秋の訪れ,その足跡を探して(栃木初秋探訪編) [仕事の合間に]

今年の9月10月、昨年職場も変わり、前職場での東へ西へと駆けずり回る忙しい日々とは決別して、ここ一年はゆったりとした雰囲気の中で仕事をする毎日を過ごしていたところ、そこにまた飛び込んで来たのが、はたまた仕事で東へ西へと駆けずり回る忙しい日々。

何故こんなことになってしまったのかというと、それは昨年まで勤めた職場からの突然の業務応援の依頼。

実は、私の抜けた後の前職場、その後大幅な戦力ダウンとなり、それまで熟して来た仕事を熟すのもままならぬ状態となっていたところに、メンバーの一人が入院長期療養となってしまったことから、いよいよ首が回らぬくなってしまい、その職場のOBである私への救援要請となったもの。

それまで苦楽を共にし世話になってきた仲間からのSOS !!、むげに断ることはできないし、なんとか力を貸してあげたいと考えるも、1年ぶりとなる超が付くほどの忙しい日々、さすがにこれまで惰眠を貪っていた体はすぐに馴染まず、かなりきつい思いをすること必定、老体に鞭打ちながらのつらい毎日となるであろうと憂いつつも、頃は秋の始まり、旅先、その仕事の合間にともすればまた季節感に満ちた良い風情に出会えるのではという期待に惹かれて、いささか腰引け気味なっている頭を良いことの方に切り替えて、この申し出を引き受けることにしたのです。

そして9月の中旬も終末に押し迫ったとある日、最初に向かうことになったのは、栃木県さくら市。
日光連山を望めるこの地、秋ともなれば一日、時を経るごとに変化する山容の表情を楽しめる場所なのですが、今回は雨と曇り空に阻まれその雄姿を見る楽しみは閉ざされ、変わって心を和ませ楽しましてくれたのが、こちらの写真。、

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それは、赤トンボ。
この地、東北本線の引込み線脇の場所なのですが、4年ほど前にもここで赤トンボと出会ったことがあり、その時、ここにある事務所の方に伺ったところ、毎年夏に日光連山で発生したトンボが9月になって涼しくなると里に下りてくるのだという話。

そうしたことで今回もここで赤トンボに出会い、迫りくる秋の足音を感じられたらと思っていたところ、以前よりは数は少なかったもののなんとかその秋の使者に出会うことが出来ました。

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秋の到来を告げる使者赤トンボに出会い、秋の足音を確実に聞いたところで、次に気になり出したのは木々の葉の色付き具合。
9月ではその期待、まだ早いかと思いながら仕事場付近を散策、近くの公園の木々の様子をよく見てみると!!

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なにやらかすかな変化が起きているよう。
さらに近づいて観察してみると

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幾分赤みを帯び始めた楓の葉の様子が見てとれます。

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そして、その下には秋の扉を開くかのように、彼岸花が、秋到来を告げるかのように美しく咲いていました。



こうして、かすかにも秋の到来を感じることが出来た栃木県さくら市。
これまで何回も訪れそのたびのその周辺を歩き見てきているのですが、今回は、こうした季節の気合に後押しされて、これまでその道中、何となく気にしながらも、どうせ大した所じゃないと勝手に決めつけ足を運んでいなかった所へも、立寄ってみることに。

それは、東北道SAから2㎞程のところにある羽黒山。
羽黒山といえば山形県鶴岡市にある一大山岳信仰の霊地で修験道東国の聖地が思い起こされますけど、
一方、上河内にあるこの羽黒山、平地の中にポツンと聳えるあまりぱっとパットしない山で、その山の名前が東北の一大霊地羽黒山と同じ名とはとのいかがわしさが先立ち、これまで行くことが憚って来ていた所。

ところが、昨年最後にこの地を訪れた時、地元のネット情報でこの羽黒山の山頂には、山形県鶴岡市同様に古い社があることを知ったことから、もう一度、山形県鶴岡市にある本家羽黒山について調べてみると、その山は海辺の都市、酒田・鶴岡のある荘内平野のへりにある僅か標高414mの山ということで、そのことから、それとよく似た関東平野のへりに立つこの小高い山の存在が妙に気に引っかかり、再度機会がくれば足を運んでみたいと考えるようになってしまっていたのです。

そうして機会を得訪れたこの山に一歩足踏み入れたところ驚かされたのは...................................!!










僅か標高458mのこの小山にあった、どこまでも続くと思われし深山幽谷というべきこの風景!!!!!!
山を登るにつれ、だんだん道は険しく細くなって行く。

小山という外見から想像し得なかったその険しさに、一旦は引き返そうか思うもここまで来たのだからと、そうした弱気を抑えつつようやく着いた頂上下の僅かな平坦地。

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そこで辺りを見回してみると、目に入ってきたのがこの鳥居。
うっ、なにやら曰くがありそうなと、車を下りその鳥居の方に行ってみると、その先にあったのは山頂まで続く思しき長い階段。
階段の両端には羽黒山神社と書かれた赤い旗が延々と立ち続いています。

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その階段を囲む鬱蒼とした原生林に、この社のご霊験あらたかさを強く意識させられます。

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さあ登ってみようと意気込むも、これはかなりきつそうと、最初は登るのを尻込みし思案しつつその場に立っていると、次第にそのご霊験が身に沁み生気を得たのか、尻込みの気は消え、とうとう登坂開始することに。

道中、原生林から湧き出る霊気を身に浴び都度力を得て登ること5分余り、山頂近くまで来たところで見えて来たのがこの風景。

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しかし、その風景の左側、本来神社にはあるはずのない建物が建っています。
それが、こちら..........!

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元禄14年(西暦1701年)建立といわれる、この梵鐘です。

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神社に梵鐘、それはまさこの神社が、神仏習合の社であることの証なのですが、この神仏習合とは、今から1000年以上前、日本古来の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混合しひとつの宗教となった日本独自の信仰形態。

以来、江戸期に至るまでこの信仰形態が日本人の精神のに根本に根付き連綿と続いて来たのですけど、明治になり神道を国教としようした時の政府が、神道と仏教を明確に区分して扱うよう政令を布告、神社と仏教寺院を独立させたことから、これまで長く続いた神仏並存の様式は失われていったというのです。

ところが、この羽黒山神社には仏教の法具である梵鐘が、歴史の荒波を越え今も存在していたこと、日本人信仰の根幹にある神仏習合の精神、その根深さを考えさせることになりました。





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平凡な山里で出会った、創建以来1000年の歴史を持つというこの社。
境内を出て、車に戻った所で見たその山からの眺望には、遠く霞んだ地平線のその向こうにこの社と共に暮らした遥か昔の人々の日々の営みが、浮かび見え来るような不思議さを感じることになりました。

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秋のとば口を覗き、予期せぬあらたかなご霊験を得た今回の旅、何度も訪れた場所でも視点を変えて挑めばまた新たな体験がある、そうと知りつつ今回も意識以上の体験を得ることが出来ました。

次回は10月訪れた山梨の旅、何度も訪れた場所なれどまた別の視点見た土地の顔。
またご紹介出来ればと思います。

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いっぷく

コメントありがとうございます。
余人を持って代えがたいというのは、やっぱり気持ちいいものだとおもいます。
必要とされるということが嬉しいですね。
by いっぷく (2018-11-07 01:43) 

きたろう

老年蛇銘多親父さんコメントありがとうございます(*^_^*)
10日ばかり留守にしたもので、返コメントが遅くなりました。
広重の名所江戸百景は広重の最晩年に画かれた物です。今まで、本シリーズでは、名所江戸百景と現在の風景との対比を中心に見て来ましたが、今後は、広重が、若いときに画いた同一場所の絵との対比でも見て行こうかな思っています。
by きたろう (2018-11-08 11:10) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

いっぷくさん

余人を持って代えがたしだけなら、気持ちもいいのですけど、人数が減ったのである程度この状況はわかるのですけど、それにしても、後に残った職場の面々のふがいなさ。

行ってみれば、仕事の質まで落としてしまっていて、この分ではこれからもまた呼び出しを受けることになりそうです。


by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2018-11-10 10:01) 

老年蛇銘多親父(HM-Oyaji)

きたろうさん

広重が、若いときに画いた同一場所の絵との対比でも見て行くこと、
実に興味深く拝見させていただきました。

今後は、その視点で見ていこうということ、楽しみしています。


by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2018-11-10 10:07) 

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