在籍の1987年のライブ映像でお聴いただこうかと思います。

曲は、"Pseudo Silk Kimono(絹の着物)/Kayleigh(追憶のケイリー)/Lavender"の3曲です。





さぁ、聴いてみましょう!!!


nice!(19)  コメント(0) 
共通テーマ:PLAYLOG

ネオ・プログシッブ・ロックの世界を訪ねて;Arena・IQ [音源発掘]

今年の連休は、あの忌まわしい事態悪化ということもあり、どこに出掛けることもなく、そのほとんど家で過ごすことにしてまった私。
日頃、あちらこちら飛び回っていることから、これはいい骨休みとなるとのんびりとおうち時間を過ごしていたのですが、そこで聴き楽しんでいたのが昨今のアーティストによるロック・ミュージック。

昨年出会った、あのLed Zeppelinを彷彿させるサウンドを聴かせてくれたGreta Van Fleetのことを思い出し、他にも70年代の初頭のロックの黄金期を思い出せる新世代のアーティストがいるのではと考え、探索してみることにしたのです。

そうして、たどり着いたのがネオ・プログシッブ・ロックと呼ばれるアーティストたち。

ネオ・プログレシッブ・ロックとは、1960年代後半に登場し隆盛を極めるも、ポップ化の波にのまれ70年代半ばには衰退の道をたどっていた、Pink Floyd、Yes、Genesis、King Crimson、EL&Pなどによろ初期のプログレッシブ・ロック・ムーブメントに対し、80年代になるとその様式を継承しつつ新たな先進的構築美を模索するMarillionに代表される次世代のアーティストによる新しいプログレ・ムーブメントなのですが、70年代プログレッシブ・ロック・ムーブメントを謳歌した私としては、今回90年代のネオ・プログレ・ムーブメントのアーティストの作品の中に70年代プログレを色濃く継承しつつ、独自の世界を築き上げているものがあるのをいくつか見つけ、この連休以降は、それらをずっと聴き続けることになってしまっていたところ。


中でもよく聴いているのが、1995年結成の英国のネオ・プログレッシブ・ロック・グループのArena、2015年発表の”The Unquiet Sky”という作品。

arena the unquiet sky.jpg


1990年代、さも優れたネオ・プログレッシブ・ロック・グループと評価されたというこのグループ、私は2000年代初頭に一度聴いたことがあったものの、その時はプログレッシブ・ロックというにはストレートなハード感が強すぎるように感じ今一つ馴染めなかったのですけど、,今回 2010年・リード・ヴォーカルがPaul WrightsonからPaul Manziに代わったということを知り、直近の作品を聴いてみようと思い聴き始めたところ、スケールの大きなシンフォニック・サウンドと70年代のプログレのエッセンスを多分に含んだサウンドに出会い、往年のプログレ・ファンとしては思わずニンマリ。

特に、あの伝説のプログレッシブ・ロック・グループ Pink Floydのエッセンスを多分に感じさせる音が随所に聴かれるあたりは、若き頃を、Pink Floydを聴きながら過した私にとっては、このプログレが、80年代にポップ化の道に転化し70年代の輝きを失ってしまったことに失望しロックへの興味をなくしてしまって以来、やっとのことで待ち望んでいたサウンドに出会えたという喜びで一杯となってしまった由。

とまあ、一人で勝手に悦に入ってしまっているのですが、この辺で喜び出会いとなったそのサウンド耳にしていただくことにいたしましょう。



続きを読む


nice!(17)  コメント(0) 
共通テーマ:PLAYLOG

忘れかけていた4月 合間の旅を思い起こして [仕事の合間に]

アッという間に過ぎてしまった4月。

気付いてみればその4月ももう終わり!

いつもなら、慌ただしく忙しい年度の締め括りの日々を無事乗り越え、この時期は、ホット一息うららかな陽気の訪れたこの季節の空気をのんびりと楽しんでいるはずなですが、今年の4月は、例年とは異なり公私ともに何かと忙しく、そうした空気をゆったりと楽しむ余裕もなく、時間を忘れバタバタと日々を過ごしてしまったことからこうな塩梅となってしまた始末。

とは言っても、仕事に追われて東へ西へと飛び回る中、よく考えてみれば結構楽しい思いをしたこともあり、今はその時の写真を見ながら、遅ればせながらこの季節特有のうららかな陽気の空気を楽しんでいるところ。

その一枚がこちら。

DSC_6102m.jpg


上信越自動車道 長野ICを過ぎたあたりで見えてきた、全身に雪を残した北アルプスの山々の姿。
この日は、あの野沢菜漬けの発祥地として知られる長野県と新潟県の県境近くにある野沢温泉近くのお客様のところへと向かったのですが、思い描いていた通り春のうららかの日射しを浴びて白き化粧を施したままの山容を見ることが出来、思わず喝采。

これなら今日は。アルプスの少女ハイジならぬアルプスの爺さんオヤジになったような気分になり、これなら清々しい気持ちでうまく仕事をこなすことが出来るなあと思いながら、 豊田飯山ICで高速を降り国道117号線に出て、飯山町を付近に差し掛かると!!

DSC_6120m.jpg


4月も、もう半ばというのに沿道には満開の桜並木が。

DSC_6125hm.jpg


その背後には、まだ冬の衣装を身に着けた山々が。

DSC_6121m.JPG


春と冬の見事なコントラスト。
山深い雪国ならでの風景です。

IMG_5708-1m.jpg


そして目的地到着。
これが、そこで撮ったった北アルプス。
春と冬が入り混じった、都会ではまず出会うことの出来ない迫りくる自然の力を感じつつ気持ち良い一日を過ごすことが出来ました。





さて、所変わって次に訪れたのは、緊急事態宣言発令後の都内の有数の観光名所。
それは、

IMG_5762m.jpg


東京浅草の浅草寺。
この近くにある協力会社との打合せに出向きその帰り、駅に向かって歩き横向いてみると、ちょうど目に入ってきたのがこの雷門。

ここまで来たのだから、緊急事態宣言下の浅草寺、いつも人でごった返しているいるこの場所、人出はまばらと聞いているけど、どんな様子かちょっと覗いてみるかという塩梅で立ち寄てみることに。


その様子は御覧の通り。
人の姿は本当にまばらで、人力車の車夫さんも地元の案内と思しき赤い半被を着たお兄さんたちも、みな手持無沙汰のよう。

仲見世商店街もほとんどの店がシャッターを下ろしていてこの通り。

IMG_5768m.jpg


そして境内も

IMG_5770mDSC_6124m.JPG.JPG


いつも人、人、人で下の舗装が見えないくらいの場所なのに。


しかし、訪れる人が少ない中でも浅草ならではのこんな一行が。

IMG_5771m.jpg


貸衣装屋で和装を借り、街を歩く若き女性たち。
わざわざこんな時期にとも思うのですけど、鬱屈した毎日が続く今、抑えきれな乙女心の発露として仕方がなかったのかも。
せいぜい密には気を付けてと、声を掛けたくなってしまいました。


さて、開山は、推古天皇の御代と伝えられる1500年の歴史を持つという浅草寺。
しかし、その建物のほとんどが、先の大戦おりの空襲で焼失、戦後に再建したものであるということで、これまで人の多さに圧倒されあまりちゃんと見て歩いたことはなかったのですが、今回人出も少なかったことから落ち着いて散策してみると、江戸の昔を伝える遺物が結構残っていて結構面白い。

かって境内にあった東照宮の門として建立された、唯一空襲のを免れた建築物の二天門をはじめ、寛政8年(1796年)建立の松尾芭蕉句碑 、上野の寛永寺の鐘楼等とともに、江戸時代庶民に”時”を知らせた5代将軍徳川綱吉の命により造立された弁天山の鐘楼など、

IMG_5780m.jpg


その場所に佇むと、江戸の昔の賑わいが見えてくようなものとの出会い。
こうしたことでもなかったら、ずっと気付かないままだったかもしれないと、その導きに感謝しているところ。
 
帰りに仲見世を歩いていると、焼き立ての人形焼き10個600円のところ今日は300円とのお店の人の掛け声につられ、ついつい買って帰ることにしてしまいました。


それではエンディングに、写真を見ながら、私の頭の中でずっと鳴り響いていたこの曲を聴きながら、お話を締めくくることにしたいと思います。
曲は、宮本笑里と. 平原綾香による”風笛 ~Love Letter~”です。











nice!(15)  コメント(0) 
共通テーマ:PLAYLOG

ホットなジャズを奏でたお巡りさん、余技を極めてプロ・デビュー!!・Lem Winchester.;Winchester Special [音源発掘]

前回は、花見に似合うジャズのお話をいたしましたが、その取り上げた曲が1960年代のものであったことから、以来、久々に今から60年ほど前の1950年、60年代のジャズに嵌まってしまっているところ。

確かに、1950年、60年代のジャズは現在のアーティストのような洗練されたは感覚は希薄で、テクニック的にも今一歩及ばないところがあるように思えるものの、それを凌駕するその魅力は、サウンドの中に潜み漂う熱い空気と聴く者の心を優しく包む暖かい響き。

てなわけで今回は、そうした1950年、60年代のジャズ・アーティスト中で、本職は警察官であったのに趣味余技でその心技を探求するうちにミュージシャン稼業が本職となってしまった、ちょっと風変わりな経歴を持つアーティストの作品を聴いて行くことにするとにいたしましょう。


そのアーティストの名前は、ヴィブラフォン奏者の Lem Winchester.。
30歳で、アマチュアながら1958年のニューポートジャズフェスティバルに出演し大きな注目浴びた後、数作の名演生みながらプロとしての道を歩み始めたというWinchester。

その活動期間は、1961年 ロシアンルーレット(回転式拳銃(リボルバー)に1発だけ実包(弾薬)を装填し、適当にシリンダーを回転させてから自分の頭(特にこめかみ)に向け引き金を引くゲーム )に興じ32歳で他界するまでの、わずか2年半とあって、今は知る人ぞ知る存在となってしまったのか、その彼の作品が再発されることは稀となってしまい入手もままならない状況となっているのでが、実際は、その短い活動期間にリーダー/サイドマンして10枚以上の作品を残していて、当時 ヴィブラフォン奏者の頂点のいた名匠Milt Jacksonの次を担う世代のアーティストとして大いなる注目を集めていた存在。

スタイル的にはそのMilt Jacksonの影響が色濃いものの、その音質はMiltのそれより柔らかく軽やかな感じ、中でも私が初めて聴いたWinchesterの作品である1958年のピアニストのRamsey Lewisのトリオとのコラボによる彼のスタジオ・デビュー作品の”Lem Winchester and the Ramsey Lewis Trio (Argo)”は、聴いた塗炭にその音色に一発でやられてしまい、以来愛聴盤として長きにわたって聴き続けているもの。

作品としては、このRamsey Lewis Trioとのアルバムが一般的には一番知らている彼の代表作ではないかと思うのですが、今回取り上げることにした作品は、この時期、ファンキー・ジャズの旗手として人気の頂点にあった、Art Blakey & The Jazz Messengersのテナー・サックス奏者で作・編曲家のBenny Golsonが加わった1959年制作の ”Winchester Special (New Jazz) with Benny Golson”という作品。

lem winchester special.jpg


この作品を選んだのは、Lem Winchesterというアーティスト、Milt Jacksonを敬愛していたためか、Miltと共演したアーティストと共演している作品がいくつかあり、この作品もMiltが本作の9ヶ月前に録音した本作同様Benny Golson、ピアニストのTommy Flanaganと共演した名作”Bags' Opus”

milt jackson bags opus.jpg


の後を受けてものであることから、Miltと共に名作を生んだ二人の大物アーティストを従えてWinchesterが、どんな味わいのサウンドを聴かせてくれるか、そのあたりを踏まえじっくりと聴きたくなってしまったからなのです。


それでは、前置きはこのくらいにして、Benny Golsonと繰り広げるLem Winchester の世界を聴きながらお話を進めて行こうと思います。











続きを読む


nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:PLAYLOG

ソメイヨシノとBill Evansが合い歌う春の訪れ [音源発掘]

今年も昨年同様、例年に較べかなり早かったソメイヨシノの開花の訪れ。

私の子供達が小学校入学の時は、ちょうどその入学式の頃が花の見頃で、その桜の木の下で入学記念の写真を撮ったものだったはずなのに、この様子では入学式の頃は既に花は終わり若葉が勢いよく育ち始めていることだろうと、味気なさとほのかな寂しさを覚えながらもソメイヨシノが咲けば、春は全開!!

特に今年はコロナ禍の中、冬の寒さに合わせて極度の忍耐を強いられた冬であったことを思うとソメイヨシノが持たらす解放感に満ちた春の力は絶対的!!!
とか何とか言って、今もって不要な外出は避けるべきのご時世の中、仕事で出張の合間にちょっとならばと、はばかりながらも桜見物をすることに。

その様子がこちらの写真!!

DSC_5902m.jpg


茨城県土浦市にある土浦城 (別名;亀城(きじょう))の桜の様子。

そして、

IMG_5489-2 (1)..s.JPG


神奈川県秦野市の”はだのさくら道”の桜並木。
県下随一といわれる全長6.2㎞にもおよぶ花のトンネルが続くこの道を、走り抜けるのはなんとも気分爽快です。

DSC_5958 (1).s.JPG


こちらは、千葉県松戸市にある、最後の水戸藩主 徳川昭武が晩年を過ごした戸定邸公園の枝垂れ桜。
この地は、2月には梅、そして寒桜が咲き、この時期はソメイヨシノに加えてこの枝垂れ桜が咲く、花木の数は少ないものの、緑の中に季節の移ろいに従って次々に咲く花々のかすかな彩が興をそそる場所。

と、千葉県戻ったところで我家の周辺を散歩。
足を運んでみたのが、自衛隊習志野駐屯地の中にある空挺館。

DSC_5987-m.jpg


この洋館は、当時、駒場にあった旧陸軍の騎兵連隊の演習に行幸された天皇や皇族の迎賓館として1911年(明治44年)に建てられたもので、1916年(大正5年)に騎兵連隊がこの習志野の地n移転と共にこの地に移築され現在に至っている船橋市の大切な文化歴史遺産。

その歴史にの香りに導かれ行かなければの気持ちなり、訪れてみることになりました。


とまあ、ちょとのつもりが陽気の良さにも手伝って、あちらこちらへと歩き回ってしまうはめとなってしまったのですが、その気分をさらに増長してしまったのが、その行く先々で花を見ながら聴いていたミュージック。

私のような年寄りが、桜の香りに誘われてあちらこちらへと動き回るその活力の源を与えてくれたそのミュージックとは、ジャズの巨匠であるピアニストのBill Evansが、サックス奏者とともに歌っていた、春の喜びを湧き立たせる、ジャズ・ワルツの今やスタンダード・ナンバーともなってしまった名曲。

ここで耳を傾けていただければと思います。





続きを読む


nice!(17)  コメント(2) 
共通テーマ:PLAYLOG

喜劇王が生んだ不朽の名曲;Smile [名曲名演の散歩道]

梅や河津桜など早咲きの桜の、例年になく早い開花。

しかし、そのひと足以上の早い開花、この冬、雪国では高速道路で急な大雪で車が立ち往生してしまう程の事態がたびたび発生した状況を考えると、それはなんとも不思議こと。

そうした疑問を抱いてたところ、先日TVのお天気解説を見ていると、今年の冬は寒かったのか、暖かったのかというと、それは暖冬であったとのこと。
これも地球影響だと言うのですが、今年、未曾有の大雪をもたらしたの原因は、この温暖化の影響で北極圏を回り囲む冷たい空気の流れが大きく蛇行し、時には日本の上空まで張り出すことがあって、それが、それまで暖かった地上より例年以上の量の水蒸気を立ち上らしめ、その大量の水蒸気が北極圏の冷たい空気に冷やされて大量の雪となり、地上に舞い降りるに至ったためだというのです。

そんな訳で雪の降らない所でも、その著しい寒暖差に翻弄され、その対応に苦闘することが多かった今年の冬、私のような御老体の身を持つものとしては、その体調の管理にいつも以上気を使わなければならなくなってしまったのです。
とは言っても、やはり、一足早い春の訪れは老体の身にとっては得難くなによりも有難いもの。

そうしたことを思っていた矢先、ちょうど仕事に間が出来たところで通り掛かった寺の境内を覗いてみたところ、そこにあったのは満開の桜。
まだ3月になったばかり頃なので、この桜はピンクが色濃い河津桜。
その艶やかさが何とも言えず、あっさりと仕事はそっちのけ、いざ心はお花見へと洒落込むことになってしまいました。

DSC_5725-1m.jpg


降って湧いた春の装いを御覧に入れたところで、早咲きとはいえ桜の花が咲くと厳しかった冬も間もなく終わり、命の躍動が始まる春の空気が感ぜられ、どこからとなく微笑みが湧いてくる、そうした気分になって来るのではと思うのですが、今回のテーマは「名曲名演の散歩道」。

そこで選んだ曲は、春来るの微笑みに思いを寄せてあの名曲”Smile”といたしました。


さて、この”Smile”という曲、その作曲者は、映画界に大きな足跡を残し一世を風靡したあの大喜劇王Charlie Chaplin。
そのChaplinが、イタリアの作曲家Giacomo Puccini(プッチーニ)のオペラ”Tosca”からインスピレーションを得、生まれたのがこの曲だというのですが、その登場はChaplin自身が監督・製作・脚本・作曲を務めたことで知られる1936年の映画「モダンタイムス」のラストシーンのサウンド・トラックだとのこと。

ということで、まずはこの名曲、サウンド・トラックとして流れるこの映画のラスト・シーンを見ながら始めることにいたしましょう。



この曲、今ではヴォーカル付きが定番で、そちらの方が馴染みだという方が大半ではないかと思うのですが、ご覧になってわかるように、この曲の元は歌詞のないインストルメンタル曲。

実は、この曲に歌詞がついたのは、この曲の登場のから20年弱ほどが過ぎた1954年のこと。
John TurnerとGeoffrey Parsonよりタイトルと詞がつけられ、ジャズ・ピアニストで歌手のNat King Coleが最初のバージョンを歌い録音したことによりヒット、この年のビルボードチャートで10位を獲得することになったのだとか。


それでは、そうしたいわれの歌詞の付けられた”Smile”、まずはその本家本元であるNat King Coleの歌唱をそのつけられた詞にも注目しながらじっくりと味わってみることにいたしましょう。





続きを読む


nice!(16)  コメント(4) 
共通テーマ:PLAYLOG
前の10件 | -