花々に包まれた甲斐源氏発祥の郷 [仕事の合間に]

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少し前のことになりますが、今年4月の終わりから5月に甲州路へ度々足を運ばなければならなこととなり、かなり忙しい日々を過ごしていたのですけど、そうした日々、わずかの時間手が空いた時にあたりを見回してみたところ新たな発見が!!

前回は、3月終わりの寒の戻りのおかげで、例年なら花時期が終わっているはずの桃の花園を訪れかろうじて最後の花を咲かすその様子瞬間を紹介させていただきましたが、今回は出会った花々は、

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まずは、はなみずきの花。

いつも仕事で訪れる甲府市から中央市にかけての一帯は、街路樹にはなみずきが植えられている場所があって、かねがね見頃に行けば、その可憐な花々の美しさを満喫できる場所だなと思っていたのですが、これまでなかなかその機会に恵まれず出会えないでいたのす。

しかし、今年は!!

やっとのことでその時期を捉えることができたのです。


白いはなみずきもこの通り。

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そして、さらに、この季節の甲州路の楽しみは、こちら!!

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ちょっと、変わったアヤメの花。
普通アヤメと言うと、紫か稀に白い花をつけるがふつうなのですけど、こちらの花は???

紫の花に混じって黄色や肌色の花が咲いているという、なんとも不思議な光景。

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この写真、中央道下り線の境川PAの売店裏の5月の連休明けの光景なのですけど、皆さんも、この時期この場所を通ることがあったならば、そこに立ち寄って覗いてみるのもいいかもしれませんよ。

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さて今回の旅、甲斐路に咲く春の花々の宴も楽しみ一つだったのですが、今回は、昨年秋に訪れた壇ノ浦の戦いの時、遠弓の秘儀で相手を倒し源氏の勝利に大きな功績を残した浅利与一こと浅利義遠、その所縁の地である大福寺に義遠の墓所があることを知り、その地を再度訪れてみることにしたのです。

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その結果......

前回の記事でお話をした通り、この浅利義遠と言う人物は、平安時代末期に現れた武田信玄に通じる甲斐武田氏の祖である武田信義の弟なのですが、この墓参をしたことがきっかけとなってしまったのか、源平の世に活躍した甲斐源氏一党の歴史の痕跡の世界へとまた一歩足を踏み入れてしまうことになってしまったのです。



その出会いは、ホテルから仕事場へ通う道での出来事。

今回は、いつも常宿としている宿ではではなく、初めて南アルプス市のホテルに宿泊したのですが、そのホテルからの道を走っている時に何気に目に入ってきたのが、加賀美山 法善護国寺 加賀美遠光公館跡の案内板。

これは、何か曰くがありそうな場所と思い、そこで、仕事の手が空いたら訪れてみることにしたのです。

そして、そのチャンス待つこと3日。

やっとのことで訪れることが出来た場所、軽自動車も離合できないような狭い道を2㎞ほど右に左に走らされこれはたいした場所ではないのでは思いつつ、やっとのことでたどり着いた先にあったのは、

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訪れる人も少ない閑静な場所にあるにも関わらず、どこか風格のある建物が。

二天門と呼ばれる門なのだそうですが、その軒先にある扁額を見てみると、

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どこか歴史の香りを感じる、加賀美山の文字が。

そして境内に入ってみると

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古風な面影を宿した鐘楼が建っています。

案内板を見てみると、14世紀頃の鋳造のもので甲斐国八名鐘の一つとして県指定文化財となっているものだとか。

それにしても、何故こんな鄙びた場所に、こんな構えの大きな寺がるのかと思ってこの寺の由緒と、ここに館があったと言われる加賀美遠光のことを調べてみると。


この寺、平安時代に創建された真言宗の寺院で、同県韮崎市にある甲斐武田氏の祖である武田信義が元服をしたことから武田氏を名乗ることとなったその曰くのある武田八幡宮、その八幡宮の別当寺(神社を管理するために置かれた寺)となっていた甲州屈指の名刹だというのです。

そして、この地に館を営んだという加賀美遠光。

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実はこの人物も先の浅利与一と同様、甲斐源氏の一員で、武田氏の祖、武田信義の異母兄弟なのだとか。
京都において内裏を警護する滝口武者として得意の弓で宮中に起きた怪異を打ち払い、時の天皇であった高倉天皇より褒賞を賜り、また鎌倉幕府誕生の後は、頼朝一門の一人として重きをなした人物。

その末裔は、小笠原氏や南部氏を起こし戦国、江戸期を生き抜きその血脈を保って来た、それら名族の祖となる人物だったのです。

そして遠光とこの寺の関係、それは、平安末期には戦乱によって堂塔伽藍が廃頽に帰してしまったこの寺を、遠光が自分の領地に移し再興、孫の遠経の代にこの地に再度移転再建されたのがこの今の法善寺なのだのこと。

その後は、武田氏の祈願寺として手厚い保護受け、かの信玄公も幾度となく訪れたというこの寺、浅利与一の時と同じく再び甲斐の国の知ら是らる隠れた歴史の世界に足を踏み入れてしまうことになりました。

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春を彩る花々と、新たな歴史発見、今回の甲州行きは本当に実り多い旅でした。
その度の様子、今回もこんなPVに仕立ててみました。
George Adamsのちょっと朴訥なフルートにのせてその気分味わってみてください。






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ぼんぼちぼちぼち

肌色のあやめって珍しいでやすよね(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2017-07-14 21:39) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

ぼんぼちぼちぼちさん

私も最初 この肌色のあやめを見たとき目を疑ったぐらいでしてね。



by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2017-07-16 11:30) 

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