淡い恋へのあこがれが生んだ情熱の歌; Bésame mucho [名曲名演の散歩道]

出張続きの毎日。
これだけ変化の激しい日々を過ごしていると、さすがいつも元気な私も休みの日はぐったり。

そんな中、ゆっくりと休息を取りながら、なんとはなしに聴いていた音楽、そこで妙に心を引かれよく聴くようになってしまったのが、幼少の頃、母が好きでおりにつけよく聴かされていたこの曲。



ラテン音楽のグループのTrío los Panchos(トリオ・ロス・パンチョス)による”Bésame mucho”

ということで、久々の名曲名演の散歩道、今回はこの”べサメ・ムーチョ”を取り上げて、その名演奏いくつかを聴いて行くことにしたいと思います。

”べサメ・ムーチョ”、この曲が日本でヒットしたのは、私のかすかな記憶によれば1959年頃、確かトリオ・ロス・パンチョスの来日によって絶頂期を迎えたように思うのですが、哀愁を含んだ熱い情熱を感じさせるそのメロディから、その後、多くのラテン曲が巷で聴かれるようになり、幼いながらにもそれらラテンのメロディに慣れ親しんでしまっていたことが思い出されます。

Panchos_On_Stage_2.jpg


そうした思い出のある”べサメ・ムーチョ”、いろいろな演奏家の演奏を聴きながら気付いたのは、長い間親しんできた曲なのに、その曲の事を何も知らない。

そこで、Wikiを開き調べてみると、なんと驚きの事実が。

それは、この曲を作曲したのは、メキシコの16歳の少女だったということ。
というのも、この”べサメ・ムーチョ”という曲のタイトル、訳せば”私にたくさんキスをして”という意味で、そこからその作曲者は恋に手練れたイケメン男性とばかりだと勝手に想像していたからなのです。

そして、さらに驚きはその歌詞の意味。
その冒頭の一部を、ここに引用すると

Bésame, bésame mucho,                
私にキスをして、たくさんキスをして
Como si fuera esta noche la última vez       
今夜が最後かもしれないから
Bésame, bésame mucho,      
Que tengo miedo perderte, perderte después.
あなたを失うのが怖い、この後あなたを失うのが怖い

いかがです、ちょと見ただけでも、この過激ともいうべき情熱に満ちたこの歌詞、とてもキスの味も知らなかった16歳の少女の手によるものと思えませんよね。

その少女の名は、コンスエロ・ベラスケス(Consuelo Velázquez)。
少女がこの曲を書いたのは1940年のことなのですが、いろいろ辿ってみるとこの曲が世界に知られるようになったのは1950年代半ば以降のことのようなのです。
それは、50年代初頭のジャズの巨人Dizzy Gillespieによって開花したラテンジャズの隆盛、そしてそれに続くラテン・ミュージシャンのアメリカ進出との関係があるようで、この”べサメ・ムーチョ”もこの時期に一挙に世界に広がり、多くのミュージシャンによって演奏されるようになっていたのです。

それではその演奏、まずは皆さんご存知のこんな人達による”べサメ・ムーチョ”から、聴いて行くことにいたしましょう。








ご存じBeatlesによるロック版の”べサメ・ムーチョ”です。
この演奏、1995年に発表されたアルバム、”The Beatles Anthology 1”で初めて世に出たものなのだそうですが、ビートルズも初期の頃には、1960年代初めにヒットしたアメリアッチの”A Taste Of Honey(邦題;蜜の味”)やトラデッショナルの”My Bonnie ”などのロック曲でない曲も演奏していて、それぞれその味付けがビートルズらしくていいのですが、このロック版”べサメ・ムーチョ”もその中の一つ。

ラテンの味を残しながら、破たんすることなくロックの味に仕立て直している、このあたり、早い時期から彼が只者ではなかった、その片鱗を見せていたことを如実に示す面白い演奏ではないかと思います。


ところで、私が”べサメ・ムーチョ”に嵌ってしまったのは、以前書いた記事で紹介したジャズ作品(その記事はこちら→http://hmoyaji.blog.so-net.ne.jp/2014-06-29)、ヴィブラフォン奏者Dave Pikeの”Pike's Peak”を久々に聴きあらためてその曲の良さに気付いて、それならば他のミュージシャンはこの曲をどんな風に料理しているのか興味が湧き聴きだしたのが、始まりとなったもの。

という訳で、次はその興味の始まりの演奏、以前の記事でもご紹介しましたが、またあらためてここで聴いてみたいと思います。



さて”べサメ・ムーチョ”いう曲、1950年代半ばぐらいかから多くのジャズ・ミュージシャンが取り上げ演奏しているのですけど、そうした数ある演奏の中でも、比較的早い時期にこの曲を取り上げ、ジャズのスタンダード化に一役かったのが、1956年録音の名演の誉れ高いこの演奏。
ということで、次の”べサメ・ムーチョ”は、アルトサックス奏者のArt Pepperの演奏を聴いてみることにしたいとお思います。



どこまでもクールなペッパーのアルト。
しかし、クールではありながらその静謐さの奥には熱き情熱の炎が見え隠れしている、そうした感が漂う演奏ではないかと思います。

さて、ここまで二人のアメリカ人による”べサメ・ムーチョ”を聴いていただきましたが、今度はヨーロッパのジャズ・マンによる演奏を聴いてみたいと思います。
そのアーティストは、フランスのテナー・サックス奏者Barney Wilen
果たして、ヨーロッパの味付けは、さっそく聴いてみることにいたしましょう。



1959年にフランスのクラブ·サンジェルマン で収録されたこの演奏、1950年代後半にはこの曲が世界的に知られるようになっていたことがわかります。

ラテンのリズムに乗せ聴こえてくるブルジーな味付けの”べサメ・ムーチョ”。
先のアメリカ人二人の演奏に比べよりバップ色が強く感じられる演奏だと思います。

アート・ブレーキーのジャズ・メッセンジャーズの、サントラ”危険な関係のブルース”の演奏の中で一際耳を引くソロで世界に名を馳せたバルネならでは”べサメ・ムーチョ”だと思います。

この方、晩年の作品”Passione”を録音しているのですが、こちらはスパニッシュな味付がされたブルースという感じで、またこの演奏と聴き比べてみるのも面白いのではと思います。


とここまで、”べサメ・ムーチョ”が世に出、多くの人に愛されるようになった1950年代から1960年代初頭の演奏を聴いてまいりましたが、この辺で昨今のアーティストによる”べサメ・ムーチョ”の演奏を聴いてみることにしたいと思います。
まずは、ドミニカ出身のピアニストMichel CamiloとスペインのギタリストTomatitoのデュオによる演奏、これを見てみようかと思います。



情熱の響きとは打って変わり、哀愁の響きさえ感じられる二人の演奏。
静かな時の流の中で、淡い恋の思いに悩む少女の胸を内を語っているような、知的な香り漂う演奏ではないかともいます。
ピアノのカミロ、ギターのギターのトマティート、共に超絶技巧の持ち主で知られるアーティスト。
その二人の技巧の絡み合いから生み出される音の世界が、、”べサメ・ムーチョ”にまた違った魅力を与えてくれているように感じます。


さて、いろいろ聴いてきた”べサメ・ムーチョ”、最後はやはりヴォーカル・ヴァージョンで締めくくることとしたいと思います。
歌うは、1990年代以降最も成功したジャズヴォーカリストといわれる Diana Krall。
この熱き思いをどう表現しているのか、耳を傾けてみることにいたししょう。



ボサノバのリズムに乗せて歌われるクールな演奏。
やがて成長し恋の味を知った少女が、若き日の情熱を思いだしながら、今の恋に悩んでいる。
そんな感じがする歌声ですね。


時代や国を越えて歌われ続けている”べサメ・ムーチョ”、それぞれいろいろな捉え方で今も語り継がれている。
そして、その形を変えながらも、新たな”べサメ・ムーチョ”が生まれている。

今回この記事を書きながら、”べサメ・ムーチョ”、多くの人に愛され続けて来たその真髄の一端に、少しばかり触れることができたような気になってきました。


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