ロータリーの思い出 その2 [思い出の車たち]

前回その1では、マツダ・ロータリー・エンジンの誕生からモーター・スポーツへの挑戦、そしてスカイラインGTRを破り、国内ツーリングカ―・レースの頂点に立つまでをお話させていただきましたが、今回はそのルマンへの挑戦の始まり、そこからお話を始めることにしたいと思います。

Mazda 7872_corner_large.jpg


スカイラインGTRからサバンナRX3への王者の交代、今考えると、それは直列6気筒エンジンを搭載したスカイラインGTRの多気筒、高回転、高出力エンジンの時代から、軽量、コンパクトで高出力レーシング・エンジンの時代への幕開けの出来事であったように思えて来ます。

さらに、このロータリー・エンジン、レシプロ・エンジンにあるバルブなどの複雑な機構を持たないことによるOH等整備の容易性という利点、それが、レースにおいて多くのプライベータ―による支持を受けていくことになったのですが、そのルマンへの挑戦も、そうしたプライベータ達の手によってなしとげられたのでした。


そのロータリー・エンジンが初めてルマンに登場したは1970年のこと。
ベルギーのプライベート・レーシング・チームの手による、10Aロータリー(491cc×2)を搭載したシェブロンB16によってでした。

chevron b 16.jpg


このロータリーのルマン初参戦、結果は序盤早々のリタイアに終わるのですが、それから3年後の1973年、日本のプライベーターにより、再びロータリーのルマンへ挑戦が開始されます。

マシーンは、シグマMC73・マツダ。
当時日本国内レースのトップ・カテゴリー・レースであった、富士グランチャンピオンレース用のカテゴリー・グループ7の2座席レーシンガーに、夜間走行に必要なライトや補記類をつけるなど、ルマンに出場できるようグループ5の規定に改造された車で 、搭載されたエンジンは、マツダオート東京のチューンよる573cc×2ローターの12A。

そのシャーシーの設計は日本のシグマ・オートモーティヴ(現在のサード(SARD)の母体)という、プライベート参加ながら純国産によるルマンの初挑戦となったのです。

MC73 leman.jpg


その初挑戦、11時間目にクラッチのトラブルでリタイアという結果に終わりますが、翌年はマツダオート東京(後のマツダ・スピード)が中心となり、シグマ・オートモーティヴのエントリーした前年モデルの発展型のマシーン シグマMC74・マツダで引き続き挑戦、24時間を完走するも規定周回数不足で失格という結果に終わることとなります。

シグマMC741974_1.jpg


そして、1974年にシグマ・オートモーティブとジョイントで参戦したマツダオート東京は、その5年後の1979年、今度は単独で 前年発売されたばかりのを模したアメリカのレース統括団体 IMSA GTO仕様のシルエット・フォーミュラ・マシン サバンナRX7・252iでルマンに挑戦をすることになるのです。
しかしながら、マツダ、ファクトリーのサポートを得られなないディーラー参加であったこともあり、準備不足も手伝って結果は予選落ちという散々なものに終ってしまいます。


しかし、こうした苦難にもあいながらマツダオート東京は、翌80年はルマン参戦準備の年として欠場するも、翌81年からは、再びその挑戦を開始します。

13bロータリーエンジン.jpg

                                      13Bロータリー・エンジン

その挑戦は、出力を79年の280馬力から300馬力に向上させた2ローター13Bエンジンを搭載した2台の253を携え出場、予選は通過するも決勝リタイアとなるのですが、翌82年には信頼性の向上を図った同じく2台の254でチャレンジ、1台が見事完走 総合14位の結果を残すに至ったのです。

サバンナrx7 254.jpg


そして、この年の14位完走の好結果は、腰の重かったマツダ・ファクトリーをルマンの道に誘い込むことになったのです。

そこで、91年のルマンの生放送の中で放映された日本車の挑戦の映像で、マツダ・ファクトリーの参戦の記録をご覧いただくことにいたしましょう。





83年マツダ・ファクトリーがルマンに持ち込んだ車は、前年の82年FISA(国際自動車スポーツ連盟)のレギュレーション改訂によって耐久レースの主役は、グループ5のシルエット・フォーミュラからグループCカ―に変わっていたのですが、この年、新たにそのCカ―の小型版のグループCジュニアクラスが設けられたことから、そのレギュレーションに従って開発されたものでした。

Mazda 717C.jpg


Mazda 717C、サバンナRX7・254に使われた 13B 300馬力のロータリー・エンジンをミッドシップに搭載したこの車、その可愛らしいフォルムが印象的ですね。

83年のルマンでは、このPVにあった通り、この車で見事Cジュニアクラス初の優勝を成し遂げています。

さらにその翌年の84年、717Cを改良した727Cで臨むもこちらはトラブル続出ながらも完走、代わってCジュニアクラスからC2クラスとなった、そのカテゴリーでは727Cと同じ310馬力にパワー・アップした13Bロータリー・エンジンを搭載した、アメリカからエントリーした日本の片山義美の乗るローラT616マツダが、総合10位、C2 クラス優勝というこのクラスでのロータリー・エンジンの圧倒的強さを見せつけることになったのです。

ローラT616マツダ.jpg


さて、こうしてC2クラスを制覇したマツダ。ロータリー・エンジン、85年は727Cをさらに発展させた737Cで戦いますが、トラブルを抱えながらもからくも完走、年を追うごとにスピードを増すC1マシンとの戦いに挑み総合優勝を勝ち得るため、そのステップ・アップを開始することになります。

それは、さらなる高出力なエンジンを得るため、それまでの2ローターからさらにマルチ・ローターへの道を歩んで行くことになるのですが、その話はまた次回とすることとして、91年のルマン、787Bと戦ったマシン達の映像、ちょっと抜き出してみましたのでまずはそちらをご覧下さい。



ルマン89年の覇者 ベンツ、90年覇者 ジャガー、そして92年以降レースの主役となる3.5ℓ自然吸気エンジンを積み、92年ルマンの覇者となるプジョー905と、凄い顔ぶれがそろっていますね。

最後に、その強豪達が入り混じって走っている91年のルマンのスタート・シーン、こんな映像を見つけましたので、それを見ながら今回のお話を終えることとしたいと思います。











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りなみ

(*^_^*)親父さん、こんばんは。とても興味深く読みました。ありがとうございます。私も車がスキです。マイカーは、MAZDA DEMIO が壊れるまで乗り、いまは MAZDA MPV に乗っています。職場では、MAZDA AZ ワゴン にも乗ります♪ 運転は、びゅんびゅん飛ばすタイプではないのですが、特に下手ではないです(笑)おじいちゃんおばあちゃんに、ブレーキングを褒められます。もっと運転が上手くなりたいなぁ…と常に思っています(*^^)v
by りなみ (2012-06-17 21:45) 

老年蛇銘多親父

りなみちゃん

MAZDA MPV とは、また大きな車に乗っていますね。
私もMPVには魅力を感じていますが、乗り心地はいかがですか。

ブレーキングを褒められとは。
運転上手下手はやはり一番ブレーキングに表れますからね。

運転楽しみながら、着実をモットーに、これが一番だと思います。


by 老年蛇銘多親父 (2012-06-19 06:07) 

ituki

お仕事のお忙しい中、貴重な映像の数々をありがとうございます^^[ラブラブハート]

1973年から10年近くのマツダオート東京の七転び八起きのようなチャレンジ[ぴかぴか]
こういう涙ぐましい地道な努力があって、マシンがステップアップしていった様子がわかって感動しました。
特に、RX7はかっこよかったです^^[ラブハート]

それにしても、トヨタやニッサンが参戦したのは遅かったんですね~。

最後の動画は面白かったです^^
レースもですが、東京のスタジオでの解説がなるほどなぁと・・・
カテゴリー2のレギュレーションの車両重量1トン!
この解説は、また次回なんですね^^;
バックに流れる80年代の曲なんだったっけ(ー”ー;)??
とか思いながら楽しめました^^♪
続編楽しみにしています♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪
by ituki (2012-06-23 12:28) 

りなみ

(*´∀`)♪親父さん、こんにちは。MPV 乗り心地、良いですよ。大きいけど、右折・左折など、キビキビ動きます。加速も良く、気持ちいいです。おばあちゃんは車酔いするのですが「りなみちゃんの運転のMPVだけは酔わない」と言ってくれます♪
by りなみ (2012-06-23 16:06) 

老年蛇銘多親父

イッチー

トヨタやニッサンが参戦したのは遅かった、これ83年に日本で世界耐久選手権のレースが開催された時、日本にはまだC1クラスの車がなくてね。

翌年、トヨタも日産もCカーを作って国内の耐久レースに出て来たのだけど、プライベートのポルシェ956Cに全く歯が立たない状態だったんですよ。

その後数年、なかなかポルシェの壁を破れなくて、やっと覇を競えるようになった所でルマンに出て来た、そういった記憶があります。

そのルマンに出て来た車、トヨタは童夢のシャ―シ―にセリカGTに積んでいた直列4気筒 2.1ℓターボの3SG改エンジン搭載したマシンで、日産はマーチ・エンジニアリングのシャ―シ―にセドリックに積んでいたV6 3ℓターボエンジンを搭載したマシンでした。

特にトヨタの4気筒は2.1ℓながら600馬力近くあって、当時世界一滑らかな4気筒エンジンなんて言われてましたっけ。

カテゴリー2の1t車重、これは翌年から主力の自然吸気3.5ℓエンジン車の参加を促すための処置だったようで、その前年までは車重800kg台だったように記憶しています。
しかし、これは車にはかなりきつかったと思いますね。

バックに流れる80年代の曲、どうやらこれ”Trane”という曲のようです。
動画が第3者のコンテンツとバッティングしているというので、見てみたらこの曲せいだということで分かりました。

by 老年蛇銘多親父 (2012-06-23 19:27) 

老年蛇銘多親父

りなみちゃん

加速を楽しむとはなかなかハードですね。

MPV乗り心地も良いとのこと、りなみちゃんのドライブで一度乗せてもらいたものですね。
by 老年蛇銘多親父 (2012-06-23 19:34) 

老年蛇銘多親父

raccoon さん
yuzman1953 さん
thisisajin さん
mk1sp さん
マチャ さん
yukihiro さん
ねこのめさん
ヒサ さん
TAMAさん

みなさんどうもありあとうございます。



by 老年蛇銘多親父 (2012-07-07 05:14) 

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