ターボカー時代の幕開け [思い出の車たち]
今回は音楽の話題、一旦お休み。
今年正月に宣言した、月一度、思い出の車 の話題の掲載を!!
ということで今回の話題は、ターボカー時代の幕開け とすることにしました。
現代のレーシングカー。
F1などターボ禁止のカテゴリーは別として、ターボチャージャーによるチューニングが当たり前になっていますね。
ところがこのターボ、その幕開けを飾った車は。
ポルシェ??
ルノー??
いーえ違います。
ポルシェが、当時アメリカ カナダで開催されていた排気量無制限のグループ7カーによるレース、CAN-AM選手権に5ℓターボエンジンの917/10kを送り込んだのは1972年。
ルノーがF1GPに、F1史上初めて1.5ℓターボマシンを送り込んだのは1977年。
それより以前に、ターボチャージャー搭載のレーシングカーが存在したのです。
その車がこれ、
どこのメーカー??
ウィングのロゴを読んでください。
え~~ッ 読めない。
では、
読めましたか~~~
TOYOTAと書いてあった。
正解です。
この車、トヨタ自動車が作った、TYOTA7。
ターボチャージャーを搭載したレーシングカーの草分けがこの車なのです。
トヨタがプロトタイプレーシングカーにチャレンジ開始したのは、1968年ことでした。
当時、年1回開かれていた、日本グランプリで活躍、話題を独占していた日産のプロトタイプレーシングカーに対抗してのことだったのです。
初年度は、3ℓのマシンを開発、エントリー。
しかし、急遽シボレーの5.5ℓエンジンを搭載し現れた日産のウィングマシンR381の前に敗れ、翌年は必勝を期し5ℓマシンにUp。
しかし、この69年の5ℓマシンも新開発の自社製V12気筒6ℓエンジンを搭載した日産のR382によって、またもや勝利を奪われてしまったのです。
そして70年。
必勝を期して現れたのが、このマシーン。
このターボチャージャーを搭載したトヨタ7だったのです。
5ℓV型8気筒エンジンにツインターボを搭載したこのマシン、当時排気量無制限の2座席モンスターマシンで争われていたCAN-AMカーが、7ℓ 550~600馬力であったのに対し、なんと車重620kgの車体に800馬力というとてつもないパワーを誇っていたのでした。
このターボという技術の導入。この技術、当時でもけして新しい技術ではなかったのです。
そが使われなかったのはターボの問題点、アクセルレスポンスが遅れることで、パワーはでるが、コーナーでの微妙な過減速が難しいため、テクニカルサーキットを主体とするF1や耐久レースではメリットが薄かったということなのです。
ところがトヨタはこの5ℓという排気量にこだわった。
というのも、当時ルマンなど24時間などを連戦する耐久レース選手権に出場のための車両規定、に排気量5ℓまでのグループ4カー(年間50台以上生産実績を持つ公道走行用保安機器がついた車両)があったためでした。
次のステップとして、世界に飛躍するためには5ℓは譲れない、しかしそれでは日産に勝てない。
そこで選択されたのが5ℓ+ターボという技術だったのでした。
そしてその1970年、ところが時代は当時問題が顕在化していた自動車の排気ガスによる大気汚染、この対策のため日産がプロトタイプによるレースの撤退を表明、それを受けグランプリ主催者のJAFもその年の10月に予定されていたレースを中止してしっまたのです。
そのため、日本でのレースデビューの機会を失ってしまったトヨタ ターボ7。
しかし、トヨタは照準を世界に変え、その後もCAN-AM向け開発を続けます。
そして、その年の7月、富士で開催されたTMSC1000kmレースのエキビジションレース2台のターボ7を走らせ圧倒的な加速と制動力を観衆の前に見せつけるのです。
それは、そのレースに来ていた日産の関係者の心胆を寒からしめるほどの迫力だったのだと当時のモータスポーツジャーナリズムは語っています。
ところが、この順調に進んでいたプロジェクトも終局を迎える運命の日がやってきます。
8月鈴鹿でテスト走行をしていたターボ7。
非公式ながらも鈴鹿のコースレコードを破る勢いのスピードで周回を重ね、その順調な仕上がりを見せていたさなか、突然コースアウト、車は大破、当時トヨタのエースドライバーであった河合稔は帰らるぬ人という悲劇が起きてしまったのです。
折しも日産が撤退を表明した排ガス問題のさなか、当時モータースポーツの歴史も浅く、モータースポーツを暴走族の集りとしか見ていなかった日本の社会では、それは開発継続断念を迫られる致命的な出来事でした。
日産に引き続きトヨタも撤退。そしてこの日から発展途上にあったモータースポーツも冬の時代を迎えることになったのです。
この幻のビッグマシーン、順調に開発が進めば、71年 CAN-AMに出場をしていたはず。
そして72年シーズンには、新たにエントリーしてきたポルシェ917/10kと史上初のターボカー同士の戦いを繰り広げいたかもしれない。
トヨタ7、今もそんな期待と夢を抱かせる、幻の名車だと思います。
そして、今も愛知県長久手にあるトヨタ自動車博物館にレストアされ、往時の夢をたたえその闘志を温めてる。
最後に、この車のエキゾートノーストを聞きながら、その夢の続きを見ることにいたしましょう。
今年正月に宣言した、月一度、思い出の車 の話題の掲載を!!
ということで今回の話題は、ターボカー時代の幕開け とすることにしました。
現代のレーシングカー。
F1などターボ禁止のカテゴリーは別として、ターボチャージャーによるチューニングが当たり前になっていますね。
ところがこのターボ、その幕開けを飾った車は。
ポルシェ??
ルノー??
いーえ違います。
ポルシェが、当時アメリカ カナダで開催されていた排気量無制限のグループ7カーによるレース、CAN-AM選手権に5ℓターボエンジンの917/10kを送り込んだのは1972年。
ルノーがF1GPに、F1史上初めて1.5ℓターボマシンを送り込んだのは1977年。
それより以前に、ターボチャージャー搭載のレーシングカーが存在したのです。
その車がこれ、
どこのメーカー??
ウィングのロゴを読んでください。
え~~ッ 読めない。
では、
読めましたか~~~
TOYOTAと書いてあった。
正解です。
この車、トヨタ自動車が作った、TYOTA7。
ターボチャージャーを搭載したレーシングカーの草分けがこの車なのです。
トヨタがプロトタイプレーシングカーにチャレンジ開始したのは、1968年ことでした。
当時、年1回開かれていた、日本グランプリで活躍、話題を独占していた日産のプロトタイプレーシングカーに対抗してのことだったのです。
初年度は、3ℓのマシンを開発、エントリー。
しかし、急遽シボレーの5.5ℓエンジンを搭載し現れた日産のウィングマシンR381の前に敗れ、翌年は必勝を期し5ℓマシンにUp。
しかし、この69年の5ℓマシンも新開発の自社製V12気筒6ℓエンジンを搭載した日産のR382によって、またもや勝利を奪われてしまったのです。
そして70年。
必勝を期して現れたのが、このマシーン。
このターボチャージャーを搭載したトヨタ7だったのです。
5ℓV型8気筒エンジンにツインターボを搭載したこのマシン、当時排気量無制限の2座席モンスターマシンで争われていたCAN-AMカーが、7ℓ 550~600馬力であったのに対し、なんと車重620kgの車体に800馬力というとてつもないパワーを誇っていたのでした。
このターボという技術の導入。この技術、当時でもけして新しい技術ではなかったのです。
そが使われなかったのはターボの問題点、アクセルレスポンスが遅れることで、パワーはでるが、コーナーでの微妙な過減速が難しいため、テクニカルサーキットを主体とするF1や耐久レースではメリットが薄かったということなのです。
ところがトヨタはこの5ℓという排気量にこだわった。
というのも、当時ルマンなど24時間などを連戦する耐久レース選手権に出場のための車両規定、に排気量5ℓまでのグループ4カー(年間50台以上生産実績を持つ公道走行用保安機器がついた車両)があったためでした。
次のステップとして、世界に飛躍するためには5ℓは譲れない、しかしそれでは日産に勝てない。
そこで選択されたのが5ℓ+ターボという技術だったのでした。
そしてその1970年、ところが時代は当時問題が顕在化していた自動車の排気ガスによる大気汚染、この対策のため日産がプロトタイプによるレースの撤退を表明、それを受けグランプリ主催者のJAFもその年の10月に予定されていたレースを中止してしっまたのです。
そのため、日本でのレースデビューの機会を失ってしまったトヨタ ターボ7。
しかし、トヨタは照準を世界に変え、その後もCAN-AM向け開発を続けます。
そして、その年の7月、富士で開催されたTMSC1000kmレースのエキビジションレース2台のターボ7を走らせ圧倒的な加速と制動力を観衆の前に見せつけるのです。
それは、そのレースに来ていた日産の関係者の心胆を寒からしめるほどの迫力だったのだと当時のモータスポーツジャーナリズムは語っています。
ところが、この順調に進んでいたプロジェクトも終局を迎える運命の日がやってきます。
8月鈴鹿でテスト走行をしていたターボ7。
非公式ながらも鈴鹿のコースレコードを破る勢いのスピードで周回を重ね、その順調な仕上がりを見せていたさなか、突然コースアウト、車は大破、当時トヨタのエースドライバーであった河合稔は帰らるぬ人という悲劇が起きてしまったのです。
折しも日産が撤退を表明した排ガス問題のさなか、当時モータースポーツの歴史も浅く、モータースポーツを暴走族の集りとしか見ていなかった日本の社会では、それは開発継続断念を迫られる致命的な出来事でした。
日産に引き続きトヨタも撤退。そしてこの日から発展途上にあったモータースポーツも冬の時代を迎えることになったのです。
この幻のビッグマシーン、順調に開発が進めば、71年 CAN-AMに出場をしていたはず。
そして72年シーズンには、新たにエントリーしてきたポルシェ917/10kと史上初のターボカー同士の戦いを繰り広げいたかもしれない。
トヨタ7、今もそんな期待と夢を抱かせる、幻の名車だと思います。
そして、今も愛知県長久手にあるトヨタ自動車博物館にレストアされ、往時の夢をたたえその闘志を温めてる。
最後に、この車のエキゾートノーストを聞きながら、その夢の続きを見ることにいたしましょう。
2010-04-17 08:04
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コメント(11)
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は~い[手(パー)] トヨタ7知ってま~す^^
http://playlog.jp/_images/blog/9/1/917su/m_200658087.jpg
でもそんなすごい車だと知らずに貼ってました^^;
F1でホンダの『どっかんターボ』が ポルシェやBMWとターボ・パワー戦争をしていたのが1980年代 86年に規制で歯止めをかけられるまでだから トヨタがどれだけ優れたパイオニアだったのかよくわかります^^
風の流れが見えるようなフォルムですよね
by ituki (2010-04-17 14:49)
itukiさん、[ハート]、コメント、画像のはめ込み方のご指導ありがとう。
トヨタと日産、市販車の世界でも、日産は英国のオースチンの技術供与を受け、乗用車市場にに参入、トヨタは初代クラウンを独自開発で作り上げ市場投入した。
レーシングカーの世界でも外部技術を導入しそれを糧に飛躍する日産、あくまで独自の力でそれに対抗するトヨタ。
両社の性格の違いがよくでていて面白いですね。
そのトヨタの独自性にこだわる姿勢が、世界にさきがけあのハイブリットカーを生んだのだと思います。[晴れ]
それにしても、69年日本GPの立役者のスリーショット、懐かしいですね。[複数のハート]
次回は、トヨタ7 ヒストリーを書こうかな。[嬉しい顔]
by 老年蛇銘多親父 (2010-04-17 20:53)
ジンジャー@欧州支部長さん
ねこのめさん
かなっぺさん
JJ-1さん
river0306さん
みなさん[ハート]ありがとうございます。
自動車記事はそれが好きでない人には面白くないのだ思いますが、自動車そのものに乗る人、作る人は共にその車に満足を求めている。
するとそこに、その車の作られた国の民族性というか好みが必然的に浮かび上がってくる。
その辺に、どうも音楽との共通性あるように感じるのです。
そんな意図で書いた訳ではなかったのですが、最近そのこと気付き、時折その思いを込めて車のことを書いています。[嬉しい顔]
by 老年蛇銘多親父 (2010-04-18 20:21)
エキゾートノーストしびれますね~[嬉しい顔]
この車たぶん乗った事あります・・・・GT4で(笑)
by こーいち (2010-04-20 00:07)
こーいちさん、&x-heart&コメントありがとうございます。
何かよく分からないけど凄いような。
凄いんですよね。
うん...........[揺れるハート]
by 老年蛇銘多親父 (2010-04-20 22:23)
ジンジャー@欧州支部長さん
ねこのめさん
かなっぺさん
JJ-1さん
river0306さん
bukubukuさん
KSGYさん
みなさん[ハート]ありがとうございます。
by 老年蛇銘多親父 (2010-04-21 06:13)
やっぱりすごいマシンだったんですね[嬉しい顔]
以前、実車が飾ってあったのを、間近で見た事がありますが、すごい存在感を感じましたよ[嬉しい顔]
by akiyoshi_take (2010-04-24 17:26)
akiyoshi_takeさん[ハート]&コメントありがとうございました。
実はこの車、私はまだ実車にお目にかかっていないのです。
トヨタ自動車にあるのですが、私が行ったのは開館仕立ての頃。
その時はまだレストアされていなかったので。[落胆した顔]
実車を見たとは羨ましいですね。[複数のハート]
by 老年蛇銘多親父 (2010-04-24 22:09)
TOYOTA 7 、ウチにもミニカーあったなー。
世界初のターボ車だったとは知りませんでした。
いやーターボにはいつもお世話になってるのに(笑)
市販車で最初に実用化したのはBMWの2002でしたっけね?
by 模範囚 (2010-04-27 20:22)
模範囚さんコメント&[ハート]ありがとうございます。
実はこの記事、ぽわちゃんの神戸記事、エボリューション号=ターボからこの車思い出し、書いてみました。
この車のブレーキローターの損耗は凄かったでしょうね。
カーボンブレーキはまだだったはずですから。
昔と違って、エンジンはコンピュターシステムで固められ、チューニングが難しくなりました。[悲しい顔]、
ブレーキやオイルなど基本を固めてまたレース頑張ってください&x-smile
それにしてもレース、お金がたいへんですね。[雷]
by 老年蛇銘多親父 (2010-04-27 20:49)
R8さん
[ハート]ありがとうございます。
by 老年蛇銘多親父 (2010-06-12 10:31)