今も、江戸庶民の賑わいが宿る場所;本所・深川その1 大相撲発祥の地 [歴史散策]
Mさんのブログを訪れた時に見た、当麻蹴速(たぎまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)による相撲の起源の話。
この記事を読んで、そういえば相撲の始まりは遥か昔、大和の国のことであったけど、現代の大相撲の発祥地は江戸。
その地、今まで当たり前のように何度も訪れたことがあるのに、通り過ぎただけ。
やはり、ちゃんと見ておきたいと思い、これを機にその地を訪れてみることにしたのです。
東京メトロ東西線に乗り、 門前仲町で下車、地上に出で永代通りを西に5分ほど歩くと左側に見えて来たのがこの鳥居。
大相撲発祥の地、富岡八幡宮の鳥居です。
源頼朝が、神奈川県横浜市金沢区に勧請した富岡八幡宮を、江戸時代初期この地に分祀したのがこの社。
別名 深川八幡の名で永き渡り江戸の人達に親しまれ続けて来た神社なのです。
さて、大相撲の発祥地といわれるこの神社と、そのかかわり。
どんな風に現れているのか。
早速、境内に足を踏み入れてみると。
そこで待ち受けていたのがこの方。
あまり、相撲とは関係なさそうな人に見えますね。
もう少し近づいてみましょうか。
さて、この方どなたかお分かりですか。
近代日本地図の生みの親である、伊能忠敬先生なのです。
伊能忠敬が、お相撲と関係があった
ではなくて、千葉県の佐原で商家を営んでいた忠敬先生でしたが、50歳を機に隠居、家督を息子に譲り、かねてより志を抱いていた天文学研鑽のため江戸に出、江戸幕府の天文方・高橋至時に師事した、そのおり住んでいたのがこの門前仲町だったのです。
そして、56歳の時に初の測量の旅で蝦夷地に向かうことになるですが、その旅の最初に、無事を祈り詣でたのがこの神社。
その後の測量の旅にも、この神社に参詣の後、出発していったという、日本の測量とはまことに縁の深い場所ということで、この像がここに作られたということなのです。
のっけから相撲とは、かけ離れてしまいましたが、お次は正真正銘の相撲関係。
忠敬先生の像から目を横に向けると。
大関力士の碑。
昭和58年に建てられた新しい碑ですが、かっては現在本殿右奥にある横綱力士の碑が建てられていた場所で、歴代の大関も顕彰しようと建てられたものなのだそうです。
この場所、相撲所縁の神社として相撲にかかわりあるものがないといけませんよね。
忠敬先生に、お株を奪われてしまいかねませんから。
そこからさらに奥に進むと、本殿が見えて来ます
この本殿、昭和20年の東京大空襲で焼失、戦後に再建されたものなのですが、その本殿前の石畳は、新横綱が土俵入りを奉納する、TVなどでお馴染みの場所。
そして、お次はお目当ての横綱力士の碑。
本殿右奥に足を踏み入れ少し行くと、立派な石碑がありました。
この石碑、明治33年に12代横綱陣幕久五郎が発起人となって作られたもので、その重量は20トンという大きなもの。
その碑の裏には、
初代 明石志賀之助から、現在69代白鳳までの横綱力士の名前が刻まれています。
こちらには、曙や貴乃花、若乃花の名前も見えますね。
さらにその裏側には、武蔵丸、朝青龍、白鳳の名前が。
しかし、新しい面になって見えるのは外人力士の名前ばかり。
ちょっと寂しいような気がします。
ところで、この地で後に大相撲となる相撲興業が始まったのは1684年、時の徳川将軍は5代綱吉の頃。
相撲は興業に頼らずとも、どこでも行われ見れるものではとお思いでしょうが、実は3代将軍家光の時代の1648年以降、街中での取組みは幕府による禁止令で、行うことができなかったのです。
というのも、この時代は、まだ戦国の気風が残る中、豊臣の滅亡やお家取り潰しにより浪人となった武士が巷に溢れたところに、その浪人集団と街頭相撲が強く結びついていた。
そのため、幕府がそれによる不穏な動きの発生を強く警戒したことが、この禁止令の出された要因だった言われています。
しかしながら、時代が次第に落着いて来ると、その禁止令に対し相撲の興行を願い出る者が現れ、幕府もついに寺社奉行の管轄下できちっとした管理体制の元、職業としての相撲興行を許可することになったのです。
そうした、相撲興行への江戸庶民のあこがれと胎動の痕跡、境内にあったこんなものにそのヒントがあるように思えました。
力持碑とありますね。
これは、力石といいます。
この力石、古いもので江戸時代草創期の文献にも見られるものだそうですが、当時はこの石を使った力試しがかなり広範に行われていたようで、特に神社の祭礼には、多くの見物客を前に、力自慢の人々が力を競い合うのに使われていたものだそうなのです。
とすればこの力石、幕府が街頭相撲禁止していたその間も、連綿と神社の祭礼の度には続けられ、江戸の人々の人気を博していた。
そしてそれが、やがて石を相手ではなく、人と人のぶつかり合いを渇望する声の高まりに繋がっていった。
そうしたところに、寺社奉行の管轄下で、そしてこの富岡八幡で大相撲が始まった秘密が隠されているように思えるのですが、いかがでしょうか。
さて、神社を出て駅に向かう途中、見えて来た大きな寺院。
こちらは、新本堂が成ったばかりの成田山別院 深川不動堂。
元禄年間、江戸庶民の成田山の不動明王を拝観したいという願いに応え、当時この地のあった富岡八幡宮の別当の永代寺で、成田山の不動明王の出開帳(出張特別公開)が行われたことが起源の寺院で、江戸期を通じて11回の出開帳が行われた江戸庶民の人気スポット。
出開帳の賑わいの中で開かれる大相撲。
大相撲興隆の秘密が、ここにも隠されているように思えて来ます。
さて、そこで深川不動堂を後にして、駅に向かう道すがら、時を見ると帰るにはまだ早い。
ここまで来たのだから、ここまで味わった江戸の活気をもう少し味わいながら、江戸の人々ともう少し触れ合いたい。
ということで、清澄通りを右に曲がって押上方面へ進路変更。
その続きは、また次回にしたいと思います。
※江戸の気分、少しでも味わってもらえればということで、大相撲発祥地の写真をPVにしてみました。
よろしければ、ご覧下さい。
この記事を読んで、そういえば相撲の始まりは遥か昔、大和の国のことであったけど、現代の大相撲の発祥地は江戸。
その地、今まで当たり前のように何度も訪れたことがあるのに、通り過ぎただけ。
やはり、ちゃんと見ておきたいと思い、これを機にその地を訪れてみることにしたのです。
東京メトロ東西線に乗り、 門前仲町で下車、地上に出で永代通りを西に5分ほど歩くと左側に見えて来たのがこの鳥居。
大相撲発祥の地、富岡八幡宮の鳥居です。
源頼朝が、神奈川県横浜市金沢区に勧請した富岡八幡宮を、江戸時代初期この地に分祀したのがこの社。
別名 深川八幡の名で永き渡り江戸の人達に親しまれ続けて来た神社なのです。
さて、大相撲の発祥地といわれるこの神社と、そのかかわり。
どんな風に現れているのか。
早速、境内に足を踏み入れてみると。
そこで待ち受けていたのがこの方。
あまり、相撲とは関係なさそうな人に見えますね。
もう少し近づいてみましょうか。
さて、この方どなたかお分かりですか。
近代日本地図の生みの親である、伊能忠敬先生なのです。
伊能忠敬が、お相撲と関係があった
ではなくて、千葉県の佐原で商家を営んでいた忠敬先生でしたが、50歳を機に隠居、家督を息子に譲り、かねてより志を抱いていた天文学研鑽のため江戸に出、江戸幕府の天文方・高橋至時に師事した、そのおり住んでいたのがこの門前仲町だったのです。
そして、56歳の時に初の測量の旅で蝦夷地に向かうことになるですが、その旅の最初に、無事を祈り詣でたのがこの神社。
その後の測量の旅にも、この神社に参詣の後、出発していったという、日本の測量とはまことに縁の深い場所ということで、この像がここに作られたということなのです。
のっけから相撲とは、かけ離れてしまいましたが、お次は正真正銘の相撲関係。
忠敬先生の像から目を横に向けると。
大関力士の碑。
昭和58年に建てられた新しい碑ですが、かっては現在本殿右奥にある横綱力士の碑が建てられていた場所で、歴代の大関も顕彰しようと建てられたものなのだそうです。
この場所、相撲所縁の神社として相撲にかかわりあるものがないといけませんよね。
忠敬先生に、お株を奪われてしまいかねませんから。
そこからさらに奥に進むと、本殿が見えて来ます
この本殿、昭和20年の東京大空襲で焼失、戦後に再建されたものなのですが、その本殿前の石畳は、新横綱が土俵入りを奉納する、TVなどでお馴染みの場所。
そして、お次はお目当ての横綱力士の碑。
本殿右奥に足を踏み入れ少し行くと、立派な石碑がありました。
この石碑、明治33年に12代横綱陣幕久五郎が発起人となって作られたもので、その重量は20トンという大きなもの。
その碑の裏には、
初代 明石志賀之助から、現在69代白鳳までの横綱力士の名前が刻まれています。
こちらには、曙や貴乃花、若乃花の名前も見えますね。
さらにその裏側には、武蔵丸、朝青龍、白鳳の名前が。
しかし、新しい面になって見えるのは外人力士の名前ばかり。
ちょっと寂しいような気がします。
ところで、この地で後に大相撲となる相撲興業が始まったのは1684年、時の徳川将軍は5代綱吉の頃。
相撲は興業に頼らずとも、どこでも行われ見れるものではとお思いでしょうが、実は3代将軍家光の時代の1648年以降、街中での取組みは幕府による禁止令で、行うことができなかったのです。
というのも、この時代は、まだ戦国の気風が残る中、豊臣の滅亡やお家取り潰しにより浪人となった武士が巷に溢れたところに、その浪人集団と街頭相撲が強く結びついていた。
そのため、幕府がそれによる不穏な動きの発生を強く警戒したことが、この禁止令の出された要因だった言われています。
しかしながら、時代が次第に落着いて来ると、その禁止令に対し相撲の興行を願い出る者が現れ、幕府もついに寺社奉行の管轄下できちっとした管理体制の元、職業としての相撲興行を許可することになったのです。
そうした、相撲興行への江戸庶民のあこがれと胎動の痕跡、境内にあったこんなものにそのヒントがあるように思えました。
力持碑とありますね。
これは、力石といいます。
この力石、古いもので江戸時代草創期の文献にも見られるものだそうですが、当時はこの石を使った力試しがかなり広範に行われていたようで、特に神社の祭礼には、多くの見物客を前に、力自慢の人々が力を競い合うのに使われていたものだそうなのです。
とすればこの力石、幕府が街頭相撲禁止していたその間も、連綿と神社の祭礼の度には続けられ、江戸の人々の人気を博していた。
そしてそれが、やがて石を相手ではなく、人と人のぶつかり合いを渇望する声の高まりに繋がっていった。
そうしたところに、寺社奉行の管轄下で、そしてこの富岡八幡で大相撲が始まった秘密が隠されているように思えるのですが、いかがでしょうか。
さて、神社を出て駅に向かう途中、見えて来た大きな寺院。
こちらは、新本堂が成ったばかりの成田山別院 深川不動堂。
元禄年間、江戸庶民の成田山の不動明王を拝観したいという願いに応え、当時この地のあった富岡八幡宮の別当の永代寺で、成田山の不動明王の出開帳(出張特別公開)が行われたことが起源の寺院で、江戸期を通じて11回の出開帳が行われた江戸庶民の人気スポット。
出開帳の賑わいの中で開かれる大相撲。
大相撲興隆の秘密が、ここにも隠されているように思えて来ます。
さて、そこで深川不動堂を後にして、駅に向かう道すがら、時を見ると帰るにはまだ早い。
ここまで来たのだから、ここまで味わった江戸の活気をもう少し味わいながら、江戸の人々ともう少し触れ合いたい。
ということで、清澄通りを右に曲がって押上方面へ進路変更。
その続きは、また次回にしたいと思います。
※江戸の気分、少しでも味わってもらえればということで、大相撲発祥地の写真をPVにしてみました。
よろしければ、ご覧下さい。
現代の相撲の発祥地、とても興味深く読ませて頂きました。
いきなりの伊能忠敬さんのご出演でビックリしましたが、
そんな縁もあったのですね。
境内も見所がいっぱいですね(*^_^*)
by マチャ (2012-03-25 20:40)
マチャさん
伊能忠敬の登場はちょっと意外だったかもしれませんが、忠敬がこの地に居を構えたこと。
元々忠敬が、江戸の台所を支える醤油や酒を扱う商人であったことを考えると、至極当然なことだと思えるのです。
というのも、当時江戸への物資の輸送は利根川~江戸川を通る水運がその大きな役目を担っていたことから、忠敬も商人時代その経路にあたるこの地を、よく訪れていたのではないかと推測されるからです。
忠敬の師事した高橋至時の天文台は、当時浅草にあったといわれていますが、そこへ通う経路には、江戸へ向かう水運最後のルートだった小名木川が、今も流れてますしね。
by 老年蛇銘多親父 (2012-03-26 05:59)
都内在住の頃、初詣に行くもあまりの人ごみに引き返しました。
普段は静かで風情のある良い所ですね。
by yukihiro (2012-03-27 17:54)
yukihiroさん
私も正月に、ここのそばを通ったことがありますけど、凄い人ごみだったですね。
普段はこんな感じなのでしょうけど、ここ訪れている間も通りがかりのサラリーマンや地元の方の参拝があとをたたず、次から次へとやってくるのを見て、今もこの神社、東京下町の人達の尊崇を受け続けているのだなと感じていました。
by 老年蛇銘多親父 (2012-03-28 06:09)
地図大好きなので、伊能忠敬さんももちろん
尊敬してます(*^^*)
古地図と照らしながらの江戸の旅を、本を買って
シュミレーションしたりしています。
by powapowa (2012-04-03 14:02)
powaちゃん
伊能忠敬さん尊敬ついでに、江戸の水運を調べてみたら面白いですよ。
昔は江戸への生活物資は船が運んでいた。
おかげで、今はかなり埋め立てられていしまったけど、江戸の町は水路が張り巡らされていたのです。
忠敬さんもその江戸へ物資を扱う商人でしたから。
by 老年蛇銘多親父 (2012-04-04 21:16)
囚さん
thisisajinさん
ねこのめさん
TAMAさん
yuzman1953さん
mk1spさん
ヒサさん
皆さんありがとうございます。
見慣れた街も、視点を変えてみると遥か昔が見えてくるものですよ。
by 老年蛇銘多親父 (2012-04-06 20:22)
リッチドールの奈々子です。宜しくお願いします。( ●≧艸≦) ♪ http://www.fgn.asia/
by R18指定 (2012-05-28 23:20)