60年代!!心に残る洋楽の記憶 その2 [音源発掘]
前々回にその1を書かしていただいたところ、多くの方に訪れていただき好評だったようなので、引き続いて今回はその2弾。
前回は1966年までの サウンドを中心にお話を進めて来ましたが、今回はそれ以後のサウンドのいくつかを取り上げお話を進めたいと思います。
元々、黒人達の音楽であったブルースやR&Bを核として発展してきたロックも、この時期になると、この様相を大きく変えていくようになります。
あるものはクラッシック音楽を、またあるものはジャズを、それらの要素取り入れた新しい音楽を模索する試みが広く行われ、ブルースやR&Bを指向する者も、その多くが自分たちの主張を盛り込んだオリジナル中心へと進んで行ったのです。
そうした音楽の風潮は、当時フラワー・ミュージックとかサイケデリック・ミュージック等、いくつかの名前で呼ばれていた、そんな記憶があるのですが、なかでもThe Doorsのジム・モリソンが聴衆に向け問いかけた「俺達の芸術を聴くか。」という言葉から生れたアート・ロックという言葉に、それまでの単なるヒット曲扱いのサウンドとは異なる、確固とした意志を持ったアーティスト魂の潮流を感じていた、その頃のことが思い出されます。
それでは、そのThe Doorsの曲で、当時好きだったこの曲を聴いてみたいと思います。
1969年のヒット、”Toucu Me”です。
The Doorsといえば、まず浮かぶのはヴォーカルのジム・モリソン。
今や神格化されているジミ・ヘンドリックスやクリームと並ぶ、60年代後半のロックを語るには欠かせない人物なのですが、今は、前者二人に比べ影が薄いように思えるのです。
それは、彼のロック・ミュージシャンであることを強く意識し続け、反体制的言動や慣習に束縛されることない独自の行動スタイルが、60年代後半ベトナム戦争の泥沼に嵌まってしまったアメリカ社会の閉塞的状況に行き場を見失っていた若者達に受け入れられ支持されていたという、その彼を生んだ時代背景が、現代とは大きく異なっていることによるものだと考えられるのですが、今再び彼の歌に接してみると、前者二人に勝るとも劣らない個性を放っていたことに気付かされ、あらためてその重要性を認識させらたように感じました。
さて、この、”Toucu Me”、という曲、彼らの4作目のアルバム”The Soft Parade”に収められていたものですが、実はこのアルバム、かなりポップ化した作品で、その評価は、かなり低かったものなのだそうです。
ドアーズファンの方からはジム・モリソンのこと分かったようなことを言って、この曲が好きだとは何事かとお叱り受けそうなので、彼らのセンセーショナルなデビューを飾ったこの曲を、次に振返ってみたいと思います。
1967年発表された”Light my fire ”(邦題;ハートに火をつけて)です。
この曲、当時日本でも結構ヒットして、私もその頃、奈美悦子さんや、由美かおるさんがいた西野バレエ団の面々が、この曲を歌いながら踊っていたのをTVで見たことがありました。
当時、まだロックでは珍しかったオルガンの音に導かれて始まるこの曲、間奏部に3分に及ぶオルガンとギターのアドリブ・ソロがあるというジャズの手法を取り入れたもので、その斬新さは従来のポップの枠を破るものでした。
そして、深い陰影につつまれたジム・モリソンのヴォーカルには、なにか妖しい魅力が潜んでいる、そんなことを感じます。
さて記憶に残る洋楽、今回二つ目のグル―プは、この曲で始めたい思います。
英国のロックバンドThe Zombies、1968年のアルバム”Odessey&Oracle”に収められていた曲”Time Of The Season”(邦題;二人のシーズン)です。
彼らの代表作と言われているこの曲、実は彼らの解散後にシングル・カットされ大ヒットなったという、変わった来歴のある曲なのです。
1967年にCBSレコードに移籍したゾンビーズ、1968年に”Odessey&Oracle”を完成するのですが、制作のさなかにメンバー間の人間関係に軋みが生じ、その完成と同時にグループは解散となってしまったのです。
ところが、その後この作品を聴いた、当時CBSレコードのプロデュサーをしていたロックの鬼才アル・クーパーの進言により、1969年にこの曲をシングル・カットしたところ全米3位の大ヒットなったというもの。
曲の最後に繰り広げられるオルガンのソロ、その後、台頭するフュージョンサウンドに似たサウンドで実に格好がいいですね。
そうしたゾンビース、日本でも実に馴染み深い曲があるのです。
この当時、日本はグループ・サウンズ全盛時代。
そのグル―プ・サウンズのひとつが、彼らのこの曲を日本でヒットさせていたのです。
もうお分かりですね。カーナビーツの”好きさ 好きさ 好きさ”です。
ドラムのアイ高野さんが耳に手をあて、スティックで聴衆を指し”お前のすべてを”と叫んでいたパーフォマンス、懐かしいですね。
そして、その原曲はこちら!!
中間部分に出てくるジャズタッチのエレクトリック・ピアノのソロに、非凡なセンスを感じます。
そして、さらに彼らのデビュー曲、人気の翳りに喘いでいたこの人も、彼らのこの曲のカバーで見事復活をとげたのでした。
この方もご存じですね。カルロス・サンタナ。
曲は”She's not There”
1977年発表のアルバム”Moon Flower”に収録されていたもの。
この当時のサンタナ、ヒットから見放された時期だったのですが、この曲で久々のヒット入りを果たすことになったのです。
1964年のゾンビースのオリジナルと聴き比べてみてください。
解散してもなお輝き続けるゾンビースの楽曲群。
普遍的な魅力が、そこにあるということなのでしょうかね。
今回取上げた二つのグループ、いかがだったでしょうか。
それにしても60年代ロックは、種々雑多、いろいろな音楽が混沌としていて奥が深いですね。
前回は1966年までの サウンドを中心にお話を進めて来ましたが、今回はそれ以後のサウンドのいくつかを取り上げお話を進めたいと思います。
元々、黒人達の音楽であったブルースやR&Bを核として発展してきたロックも、この時期になると、この様相を大きく変えていくようになります。
あるものはクラッシック音楽を、またあるものはジャズを、それらの要素取り入れた新しい音楽を模索する試みが広く行われ、ブルースやR&Bを指向する者も、その多くが自分たちの主張を盛り込んだオリジナル中心へと進んで行ったのです。
そうした音楽の風潮は、当時フラワー・ミュージックとかサイケデリック・ミュージック等、いくつかの名前で呼ばれていた、そんな記憶があるのですが、なかでもThe Doorsのジム・モリソンが聴衆に向け問いかけた「俺達の芸術を聴くか。」という言葉から生れたアート・ロックという言葉に、それまでの単なるヒット曲扱いのサウンドとは異なる、確固とした意志を持ったアーティスト魂の潮流を感じていた、その頃のことが思い出されます。
それでは、そのThe Doorsの曲で、当時好きだったこの曲を聴いてみたいと思います。
1969年のヒット、”Toucu Me”です。
The Doorsといえば、まず浮かぶのはヴォーカルのジム・モリソン。
今や神格化されているジミ・ヘンドリックスやクリームと並ぶ、60年代後半のロックを語るには欠かせない人物なのですが、今は、前者二人に比べ影が薄いように思えるのです。
それは、彼のロック・ミュージシャンであることを強く意識し続け、反体制的言動や慣習に束縛されることない独自の行動スタイルが、60年代後半ベトナム戦争の泥沼に嵌まってしまったアメリカ社会の閉塞的状況に行き場を見失っていた若者達に受け入れられ支持されていたという、その彼を生んだ時代背景が、現代とは大きく異なっていることによるものだと考えられるのですが、今再び彼の歌に接してみると、前者二人に勝るとも劣らない個性を放っていたことに気付かされ、あらためてその重要性を認識させらたように感じました。
さて、この、”Toucu Me”、という曲、彼らの4作目のアルバム”The Soft Parade”に収められていたものですが、実はこのアルバム、かなりポップ化した作品で、その評価は、かなり低かったものなのだそうです。
ドアーズファンの方からはジム・モリソンのこと分かったようなことを言って、この曲が好きだとは何事かとお叱り受けそうなので、彼らのセンセーショナルなデビューを飾ったこの曲を、次に振返ってみたいと思います。
1967年発表された”Light my fire ”(邦題;ハートに火をつけて)です。
この曲、当時日本でも結構ヒットして、私もその頃、奈美悦子さんや、由美かおるさんがいた西野バレエ団の面々が、この曲を歌いながら踊っていたのをTVで見たことがありました。
当時、まだロックでは珍しかったオルガンの音に導かれて始まるこの曲、間奏部に3分に及ぶオルガンとギターのアドリブ・ソロがあるというジャズの手法を取り入れたもので、その斬新さは従来のポップの枠を破るものでした。
そして、深い陰影につつまれたジム・モリソンのヴォーカルには、なにか妖しい魅力が潜んでいる、そんなことを感じます。
さて記憶に残る洋楽、今回二つ目のグル―プは、この曲で始めたい思います。
英国のロックバンドThe Zombies、1968年のアルバム”Odessey&Oracle”に収められていた曲”Time Of The Season”(邦題;二人のシーズン)です。
彼らの代表作と言われているこの曲、実は彼らの解散後にシングル・カットされ大ヒットなったという、変わった来歴のある曲なのです。
1967年にCBSレコードに移籍したゾンビーズ、1968年に”Odessey&Oracle”を完成するのですが、制作のさなかにメンバー間の人間関係に軋みが生じ、その完成と同時にグループは解散となってしまったのです。
ところが、その後この作品を聴いた、当時CBSレコードのプロデュサーをしていたロックの鬼才アル・クーパーの進言により、1969年にこの曲をシングル・カットしたところ全米3位の大ヒットなったというもの。
曲の最後に繰り広げられるオルガンのソロ、その後、台頭するフュージョンサウンドに似たサウンドで実に格好がいいですね。
そうしたゾンビース、日本でも実に馴染み深い曲があるのです。
この当時、日本はグループ・サウンズ全盛時代。
そのグル―プ・サウンズのひとつが、彼らのこの曲を日本でヒットさせていたのです。
もうお分かりですね。カーナビーツの”好きさ 好きさ 好きさ”です。
ドラムのアイ高野さんが耳に手をあて、スティックで聴衆を指し”お前のすべてを”と叫んでいたパーフォマンス、懐かしいですね。
そして、その原曲はこちら!!
中間部分に出てくるジャズタッチのエレクトリック・ピアノのソロに、非凡なセンスを感じます。
そして、さらに彼らのデビュー曲、人気の翳りに喘いでいたこの人も、彼らのこの曲のカバーで見事復活をとげたのでした。
この方もご存じですね。カルロス・サンタナ。
曲は”She's not There”
1977年発表のアルバム”Moon Flower”に収録されていたもの。
この当時のサンタナ、ヒットから見放された時期だったのですが、この曲で久々のヒット入りを果たすことになったのです。
1964年のゾンビースのオリジナルと聴き比べてみてください。
解散してもなお輝き続けるゾンビースの楽曲群。
普遍的な魅力が、そこにあるということなのでしょうかね。
今回取上げた二つのグループ、いかがだったでしょうか。
それにしても60年代ロックは、種々雑多、いろいろな音楽が混沌としていて奥が深いですね。
もうどの曲も懐かしすぎて鳥肌立っちゃいます[__!]
ドアーズの”Toucu Me”はラジオから聞こえて来ない日は無い
位ヒットしてましたよね。
このイントロ聞くだけでワクワクしちゃいます。
「ドアーズ」と言う映画で「ハートに火をつけて」が出来るシーンが
有ったと思うんですが、
そこもすごく[__るんるん]ワクワクしました
「ふたりのシーズン」は何と言ってもイントロのため息?が印象的ですよね。
この曲も一生忘れないと思います。
カーナビーツは本物観た事有るかも。
アイ高野さんも亡くなっちゃいましたね[__もうやだ~]
「好きさ好きさ好きさ」がカバーだったとは知りませんでした(^_^;)
当時16歳だったんですねー[__がく~]
サンタナとカーナビーツが同じゾンビーズの曲を
カバーしてたなんて、興味深いですね[__!]
面白い記事をありがとうございます[__るんるん]
by TAMA (2011-07-30 23:28)
TAMA さんコメントありがとうございます。
洋楽、だいぶ聴いていたのですね。
ドア-ズにしてもゾンビースにてしても、もう40年も前の話、今は知らないという人多いのではないかと思います。
若い人にも古きロックの良さ伝えられればなと思っています。
by 老年蛇銘多親父 (2011-08-02 12:51)
うつマモルさん
Extar12さん
幸福キツネさん
りぼんさん
マチャさん
せいじさん
ねこのめさん
niceありがとうございます。
by 老年蛇銘多親父 (2011-08-12 00:13)