Maichelよ永遠に!! 本日の作品;vol.84 [デジタル化格闘記]

今年も早いものでもう6月。
間もなく2012年も、半分が終わろうとしています。

モーター・スポーツ・ファンでもある私にとって、6月というと頭に浮かんでくるのは、前回の記事で書いた毎年夏至の時期に行われるルマン24時間と、音楽ではこの人のこと。

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King of Popと呼ばれたMichael Joseph Jackson。
今月25日は彼が亡くなっった日。
早いものでもう丸3年も経つのですね。

私自身、マイケルのファンという訳ではないのですが、その音楽はもちろん、ダンスやミュージック・ビデオ等、現代のポップ・ミュージック界に与えた影響の大きさやその才能の素晴らしさには、畏敬の念を抱かざるを得ないというのが正直な気持ち。

3年前の今頃は、マイケル・ジャクソンも50歳、いつまでもあの激しいステージを続けることはできない、10年後はどんなアーテイストに変貌していくのか想像がつかずにいたところに、あの訃報。

彼の老いた姿を神は見せたくなかったのか、その運命的な結末に大きなショックを受けたものでした。


さてそこで今回は、前回の記事で紹介した91年のルマンのビデオ、これを見つけた時に偶然一緒に出て来たマイケルの1987年のJapan Tourのビデオ。

ちょっとおおげさかもしれませんが、これもマイケルのお導きか!!
であればその映像を見ながら語らねばということで、記事をUpすることにしてみました。




さて、このマイケルの1987年の来日、マイケル自身としては2度目の来日だったのですが、前回は1973年ジャクソン・ファイブとしての来日でありソロとなっては初めてのもの。

特に今回は最高傑作と目される「Thriller」でポップ・ミュージックシーンに大きな衝撃を与え、世界的なビッグ・ネームとなっての初来日であったことから、あの伝説のBeatesの初来日も引き合い出されるくらい、大きな話題をまいたコンサートだったことが思い出されます。

それでは、マジックがかった登場の演出が面白い、この曲のPVからご覧いただくことといたしましょう。



1987年9月26日の横浜スタジアムでのコンサートの映像です。
曲はお馴染み”Beat It”ですね。
お客さんをあっと言わせるこの演出、最近の日本のアイドル達もステージにもこんな演出がありますけど、もしかすると、これマイケルが元祖かも?


マイケルというと、こうしたファンク・ビートに乗った切れのいいサウンドが連想しますけど、彼の歌うバラード曲というのもなかなか魅力的。

14歳のマイケルが歌っていた映画”Ben”のテーマ曲を出会って以来、彼の歌うバラードを好きになってしまた私ですが、ここで、その14歳のマイケルと、日本公演で歌われた名盤”Bad”からのファースト・シングルとなったこの曲、2曲を続けて聴いてみたいと思います。





2曲目はサイーダ・ギャレットのデュオでレコーディングされた”I Just Can't Stop Loving You”です。
当初この曲もお相手としては、バーブラ・ストライサンドやホイットニー・ヒューストンの名が上がったのだそうですが折り合いがつかず、結局白刃の矢が立てられたのがサイーダだった。

マイケルのレコーディングに呼ばれ、スタジオに向かったサイーダ、バック・ボーカルを務めるためと思っていたところ、着いてみるとそこで初めてマイケルのお相手と知らされた、この時の驚きと喜びは、言葉では言い表せないほどのものだったのではないかと思います。

ところで、マイケルがこのPVの冒頭で語っている「ヨシアキ君」とは、そのことちょっと気になって調べてみると、そこにはこんな事件が。

【1987年9月14日、群馬県高崎市筑縄町、高崎中央消防署員・荻原光則さん(当時43歳)の長男、「私立むつみ幼稚園」・功明ちゃん(5つ)が自宅前の神社から姿を消し、同夜、男から身代金を要求する電話があった。電話は何度か続いたが、16日午後、市内の川で功明ちゃんが遺体となって見つかった。2002年、時効成立。】

87年の9月9日、マイケルが来日した直後に発生したこの事件、その事件にいち早く反応し追悼の言葉を贈るその姿には、彼の繊細で優しい心根がうかがえたように思えました。

そうした、マイケルの素顔、この来日の時、マイケルに同行しそのドキュメントを制作した日本テレビの佐藤チーフ・デイレクタ―が、その来日の翌年に語っている、こんな映像がありました。
インタビュアーは、若き日の山口美江さんです。



コンサートを終え車で帰路に着くマイケル、信号待ちの交差点で、偶然その横を通り過ぎるバイクに乗った少女に、気さくに声をかけやさしく話しかけるその映像には、世紀の大スターとしての微塵の気取り影もない、純粋な青年の姿を見たような気がします。

そして、コンサートでも共に出演したスタッフを、さりげなく気遣う姿が随所に見え隠れしていた。

多くの変人奇人譚の伝説を持つマイケル、あまりにもの天才が故に、時には周りの人々には理解できない行動をとることもあったかもしれませんが、その実は心やさしい普通の青年だった。
そんな風に思えて来たのでした。

それにしても偶然マイケルに声かけられたあの少女、その後どんな暮らし送ったのでしょうか。
それが、あなたっだったらいかがですか?



さて、このコンサート・ビデオ、収録されていた曲は以下の18曲。

1.Wanna Be Startin' Somethin'
2.Things I Do For You
3.On The Wall
4.Human Nature
5.Heartbreak Hotel
6.She's Out Of My Life
7.I Want You Back
8.The Love You Save
9.I'll Be There
10,Rock With You
11.You Are My Lovey One
12.Working Day And Night
13.Beat It
14.Bily Jean
15.Shake Your Body
16.Thriller
17.I Can't Stop Loving You
18.Bad

それでは、そのコンサートのラスト曲のPV。曲はツアーのタイトルにもなっている”Bad"をどうぞ。





ところでこのビデオ、こんな風にDVDにしてみたのですが、

DSCN8432.JPG


この時、そのDVDのジャケットを作るためビデオから写真を起こしてみたところ、その映像が、かなり凝ったものであることに気付かされたのです。

効果的なライティング、日本TVの要所を押さえたカメラ・ワークと映像プロデュースの素晴らしさ、その瞬間を一コマ々追い、静止画にしてみるとことで、それがさらにわかったように思えたのでした。



ということで、ビデオから起こした写真の何枚かをここにUpしてみました。

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これらの写真を起こしながらさらに感じたことは、マイケル・ジャクソンほど絵になる人はいない、彼の存在自体が画像を魅力的なものにしているということ。

死してなお輝きを発している永遠のス―パー・スター、マイケル・ジャクソン。

このビデオ、彼の偉大さをあらためて知らさしめてくれた、天からの大きな贈り物であったように思えて来ました。


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コメント 16

ヒサ

1987年の貴重なビデオのアップありがとうございました。
本当にいろいろと思い出されます。

マイケルは僕にとって正真正銘のヒーロでした。

by ヒサ (2012-06-08 00:25) 

せいじ

はやりこれ以上朽ちていくマイケルを想像出来ないし
見たくなかったけど訃報には大ショックでした。

by せいじ (2012-06-08 07:21) 

老年蛇銘多親父

ヒサさん

このマイケルの来日の頃、ヒサさん10代の多感な年頃だったのでは。

私の10代はビートルズの来日、正真正銘のヒーロという気持ち、私にとってのビートルズ同じなのかもしれませんね。


by 老年蛇銘多親父 (2012-06-09 08:41) 

老年蛇銘多親父

せいじさん

そう、マイケルの老いた姿、当時、何故か晩年のジャクソン・ブラウンの姿と重なってしまっていてね。

ジャクソン・ブラウンは嫌いではないのですが、マイケルがブラウンみたいになるのはいただけない。

マイケルは、老いる前に我々の前から姿を消すのではと思っていた矢先の訃報、それも再始動開始のツアー直前のことだったもので、余りも突然のことにショックは大きかったですね。

by 老年蛇銘多親父 (2012-06-09 08:54) 

ヒサ

いえ、22才の時でした(;・∀・)
大学4年生の時だったと思います。

実はこの横浜スタジアムライブに行きました!
もう、「マイコー!マイコー!(;`O´)/」と絶叫を
繰り返すばかりでした(笑)

by ヒサ (2012-06-09 12:06) 

抹茶

娘が大のマイコーファンで、一緒によく観たもんです。

Bily Jean!最高でした!!

by 抹茶 (2012-06-09 15:34) 

老年蛇銘多親父

抹茶さん

私のところも、娘がMoonwalkerが好きでね、当時よく一緒にビデオ観ていました。

マイケルは、本当にいろいろな思い出を人々に残していってくれたようですね。
by 老年蛇銘多親父 (2012-06-11 05:57) 

りなみ

(*^_^*)こんばんは。マイケル・ジャクソンの動画、楽しく視聴しました♪


やっぱり、私は【ベンのテーマ】が1番好きですね。肩幅がちょっと大きいスーツに身を包み、ボーイソプラノでひたむきに歌うマイケル。。。


親父さんがおっしゃるように、マイケルは本当に純粋なひとだったのだろうと思います。
by りなみ (2012-06-17 21:03) 

TAMA

1987年に娘が生まれたんですけど、お産の時に病院にマイケルのテープ持って行って聞いてました♪
なつかしいです[__わーい]
by TAMA (2012-06-18 01:25) 

老年蛇銘多親父

ヒサさん

返事遅くなり申し訳ありませんでした。

大学4年生、青春まっさかりの時期でしたか。
横浜スタジアムライブ、これは忘れれない思い出になっていることでしょうね。
by 老年蛇銘多親父 (2012-06-18 07:32) 

老年蛇銘多親父

りなみちゃん

私もマイケルの歌で一番好きなのはベンのテーマですね。

80年代のマイケル、初めはどちらかというと嫌いだった。
それが後に、スリラーのアレンジがクインシー・ジョーンズであったことを知り、マイルス・デイビスが、マイケルの”ネーチャー・ボーイ”を演奏しているのを聴いてからよく聴くようになったのです。

マイケルがポール・マッカトニーと共演した"Say Say Say”も好きですね。
by 老年蛇銘多親父 (2012-06-18 07:43) 

老年蛇銘多親父

TAMAさん

お穣さんはマイケル来日の年のお生れですか。

そういえば家の子供達もマイケル来日前後の生れ、それが今や社会人。

そんな昔の話なのに、色褪せることないマイケルの思い出。

それ思うにつけマイケルの偉大さをつくづく感じます。
by 老年蛇銘多親父 (2012-06-18 08:02) 

老年蛇銘多親父

ねこのめさん
世界俳句連盟sayuさん はじめまして
(。・_・。)2kさん
ROKIさん はじめまして
mk1spさん
thisisajinさん
マチャさん
せいじさん
itukiさん
marumaruさん
ぼんぼちぼちさん

皆さん、どうもありがとうございます。

マイケル、皆さんもそれぞれいろいろな思い出があるのではないかと思います。


by 老年蛇銘多親父 (2012-06-18 08:08) 

raccoon

マイケルといえば、東京ドームで「デンジャラス・ツアー」を、見ました。1曲めの「JAM」で、舞台中央から飛び出してきた姿は、雄々しい感じでしたね。
 最高のダンスとミュージック、いろんな舞台仕掛けがあって、最高のエンタテイナーでした。
by raccoon (2012-07-01 17:06) 

老年蛇銘多親父

raccoonさん

私も、87年のこのコンサートを始めて見た時、そのダンスとショーの構成の新しさ、上手さにかなり感心させられました。

今の、ポップ・シーンは大なり小なりこのマイケルの影響をかなり受けている、そんな風に思っています。
by 老年蛇銘多親父 (2012-07-03 21:37) 

老年蛇銘多親父

yuzman1953さん
TAMAさん

どうもありがとうございます。

by 老年蛇銘多親父 (2012-07-07 05:08) 

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