古代の里に訪れた春の気配 [歴史散策]

3月11日の日曜日は、久々に甲府への出張。

この日は、天気も良く暖かいとの予報に、途中雪をかぶった富士山が綺麗に見えるかも、という期待を胸に中央道を下ったのですが、上野原近辺に来ると低くたれ込めた雲が空あたり一面に広がりだしてくる始末でその期待はもろくもうち崩れ。

そのうえ、地面には白いものが見えてくる。
昨日の平地の雨、山沿いでは雪だったのだ。

周辺の山もこんな風に薄化粧をして。

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この調子では今日の仕事、うまく進まないのではと不安感に襲われつつ、さらに車を進めるとことにしたのでしたが。



PS
この記事の最後に音楽ビデオ・クリップを追加いましたので、是非ともご覧下さい。





さて、現地に到着。

心配していた仕事の方も何事もなく予定より早く終り、天気も回復して来たこともあり、かねがね時間出来たら寄ってみたいと思っていた、曽根丘陵公園:愛称 甲斐風土記の丘に立寄ることにしました。

こちらの公園、その興味の対象となっていたのは、東日本で3番目の大きさを誇る全長169mの前方後円墳の甲斐銚子塚古墳、その大墳墓を中心とした東山古墳群。

実はこの地、実在したといわれている崇神天皇から2代後の景行天皇の御代、九州の熊襲を平定し、その後東国の征討の旅に向かった、景行の皇子 ヤマトタケルノミコト(日本武尊)が、その帰路に酒折宮(甲府市酒折)へ立ち寄り、「御火焼之老人」と問答歌を交わしたという古事記及び日本書紀に記載されている伝承所縁の周辺地で、甲斐銚子塚古墳の被葬者が、その「御火焼之老人」ではないかといわれている所なのです。

こうしたヤマト王権との密接な関係が偲ばれるこの古墳群には、ヤマト王権の東国の中継の拠点として、最も繁栄した4世紀後半の築造と推定される甲斐銚子塚古墳をはじめ、その拠点として重要性が低くなってしまった5世紀後半までの大小16基の古墳があり、歴史書にはほとんど登場しない東国の古代の姿を今に垣間見せてくれているのです。


さてその甲斐風土記の丘、駐車場に車を止め園内に足を踏み入れるとまず目に入るのが、落ち着いた雰囲気の山梨県立考古博物館の建物。

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その階段を上がり、前庭出ると、ナウマン象の親子がお出迎えをしてくれます。

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このナウマン像、山梨県内ではこれまでに2か所から化石が発見されており、10万年ほど前には甲府盆地に生息していたことが確認されているそうなのです。

そしてそこから、さら300mほど進むと、小さな古墳が見えて来ます。

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こちらは、かんかん塚古墳。この地の勢力が低下した5世紀後半の直径26mほどの小さな円墳で、石室からは甲冑や県内最古の馬具が出土したとあります。

そのかんかん塚古墳から、さらに先を見ると、なにか春の彩りを感じさせる、暖かな風景が目に飛び込んできます。

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その風景に向かって足を進めると、その横には大きな円墳が。
こちらは、丸山塚古墳。直径72m、県内最大の円墳で、5世紀初めの築造のもので甲斐銚子塚古墳の被葬者に続く王のものだと推定されています。

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そして、その先には甲斐銚子塚古墳が、丸山塚を従えるように立っています。
この大古墳、その威容を示すかのように副葬品も多く、卑弥呼の鏡で知られる三角縁神獣鏡などが出土しています。

とここまで見て、どうしても気になるのが先程見た春の風景。
そちらの方へ足を向けると。

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梅の花も蕾を開き始めたようです。

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桃の花の鮮やかさに心もはずみます。

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こちら梅の枝はもう満開。冷たい空気を忘れてしまう暖かさが花弁から溢れ出ているかのようです。

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この地に眠る古墳群も、新しい息吹を育てる春にエネルギーを得て、再び古代の雄叫びをあげているのが伝わってくるような。
古代が身近に感じられたひとときでした。




さて帰り道、まもなくホワイトデー、バレンタインデーに貰ったお返しを、甲斐の国まで来たのだからちょっと早いが買ってい行こうとPAに立寄り。

まず見つけたのがこれ、

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地元米のおにぎり。一番下の段にあるのが通常の大きさ。
その上の段にあるやつ、本当に大きいですね

しかし、これでは「私達を太らす気!!」と怒られそう。
それではまずい。しからば甲斐のお土産の定番の、信玄餅で

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だが,,,,,,,,,,,,、貰ったのは2つ!!
それに合わせて信玄餅2つでは芸がないなと思い、もう一つは信玄の名を冠したお菓子群の中から、お菓子の包みが面白かった信玄だるまを選んでみました。

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今朝の不安とは裏腹に古代の春に浸り、そのうえバレンタインお返しまでそろえられた、実り多い1日でした。



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マチャ

関東地方の古墳は、古代のヤマト政権の成り立ちを
探る上で重要ですね。
古代に思いを馳せながら、こうしたきれいな公園を散策するのも
素敵です(*^_^*)
by マチャ (2012-03-21 10:53) 

老年蛇銘多親父

マチャさん

関東にはヤマトタケルにまつわる場所が多くあって、その東征のルートを歩くと古代遺跡や神社に出会います。


またそのルートには物部氏の痕跡が見えるなど、古代大和王権が物部氏とタッグを組んで日本列島の支配を確立して行った、そんな様子が見て取れるように思っています。

歴史書の片隅に書かれた小さな伝承を頼りに、その土地を訪れ、その古代に生きた人々の息吹を感じること出来る場所、この甲斐風土記の丘もそうした思いに浸れる場所のひとつだと思います。




by 老年蛇銘多親父 (2012-03-22 20:14) 

老年蛇銘多親父

mk1spさん
ヒサ さん
ねこのめさん
yukihiro さん
snowman さん
TAMA さん
せいじ さん
yuzman1953さん

どうもありがとうござます。

なにもないような場所でも、ちょっと深く覗いてみると大きな歴史の一コマを形作っている。

それを見つけ昔の人々の息遣いを感じる、こんな歴史の楽しみ方もあるのだ思います。

by 老年蛇銘多親父 (2012-03-30 20:45) 

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