日本のモータースポーツの発展に火をつけた車 その1 [思い出の車たち]

前回は、世界制覇をもたらしたPorsheのお話をいたしましたが、今回は日本のモータースポーツの黎明期、その発展を大きく動すこととなった2台のPorsheについて筆を進めて行きたいと思います。

その1台目は、Porsheのレーシングカー史上ひとつの技術的転換点となった車、904GTSです。

       

このPorshe、レースを主眼として開発されたの車で、エンジンとギヤボックス以外はすべてが新設計されたもので、ミッドシップレイアウト、FRP製のボディ、鋼板プレス製シャシーの採用など、これまでのPoesheとは大きく異なった、Porsheとしては初の試みにトライした車でした。

エンジンは、当初911用の6気筒を採用を予定し設計されていましたが、信頼性を考慮しカレラ2で使われていた水平対向 2ℓ DOHC4気筒エンジンを搭載しています。
そしてこ、そのエンジンにはロードゴーイングバージョンを製作販売するため2種類のチューニングが施され、レース用エキゾースト付で180馬力、サイレンサー付 ロードゴーイングバージョンで155馬力の仕様が用意されていました。

その後、少数ながらエンジンは、当初計画の6気筒2ℓに加え8気筒バージョンも生産され、64年シーズンの世界選手権では、セブリング12時間 クラス優勝、タルガフロリオ 総合1.2位、ニュルブルブリンク1000km クラス優勝、
65年には、ルマン24時間 総合4位などの輝かしい成功を収めました。

また、Porsheはこの車を本物のGTとし、ラリーフィールドにも参加させ65年のモンテカルロでは、見事2位入賞を果たしています。


       

       

ロードゴーイングバージョンの生産は、当時のGTクラスの資格を取得するための要件であった100台の生産実績をうるためのもので、これらの生産車は、29,700マルクで市販されたのですが、瞬く間に売れ追加生産の結果、最終的に120台が生産されたのでした。

そして、その中の1台が、日本人の手に渡り、鈴鹿サーキットのオープンによって、初のGPが開催されたばかりの日本のモータースポーツ界に殴りこみをかけることになったのです。

       

1964年5月鈴鹿での日本グランプリ、スカラインGTの誕生の伝説の中に、この904はその足跡を深く残しています。

生沢徹が操るスカイラインと、式場壮吉の操る904のデッドヒート、結果は、904の勝利、スカイラインが2位となったものの日本車が初めてヨーロッパの本格的レーシングカーと対決し互角に競い合った事実は、日本のモータースポーツ黎明期を飾る神話として、今も多くの日本人を魅了し続けています。

私も、この1964年の秋、晴海で行われたモーターショーのプリンス自動車(その後、日産自動車と合併)のコーナーで放映されていたこのレースの映像に接し、以来、あたかも飛翔するように走る904の姿が、深く脳裏に刻み込まれてしまったことを覚えています。
そこで、ちょっとこんな映像を見つけましたのでご覧ください。



このレース、現在でも純レーシングカーのPorsheに対し、セダンボディのスカイラインGTが、互角の戦いの後、わずかに力およばず敗れたと語られているようですが、果たしてその力の差はどうだったのか。

この映像を見ると、スカイラインはドリフト寸前の限界状態でコーナーを駆け抜けていくのが見えます。
ドライバー生沢徹の、闘魂溢れるドライビングに車が悲鳴を上げながらPorsheに食らいついいている様子が良くわかる映像だと思います。

一方のPorshe、こちらのコーナーでの挙動を見ると、コーナーに侵入後大きく外側へ膨らんでいく様子が見えます。
また、スカイラインと一緒に写ったコーナー侵入時の写真を見ると、Porsheのロールがスカイラインと較べ大きく見えるなど、なにやら問題をかかえていたように見えます。
この日の904、前日の予選でクラッシュ、本戦への出場は絶望と見られていたのが、徹夜の修復作業で出走にこぎつけたという事実を考えると、サスペンションのセッティングが十分できていなかったのではないかと思われます。

手負いの状態で逃げる904に対し、超全力で追いすがるスカイラインの構図。この時、プリンス自動車の技術陣は、欧米のレーシングカーの非常に高いポテンシャルを知り、それが翌年の日本初のプロトタイプレーシングカー、R380の登場に繋がっていった。

そういう意味でこの904、日本のモータースポーツ発展のおおいなる刺激をもたらした、いつまでも語り継がれるべき名車なのだと思います。
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river883R

そんなドラマがあったんですね!

ポルシェが日本のモータスポーツに貢献してたんですねぇ~
by river883R (2010-07-09 12:40) 

かなっぺ

なんといっても、BGMがいま聴いてもおしゃれなBigBandですねってぇ~[ムード]って、そっちかい~[むかっ]
失礼しました[飛び散る汗]
このフィルムは見た事あります[ひらめき]
いわずもがなの鈴鹿サーキットですが、当時は東名高速もない時代で、いわゆるエンスーの方々は遠路はるばる下道で観戦しに来ていたんですね。[車(セダン)][るんるん]
今のサーキットとは違い、当時はランオフエリアも狭いわ、タイヤバリアもないわ等々で現在の基準とは比べ物にならないぐらい、言ってみれば危険だったのですね[雷]
ある意味のどかな面もあります。当時の鈴鹿サーキットは敷地が広い割には、セキュリティがルーズでしたので、裏山からタダで敷地内に入れました。
実はヒル対ビルヌーブのF-1の時代も、それが可能でしたから、当時はなおさらですね。
(これをやったのは私ではありま千。ダーの友人Sです)
それもこれも時代です。とりとめもない話で失礼しました。
by かなっぺ (2010-07-09 23:33) 

moog

性能もさることながら、ボディのデザインがいいですね。
Youtubeの映像を見ていると、日本の車が野暮ったく見えちゃいます。
by moog (2010-07-11 00:15) 

老年蛇銘多親父

river883Rさん[ハート]&コメントありがとうございます。

この話、日本のモータスポーツ名勝負の最初を飾るもの。スカイラインサイドからの話が多いですね。[嬉しい顔]

前日予選でクラッシュしたPorshe、当時の日本ではFRP素材が手に入りにくく、名古屋まで回送して修理、完了後パトカーの先導で公道を自走してレースに間に合ったとか。
 
今では想像できない話ですね。
by 老年蛇銘多親父 (2010-07-11 05:15) 

老年蛇銘多親父

かなっぺさん[ハート]&コメントありがとうございます。

確かに、私も20年ほど前仕事でサーキットの裏山を通った時、偶然8耐の予選を見てしまったことがありました。

安全設備、今のF1は1周を1分半で走りますが、あの頃は1分以上遅かったようです。
今のVitzクラスが、1周2分40秒程度だそうですからけして速くないですね。[落胆した顔]

車も遅いし、安全レベルも今より低い、のどかさがまだ残っていた時代だった思います。[嬉しい顔]
by 老年蛇銘多親父 (2010-07-11 05:25) 

老年蛇銘多親父

moogさん[ハート]&コメントありがとうございます。

やはり今見てもいいデザインですよね。[!!]

公道走る904の実車と出会ったことがあったのですが、とても美しかったという思い出があります。[晴れ]

60年代半ばのレーシングカー、デザイン的には一番いいように思います[揺れるハート]
by 老年蛇銘多親父 (2010-07-11 05:30) 

老年蛇銘多親父

タカさん
ジンジャー@欧州支部長さん
ねこのめさん
マチャさん
ヒサさん
katsu郎さん
itukiさん
模範囚さん
JJ-1さん
bukubukuさん
KCさん

 みなさん[ハート]ありがとうございます。
by 老年蛇銘多親父 (2010-07-11 05:34) 

老年蛇銘多親父

りなみさん [ハート]ありがとうございます。

 この車ヨーロッパのレースでは、あのロータス ヨーロッパのレーシングバージョンの47GTと、一緒に走っていたのですよ。[嬉しい顔]
by 老年蛇銘多親父 (2010-08-01 05:48) 

akiyoshi_take

これはなかなか貴重な映像ですね。
今のハコのレースと比べても、スピードはかなり遅いはずですが、見る側のレースにかける熱気が違うと思います。
by akiyoshi_take (2010-08-10 08:10) 

老年蛇銘多親父

akiyoshi_takeさん[ハート]&コメントありがとうございます。

一般の人に、日本でモータースポーツが無縁だった時代、ただ国産車は外車に歯が立たないと思われた時でしたから、この映像がTVで放映された時は本当に驚きました。[ふらふら]
by 老年蛇銘多親父 (2010-08-10 10:42) 

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