小さな体に搭載されたハイメカニズム:HONDA S800物語 [思い出の車たち]

PLから記事の引っ越し行い、過去記事をあらためて見てみると、「思い出の車たち」、このテーマの記事、昨年の夏以来一つも書いていないことに気づいたので、今回は、久々に車のお話。

そこで今回取上げることにした車は、ライトウェイト・スポーツカーの傑作、HONDA S800 通称エスハチ。

Honda S800.jpg

 1966年に登場したこのエスハチ、L3335㎜×W1400㎜×H1200㎜という今の軽自動車(L3400㎜×W1480㎜×H2000㎜)の大きさにも満たない小ぶりな車でした。

しかしながら、その体の中には、当時としてはまるでレーシングカーのような高度で精緻なメカニズムを搭載した車だったのです。

エンジンは、まだOHVが主流でやっとSOHCを取り入れられようになったこの時代に、すでにDOHCを採用、その水冷4気筒のエンジンに4連キャブレター、4本のエキゾーストマニフォールドを装備し、わずか791cc排気量から70PS/8,000rpmもの高出力を発揮していたのです。

この数値は、当時の代表的な乗用車の日産ブルバードが1300CC62PS、トヨタのコロナが1500CCで70PSであったことから見ても、その半分程度の排気量のエスハチが、同等か同等以上の驚異的なパワーを持っていた事がおわかりになると思います。

またさらには、サスペション。

フロントサスペンションは、ダブルウイッシュボーン、そして後輪は、当時リジットの半楕円リーフが主流であったのに対し、独立懸架を採用、足回りの面でも本格的 なものでした。

そして、それらを装備した755kgの車体を 0~400mは16.9秒、 最高速度は160km/h で走らせる高性能を達成していたのです。 

この数値も、当時の1300~1500CCクラスの乗用車のそれが0~400m 19秒、 最高速度は 140km/h程度あったことを考えると、大変な高性能であったことがわかります。  

honda%20s800.jpg

 

さて、このホンダの小型スポーツカーが、発表されたのは1962年のモーターショーのことでした。
当初は、360CCエンジン搭載のS360と、500CCエンジン搭載のS500の車種が、ホンダ初の4輪乗用車として登場したのです。
                                                                           当時まだ小学生だった私は、父親に連れられ、晴海にあった国際貿易センターで開かれていたそのショーに行ったのですが、4輪車の展示場には、前年までなかったホンダのコーナーがあり、そこに2台のスポーツカーと後輪サスペンションが展示されていて、その横でS360と、S500が甲高いエキゾーストノートを響かせながら建設途中の鈴鹿サーキットを疾駆する映像が、誇らしげに流されていたのを覚えています。                                                     
そして、初めて発表する4輪車が、スポーツカーというのも当時オートバイレースで世界を席捲していたHONDAらしいなと感じたものでした。                                                       
hondaS360.jpg          
                                                             
当時、ホンダが4輪への参入を急いだのは、来るべき貿易自由化に備え時の政府が、日本の自動車産業の合理化と新規参入を制限する動きあったためで、このモーターショーの後、国民車としての性格がある軽自動車枠でスポーツカーは不向きだということからS360の市販は中止されましたが、S500は、1963年10月に発売されることになったのです。                                    
                                                                
ところが市販の中止されたS360、スポーツカーとしては陽の目を見ることはなかったのですけど、そのエンジンは、当時市販を目指していた軽4輪トラックに積まれることになり、1963年8月本田初の市販4輪車T360として世に出ることになるのです。                                         
                                                             
驚くべきことにT360がS360から譲り受けたエンジン、DOHC水冷直列4気筒、4連キャブレーター備えた、まさにスポーツカーのエンジンそのものだったのです。
そのため、最高出力もわずか360CCの排気量で30PSと1ℓ当り 100PSにせまるもの。
当時の軽自動車の最高出力が、20PS前後であったことを考えると、かなり異様な存在であったわけです。
そして、現在も、これまでDOHCエンジンを搭載した トラックというのは、このT360だけで例がないという、特異な存在であり続けている、隠れた伝説の車なのです。                                                                                   
t360.jpg
こうして登場したS500は、早くもその翌年の3月にエンジンをボアアップしたS600に発展、50万円+αというスポーツカーとしては低価格にあったこともあり、このあたりから多くのプライベーター達が、この車で当時産声を上げたばかりの日本のモータースポーツに参加するようになっていったのです。                                           
                                                                             
その中には、日本モータースポーツ黎明期の伝説のレーサー 浮谷東次郎や、後に日本初のレーシングカーコンペティベターとなった、現、童夢の代表の林みのるの姿がありました。
                                                                           
やがて浮谷と林は、このS600をさらに戦闘力にあるものにしようと、この車のシャーシにFRPボディを仮装した、レーシングマシンの開発を始めることになるのです。                                                                                                                                                       
                                                                               
そして、その車はカラスという名で登場するのですが、その開発途上浮谷は、鈴鹿での練習中、サーキット内を歩いていた人を避けようとして事故に遭遇、帰らぬ人なってしまったのです。                                                                                                   

そうした試練はあったものの、林はその後もレーシングマシンの開発を続け、生まれたのがS800をベースにした、伝説のレーシングカー、”マクランサ”だったのです。                                                                                                              

マクランサ.jpg
                                                                                   
当時の日本のレース界は、トヨタ、日産などメーカーのファクトリーチームが参加、その話題をさらっている時代でした。
その中で、プライベーターが作った小さなレーシングマシンが、そのファクトリーマシンに喰らい付いて走る。
不恰好ではあり、けして仕上げのよい車とは言えないけれど、その勇姿は多くに人の脳裏に刻まれるものでした。                                                         
                                                                             
マクランサ コク.jpg                                                                                           
                                                                                                
マクランサ1.jpg                                                                       
                                                                                             
日本モータースポーツの登竜門として、多くのドライバーを育てたS800、これから派生し生まれたレーシングマシンともども、日本モータスポーツの底辺拡大に貢献した車として、けして忘れられない名車だと思います。
                                                                                 
エコが叫ばれる現代でも、ドライブすることの楽しさを身近に味わえる強烈な個性を持った、エコも兼ね備えた小さなスポーツカーエスハチ、 その魅力の輝きは永遠のものだと思います。
                                                                                                                

                                                                                                                                                                                                                                               


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りなみ

(*´∇`*)車は大好きですが、HONDAの車は乗ったことがないです。憧れます。。。毎日通勤で、MAZDA車に乗っています。
by りなみ (2011-04-04 20:04) 

囚

日本初のDOHCの市販車がT360って事は知っていましたが、そんな背景があったのですね。
S800は、私が生まれて間もない頃の写真に写っていました。
もちろんウチの車ではないです。

このころの宗一郎さんは「日本もレースやらなきゃだめなんだ」と言い、それを実現して行くものすごいパワーがあったんですよね。
凄い人ですよ、全く。
by (2011-04-04 22:00) 

ヒサ

うおー、ホンダ!ホンダ!(;`O´)/ ホンダLoveです!
by ヒサ (2011-04-04 22:59) 

raccoon

私が2番めに買った車はHONDAのDOHC(クイント インテグラ) です。 今から、20年くらい前ですが、復活!と言われていた訳は、そこにあったのですね。
by raccoon (2011-04-05 23:40) 

本物ホネツギマン

おじゃまします。
by 本物ホネツギマン (2011-04-06 17:04) 

老年蛇銘多親父

りなみ さん

マツダもいいじゃないですか。

私はいまだに、マツダのRX8が欲しい。
昨年、車を買いかける時は、マジに考えていました。

後、魅力的なのはMPVかな。

車は動けばいいという人は別だど、車の好きな人は、自分がその車を使うであろう場面を想定して、そこに、自分の好みや要望を加味、それらの条件できるだけ満足するような、車選びをすることが大切だと思います。

これ難しいけどね
by 老年蛇銘多親父 (2011-04-06 20:36) 

老年蛇銘多親父

囚さん、だいぶ元気なりましたね。

良かったなと、喜んでいます。

S500がDOHCを積んだ、日本で初の乗用車というこはとは、T360は日本で初のDOHCを積んだ、4輪車ということになるのですよね。

世界でも、市販4輪車にDOHCを積んだ4輪車がトラックなんて国、日本だけでしょうね。

本田宗一郎さんの強い独創性と、スケールの大きさがわかる話だと思います。

そして、後の自己が主張した空冷至上主義の敗退後の引き際のよさも、ただ自分を主張するだけではなく、認める所はきっちと認められる、大きな視野の持主であったことを示している出来事のように思います。

本当に、偉大な人物だと思っています。
by 老年蛇銘多親父 (2011-04-06 20:55) 

老年蛇銘多親父

ヒサ さん、コメントありがとうございます。

この雄叫びだけで、ホンダファンの心情が十二分に伝わってきますよ。
by 老年蛇銘多親父 (2011-04-06 20:58) 

老年蛇銘多親父

raccoon さんの乗っていたのは、1.6ℓのVTEC?

その頃、私はTOYOTAの4AG(レビン系の車)の乗っていて、その時試乗したHONDAのDOHC、その低速トルクの厚さにかなり驚きました。

TYOTAのDOHCは、そのころ高回転エンジンのセオリー通り、ショートストロークでしたが、HONDAのそれは、相反するロングストロークだったのです。

そこに低速の強みがあったのですが、これターボF1エンジンの技術の結晶だったのだとか。

本当にエスハチ復活ですね。
by 老年蛇銘多親父 (2011-04-06 21:09) 

老年蛇銘多親父

本物ホネツギマン さん、ブラックアビブから戻ってしまったのですか。

また、ワールド・ミュージック、楽しみしています。

あらためて、よろしくお願いしします。
by 老年蛇銘多親父 (2011-04-06 21:13) 

raccoon

VTEC の前の、PGM-FI搭載のインテグラです。
エンジンに惹かれてというより、リトラクタブルのカッコ良さで
ですかね。

by raccoon (2011-04-09 10:48) 

老年蛇銘多親父

raccoonさん、確かに当時は リトラクタブル魅力的だったでものね。
by 老年蛇銘多親父 (2011-04-10 21:23) 

老年蛇銘多親父

マチャさん
kiyoさん
こーいちさん
佐々木さん
KSGYさん
neoponさん


niceありがとうございます。

by 老年蛇銘多親父 (2011-04-12 05:09) 

老年蛇銘多親父

ねこのめさん

niceありがとうございます。

by 老年蛇銘多親父 (2011-04-17 04:43) 

老年蛇銘多親父

のぶよしさん初めまして。

またお立ち寄りください。

by 老年蛇銘多親父 (2011-05-06 20:41) 

高木茂美

マクランサは懐かしいのと憧れでした。その時代私もホンダs
800でレース活動してました、私のメカニックは当時有った
ホンダSFのメカニック、レース活動には大変助かり、良い成績を残せたのも、彼達2人の御蔭でした、当時の、ホンダ池上SF
の優秀なメカニックでした。
今現在でも1人は、付き合い有ります。
by 高木茂美 (2011-09-18 13:02) 

老年蛇銘多親父

高木さん

コメントありがとうございます。
エスハチでレースをされていたのですか。

このマクランサの頃、まだ私はオートバイ少年の頃だったので実際にエスハチには乗れませんでしたが、自分達の乗っていたHONDAのバイクをのエンジンを整備した時に、HONDAのエンジンの精密さを知り、エスハチに憧れたものでした。

マクランサは、日本にのコンダクターによるレーシングカーの始まりを飾る名車として若い方にも是非知っておいていただきたいと思い、ここで触れさせていただきました。
by 老年蛇銘多親父 (2011-09-19 18:09) 

老年蛇銘多親父

yuzman1953さん

niceありがとうございます。
車好きなんですね。

S8の絵など描いて、また頂けたらと思います。
by 老年蛇銘多親父 (2012-04-13 06:28) 

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