亡き盟友を偲ぶ語らいの音;Stephane Grappelli & Barney Kessel・I Remember Django 本日の作品;vol.109 [デジタル化格闘記]

ここ最近、かなり昔の音源のが話が続いてしまっていますが、今回もまたその昔の音源から一枚。

こうした古い音源の話、これを書くとアクセス数の方はかなり減ってしまうのも事実。
しかし、この作品も、私にとってはこれまでご紹介して来た3作品と同様、何かと言えば聴きたくなる愛着のある作品のひとつなのですが、これまでにご紹介して来た作品が、ジャズ・ファンの間では名盤として知名度の高い作品だったのに対し、こちらはそうした名盤の類ではないどころか、LP時代の作品が次々とCDとして復刻されている現在においても、今だCD化された形跡が見つからない、ちょっとレアだけど、私にとってはお気に入りの一つとなっているものなのです。

そのレアな作品というのが、こちら。

i remember django.jpg


フランス出身のジャズ・ヴァイオリニスト Stephane Grappelliと、アメリカ出身のギタリスト Barney Kessel 、その二人の共演による1969年制作の作品、” I Remember Django”です。

”ジャンゴの思い出”と題されたこの作品、ここで演奏しているステファンとバーニーによってその思い出が語られているジャンゴとは、1920年代半ばから50年代初めにかけて活躍したベルギー出身のギタリスト ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt)のこと。

このジャンゴ、かなり昔の人なので知らないという方も少なくはないと思うので、少しばかり彼についてお話をすると、
1920年代の半ばにギタリストとして活動を始めていたジャンゴ、1928年にはレコーディング・デビューを果たしています。
ところが、レコーディング機会も増え前途洋洋の未来が見えてきたという矢先、火事場の火を消そうと半身に大やけどを負い、右足の麻痺と左手の薬指と小指に障害が残るというギタリストとしての生命を失わんばかりの災禍に見舞われながらも、その努力よって独自の奏法を開花させしめたという、伝説のギタリストなのです。

そして、その後は、弦楽器による自己のクインテットを結成、フランスを活動拠点としながらもそのサウンドは、デューク・エリントンをはじめ多くの本場アメリカのジャズメンをも魅了さしめ、共演を望まれるまでになるのです。

そうした彼の音楽は、やはりフランスを活動拠点としていた音楽家らしく、フランスの作曲家ドビッシーやラベルの影響を強く受けていたとのことで、このあたり本場アメリカのジャズが、クラシックの技法を取り入れるようになるのは1940年代終盤であったことを考えると、その先進性には驚きを感じずにはおれず、そのことがアメリカのジャズ・アーティストによって、大きく評価される結果となったのではないかと思えるのです。

そのジャンゴの音楽形成に大きく貢献したのが、この作品でヴァイオリンを弾くステファン・グラッペリなですが、その出会いは、ジャンゴを襲った大きな災禍の後、新たな旅立ちの初めとなった1931年のこと。

二人は共に、弦楽のみによるクインテットを結成、以後、第二次世界大戦の間、その交流の中断はあるものの、生涯通じてのパートナーとして、共に活躍していくことになるのです。

そうした一時の離れ離れとなった活動期間はあるものの、長き渡り人生を共に過ごしてきたこの二人、その二人に突然の永遠の別れの時がやってくるのです。

それは、1953年のこと。
この年ジャンゴは、ジャズの巨人の一人ディージー・ガレスビーとの共演を果たし、ビング・クロスビーからのオファー受けようとしていた、いわばその絶頂期のことでした。
享年43歳。

そのあまりにも早い死は、MJQのジョン・ルイスよって書かれた名曲”Django”にに代表されるように多くのミュージシャンに大きな衝撃を与えたのですが、特にステファンにとっては、晩年に至るまでジャンゴと共に活動した弦楽だけのバンドを率い活動していたことを考えると、その心の傷の大きさは測り知れないものであったと思うのです。

それでは、この辺でステファンのジャンゴの対する万感の思いを込めたその演奏、この作品の中から、まずは1曲聴いてみることにいたしましょう。





曲は、このアルバムのタイトル曲ともなっている”I Remember Django”。
ステファンが、ギターに名手バーニー・ケッセルを従え、思う存分、亡きジャンゴへの思いを語っている、哀愁の中にも深い友情の絆が感じられる演奏だと思います。

ところで、この映像にあるジャンゴとステファンによるクインテットの写真、この中にシングルトーンでソロをとっているような仕草をしているジャンゴの姿が見てとれますよね。

実はこの時代、ジャズでは、一般的にはまだギターは伴奏楽器としての存在で、ソロ楽器としては使われていなかったのですが、それは、金管楽器などに比べギターは音量が小さかったことが原因で、本場アメリカでは1930年代のエレキ・ギターの登場によって、ジャズギターの父と言われるチャーリー・クリスチャンが1940年代に入り、初めてソロ楽器として使用したのが始まりだと言われているのです。
しかし、それより10年以上前に既にジャンゴは、ギタ-をジャズのソロ楽器として使用演奏していたのです。

そのことは、弦楽のみのクインテットだから出来得たことで、それはジャンゴがギター・ソロするため目論見だったのではなど思ったりするのですけど、このジャンゴのクインテットのスタイルを踏襲したステファンとバニーの演奏もでもわかる通り、弦の持つ優しい音色から感じられる、しっとりとしたヨーロッパの香りがあって、こうした演奏もまた心が和む、実にいいものであることがわかります。

さて、そうした良さを知ったところでもう1曲。
今度は、アップ・テンポを明るい曲をこのクインテットの演奏で、先日撮った桜の花の映像に合わせ聴いてみることにしたいと思います。



曲は、It`s Only A Paper Moonです。
ジャズでは希少なヴァイオリンによるこの演奏。
こうしたアップテンポの曲では、聴く者を浮き浮きとした春の雰囲気の中に導いて行くように感じるのですが、桜の花との相性はいかがだったでしょうか。

さて、Stephane GrappelliとBarney Kesselによるこの作品、本場アメリカのジャズとは違った、レトロな感じはするけれど、どこか小粋で洒落た味わいがあり、心を癒し落ち着きを取り戻してくれる、こんな音楽が少なくなった今日、時には聴くのもいいものではないかと思います。

Track listing
1.Remember Django
2.Honeysuckle Rose
3.I Can't Get Started
4.What A Difference A Day Made
5.More Than You Know
6.Et Maintenant
7.I Found A New Baby
8.It's Only A Paper Moon

Personnel
Violin – Stéphane Grappelli
Guitar – Barney Kessel
Rhythm Guitar – Nini Rosso
Bass – Michel Guidry
Drums – Jean-Louis Viale

Producer – Alan Bates, Chris Whent

Recorded at the Studio Davout, Paris, France June 23 & 24, 1969.

DSCN3681m.JPG

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ミスカラス

おぉ!最高ですね。ジャンゴ・ラインハルトのジプシー・スウィングの世界とっても粋です。
何年か前にウディ・アレンの映画で観た「ギター弾きの恋」を思い出しました。

http://youtu.be/7fnHRs6fI8o
by ミスカラス (2014-04-06 14:46) 

ハンコック

こんにちは。
桜も満開の時期を過ぎましたね。
しかし、見事な桜ですね。
私も満開の桜をカメラに収めようと、いろいろと走り回っておりました。
Jazzバイオリニストとして聴いているのは、この
Stephane Grappelliと寺井尚子さんくらいなのですが、この盤は聴いたことがありませんでした。
Barney Kesselのギターも良いですね。
テンポよい曲がやっと春が来て、これから
テンションが上がっていくような、そんな気持ちが感じられました。
また散った花びらが思い出のような哀愁に似た気持ちにさせてくれますね。


by ハンコック (2014-04-06 15:37) 

老年蛇銘多親父

ミスカラスさん

私も、この小粋な感じが好きでしてね。
「ギター弾きの恋」、映像を見せていただきましたが、確かにこの演奏と重なってくるものがあるように感じますね。
by 老年蛇銘多親父 (2014-04-11 05:43) 

老年蛇銘多親父

ハンコックさん

この盤、Black Lionレーベルのものなのですけど、このレーベル、他にもジョニー・グリフィン、デキスター・ゴードン・ベン・ウェブスタ-など、アメリカの一流どころがヨーロッパに渡ってからの名演などいい作品が多いのに今は版権関係もあってか、入手が難しいようでね。

特にこの盤などはジャズではメインではないヴァイオリンが中心の作品ということで、最初日本でリリースされた時にもほとんど話題になることはなかったことから、余り知られてはいないようなのです。

そんなこともあって、今回こうした隠れた作品、その良さを感じてもらおうとこの記事を書いたのですが、気にいいていただけて良かったと思っています。

散った花びら、いつもは何も感じなかったのに、雨上がり朝、いつもの桜並木を歩いていたら、妙にそのはかない美しさが心に残ってしまって、映像に使ってみたのですけど、哀愁に似たものを感じていただけたようで、良かったなあと考えています。




by 老年蛇銘多親父 (2014-04-11 06:10) 

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