今も、江戸庶民の賑わいが宿る場所;神田明神その2 [歴史散策]

前回は、現在の神田明神の様子を書かせていただきましたが、今回はその由緒ついて書いて行きたいと思います。

長きにわたり多くの江戸っ子の信仰を集めてきたこの神社,ところが最初から現在の場所にあったわけではないのです。

社伝によると、この神社の創建は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村に祖神を祀ったのが、この神社の始まりとあります。

そこで今回は、この神田明神があった場所を訪ねてみることにしました。

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その場所、大企業の本社ビルが立ち並ぶオフィス街にの一角、現在の東京都大手町にあるのです。

この写真の左側にある大きなビル、その左横に見えるこんもりと木の茂った場所、そこが、この神田明神の発祥地なのです。

道路渡って、その近くまで足を進めてみましょう。

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入口の前までくると'将門塚”の案内板があり、中を見ると

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将門塚と書いたの石柱があり、その奥に神田明神旧蹟地と書いた白い旗が見えます。
確かにこの場所が神田明神のあった場所なのですが、将門塚の石柱があるのは何故なのでしょう。



そこで、神田明神に祀られている神様を見てみると、

一ノ宮:大己貴命(だいこく様)
二ノ宮:少彦名命(えびす様)
三ノ宮:平将門神(まさかど様)

とあります。

そして、三ノ宮に祀られている神様に塚の名前の”将門”の文字が見え、この塚と何か関係がありそうです。そこで、まずは、この三柱の神様の素性を見てみることにしましょう。

一ノ宮の大己貴命は、出雲の国譲り神話や因幡の白兎で有名な神様、大国主命のこと。
二ノ宮:少彦名命は、お伽噺の一寸法師の元となった小さな神様で、大国主命の国造りを助けた神様。
共にこの神社の氏子である出雲氏との関係が、深い神様です。
ということで出雲氏の祀るこの神社に名があるのは当然なのですが.......。

ところが、三ノ宮の平将門神様、先の二柱の神様とは名前からして全く違う、出雲氏との関係もない神様だというのです。

それでは、どうしてこの神社に祀られているのか、さらに将門さまについて調べてみると.........、
この神様、歴史上実在した人物だということがわかります。


実は、この平将門神さま、平安時代、桓武天皇の孫で臣籍に降下し平氏の姓を名乗って京より東国下り、その地に地盤を築いた高望王の孫にあたる人物。

その将門が歴史に名を残した背景については、以前、”ビルの前の大鳥居;築土神社”で書かしていただいたので、そこから引用させていただきますと


将門の生きた平安時代中期、京は藤原氏の全盛期。ひと握りの高級公卿が栄華を誇り、高級公卿以外の人は人間と見られていなかった。特に関東以北は蛮人の世界と見られていた時代。

 そうした中、京での栄達の道を失った者達は地方に落ち戦いつつ土地を開拓し、次第に力を蓄え豪族化していく。

―方、京の公卿達は彼らを蔑みながら、自分達の栄華、快楽のため過酷な要求を突き付けてくる、そうした中で、その力をつけて来た新興勢力の頭領として初めて反旗を翻したのがこの将門だった。

そして、この戦いは、朝廷の手によって利用された反抗勢力より鎮圧されるも、その100年余り後、鎌倉幕府の成立という武士に時代の到来を見るに、後の世の関東の人々は、将門を時代の扉を開けさしめた英雄として語り継ぎ崇めていった



将門は圧政に苦しむ東国の人々の先頭に立ち朝廷に反旗を翻し、討ち取られたもののその後も東国の人々に慕われ続けた人物というわけですが、将門がこの乱を起こしたのは、天慶3年(940年)のこと。
平将門の乱として歴史の教科書にも載っていたので、この名前には御記憶にあるのではないかと思います。

そしてその戦いの後、討ち取られれた将門の首は、京都に運ばれ、そこでさらされることになったのです。

ところがこの首、さらされて3日後京都から忽然と姿を消してしまいます。
伝説では、首が失われた体を探して東の空に飛んで行ったとなっていますが、おそらく将門を慕うものの手によりひそかに持ち去られてしまったようなのです。

さらに伝説ではこの飛び去った首が、力つきて落ちたのが、この将門塚のある場所なのだと伝えています。

そして現在この場所の奥には、将門の首塚というこんな塚が建っていて、今も多くの人が供養に訪れています。

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これが将門と将門塚の由来ですが、しかし将門は、最初から神様であったわけではないのです。
それどころか、初めは、この地で怨霊となり人々を苦しめる存在だったのです。


その将門の怨霊が鎮められ神として祀られるようになるのは、将門の死後250年余りが過ぎた徳治2年(1307年)のこと。

時宗の開祖、一遍上人の弟子の真教上人の手によってでした。

上人は、将門に蓮阿弥陀仏という法号を与え、塚に石塔を建て近くにあった日輪寺に供養するともに、御霊をこの地にあった神田明神に合わせ祀ることで、将門の霊を鎮め守護神としての役割を与えたのでした。


こうして、神田明神に祀られる神となった将門は、その後多くの関東武士の崇敬を集めるようになります。
その中には、この地を拠点とした江戸氏、戦国時代関八州を支配した、後北条氏の2代目当主の北条氏綱の名が見えます。

そして、この神田明神を出雲氏の氏神から江戸総鎮守として広い信仰を集めるきかっけを作った人物が、将門を祀るようになります。

その人の名は、徳川家康。

家康は、歴史的に名高い関ヶ原の戦いに赴く際、この将門神に戦勝祈願し出陣していたのです。

そしてその戦いに勝利を収めた後、天下収めた家康は江戸城の拡張と町の整備を本格的に開始します。
その城の拡張に伴い、社地が城の敷地にかかることとなったため、将門をもって江戸城北東鬼門封じとするよう、元和2年(1616年)社を現在の場所に移転、神田明神に江戸の町の総鎮護を祈願し崇敬するようにしたのでした。

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そこで、この首塚から100mほど歩き江戸城内堀に行くことに。
堀のすぐ先に建っている大手門を眺めていると、そこに江戸普請の往時の息吹を感じ、眼前に出現した武士の世の到来を、満足げに見守っている将門の姿があるような、そうした様子が浮かんで来るのでした。


そしてこの首塚、明治以後、関東大震災の後、太平洋戦争敗戦後GHQによって、2度ほど撤去の憂き目を見たのですが、都度、工事中事故による怪我人が出たり、関係者が死亡するなど災厄が発生し中止となっているのです。

それは、今だ衰えぬ将門の怨霊パワーによるものだったといわれ、それがビル街の真ん中に塚が大切に保存されることになっている要因なのですが、今も脈々と変貌し続ける東京の姿を見ていると、江戸の守護神将門のそうした強烈なパワーが、今もこの町を覆い動かし続けている、

将門塚、それはそんな思い抱かせる、不思議な都市空間であるように思われたのでした。


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マチャ

当時の人々にとって、怨霊は現実のものとして
畏怖されていたでしょうね。
平将門も関西では「反逆者」のイメージが強いですが、
やはり敗者の歴史には強く興味をひかれます。

今回も楽しく読ませていただきました。
by マチャ (2011-05-21 13:18) 

老年蛇銘多親父

マチャさんいつもありがとうございます。

将門は確かに関西では、反逆者のイメージが強いですね。
私は、将門はけして敗者ではない、ただあまりにも時代を先取りして進み過ぎてしまた人物だと思っています。

関東という土地の歴史を語る場合、将門の影がいたるところにあるのです。

東京という町自体、もうひとつの鬼門封じの日枝神社も将門と関係があるようで、将門に守られ発展した都市のようなのです。

次は、将門の本拠地であった茨城県の岩井あたりを歩きつつ、その足跡をたどってみたいと思っています。
by 老年蛇銘多親父 (2011-05-22 09:20) 

ituki

神社一つに とても長い歴史があって 歴史上の重要人物がかかわっているって・・・ それもその影が今も感じられるところなんですね
首塚っていうとちょっと怖い感じがしますが 歴史を知るって大切なことですね 
by ituki (2011-05-22 14:35) 

老年蛇銘多親父

ituki さんありがとう

歴史の面白さ、この記事で少しでも分かってもらえ光栄です。

日常なにげなく過ごしている場所でも、よく目凝らして見ると歴史があり、多くの人々の足跡が見えてくる。

今住んでいる場所も、そうやって見ると何か新しい発見があり、それまでと違った愛着を感じれるかもしれませんよ。
by 老年蛇銘多親父 (2011-05-23 05:33) 

高燃費クララ

新潟と関東て、やっぱり違うんだなぁ。
by 高燃費クララ (2011-05-23 09:36) 

老年蛇銘多親父

高燃費クララさん、どうもありがとう。

日本の東と西では、文化、風習にずいぶん違う点がありますね。

将門の登場は、民衆が歴史に登場する萌芽だったことを考えれば、東にの文化は民衆により形成されていったものだと言えるのではないかと思います。
by 老年蛇銘多親父 (2011-05-24 06:27) 

老年蛇銘多親父

ヒサさん
かなっぺさん
せいじさん
OakCapeさん
ねこのめさん
neoponさん
akiyoshiさん
抹茶さん

皆さん(* ゚̄ ̄)/・ありがとうございます。
by 老年蛇銘多親父 (2011-05-28 12:32) 

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