足早に駆け抜けた早春を彩った花々の残映 [仕事の合間に]

例年に増して気温の高い日々が続いた今年の4月。

ところによっては、まだ春が訪れたばかりというのに最高気温30℃と真夏さながらの陽気となった地域もあったりして。

おかげで、開花のかったソメイヨシノに続いて花を見せる花々も開花も例年に比べ随分早く、いつもは5月の連休明けにかけて咲く藤の花が、この時期、既に花は終わり棚の周りは一面緑の葉に覆われてしまっていたことに私もビックリ。
今年のソメイヨシノ開花の状況から、他の花の見頃は早くなるとある程度は予想し、カメラ片手に行く先々でその花々を楽しんで来た私でしたが、次第に予想を越える季節の深まりの進行の速さに、しまいには、日々急がねばとせわしなく追いまくらているような気分になってしまったほど。

とは言いながらも、後で落ち着いて撮りためた絵を見てみると、なんとか要所々は抑えられたような感じで一安心。
中でも今年は、当初予定になかった高崎に立ち寄り、春の高崎城址公園散策の機会を得ることが出来たのは大きな収穫でした。

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その高崎城というお城、秀吉の小田原攻め後、昨年のNHK大河ドラマでお馴染みとなったあの井伊直政が、主君徳川家康の江戸への国替えに伴い上野国12万石を拝領し、当初は戦国期、この地の中心として存在した上杉氏方の最前線の城として幾多の戦禍を撥ね退けた名城箕輪城にその拠点を置くも、その後家康の命により中山道と三国街道の分岐点となるこの交通の要綱に監視の拠点として築いたもの。
元々この地、箕輪城とは別に後北条氏に属した和田氏の居城故和田城あったところで北条氏滅亡後は廃城となっていた所に築城されたのが現在のこの城跡。

そして、現在高崎と呼ばれるこの地名も、直政がこの城に入城する際に、その直政よって命名にされたという井伊氏と所縁の深い地だというのです。

しかし、その井伊氏もこの城の完成を見ることなく、ほどなく井伊といえば彦根のある近江国に移封となり、その後は目まぐるしく入れ替わり入封した徳川譜代の大名らの手によって城郭が整えられたのが、今、その痕跡を僅かに残すこの高崎城址なのです。

さて、この城址公園となっている高崎城、その城の構造物や建築物は、明治期以降そのほとんどが移築また取り壊しとなってしまったため、現在残る創建時の遺構は上記写真の乾櫓、そして土塁などと多くはないのですが、散策してみると城の面影が残る風情の周辺に高崎市庁舎や文化施設が建っていて、それがこの城跡と程よく調和し往時を気風を伝える空気となって身に注いでくるような気にさせてくれているのです。

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そして、そうした気分に浸りながら園内を歩き乾櫓の周りに来てみると、そこで出会ったのがこの風変りな建物???

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大きなコントラバスのようにも見えるのですけど、これは一体???
と思って、辺りをを見回すと乾櫓の対面にある文化施設と思しき建物の方に目をやると、目に飛び込んで来たのがこの看板。

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そこには、”群馬音楽センター”とあります。

「ああ、それならば!!」とこのモニュメントようなものの存在に納得をしつつ、しからば何のためにこうしたものがここに設置されたのだろうかと、ガラス越しにその扉の内を覗いてみると、そこにその答えがありました。




実はこれ、公衆電話ボックス!!なのです。

携帯電話が普及した今、まずお世話になることはなくなりましたが、こんな公衆電話なら、中に入ってちょっと使ってみようかとのに気にもなりますよね。



さて、長々と回り道をしてしまいましたが、タイトルの”足早に駆け抜けた早春を彩った花々の残映”。の花たちの様子のこと。
ここまで、上の高崎城址公園の写真を見ていただいても、ほぼどこにも花の気配らしきものはないようにも見えますよね。

確かにこの場所、花が群れなし咲いている場所ではないのですけれど、ところどころに花を咲かす樹木が立っていて、それが新緑と城址周辺の時空の交差した佇まいとほどよく調和、華々しさこそないものの落ち着いた瑞々しい命を感じさせるる空間を作り上げていたのです。

おりしも、ソメイヨシノが咲き終えたこの時期、幾種もの八重桜や山桜が満開で、それが清楚で安らぎある美をもたらしつ、清々しい春の雰囲気を醸す場を生んでいたのです。

それでは、清々しい春の雰囲気を醸すその様子、今回は4月中私が歩いた町々で出会った春の花々の映像とあわせ、こんなPVにいたしましたので、ここで、ご覧いただきその空気、少しでも味わっていただければと思います。



このPVの最後に登場した藤の花、これを撮影した2日後に見た時には、花はかなり散ってしまっていて、ここでもあらためて今年の春の深まりの進行の速さ、つくづく思い知らされてしまいました。


花々の様子をご覧いただいたところで、この高崎城址公園、今回歩いてみて可憐な花々と共にもうひとつ深く印象に残ったのが、こちらの彫像。

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一見、どこの街角にあるような像にも見えるのですけど...........、

これは長崎の平和記念像の作者として知られる日本を代表する彫刻家 北村西望の”将軍の孫”という作品。

長崎の平和記念像の他、彼の作品として有名な作品としては、山口県萩の”山縣有朋像”や岐阜県岐阜羽島駅前の”大野伴睦先生御夫妻之像”、JR熊谷駅前の”熊谷之次郎直實像”などがあるのですが、そのどれもとっても、かなりの大型でかつ厳ついイメージの作品が多い中、この”将軍の孫”(西望の長男,治禧(はるよし)氏5歳時の姿が、モデルとなっているのだそうなのです。)の像は、それに比べかなり小ぶりで、他の大型作品には感じられない西望の父親としての優しく・暖かさに満ちた愛情がその小さな体から滲み出ているようにすら感じられます。

特に若い頃、美術品搬送のアルバイトで東京武蔵野市の井之頭自然文化園内にある西望の園内の熱帯植物温室と見まがうばかりの巨大なアトリエ(井の頭自然文化園 彫刻園となっているとのこと)を訪れたことのある私にとっては、その時見たアトリエの高見に立ち気難しげに思索する西望の姿と相まって、この少年の像から湧き出るそこはかとない愛らしさが、私が感じた西望のものだとはにわかに信じられず、そこに大きな衝撃を受けてしまうことになってしまったのです。


そうしたことを考えながら、像の下に書かれたこの像の説明書きを読んでみると、この像、現在は井之頭自然文化園、調布の神代植物園、箱根の彫刻の森美術館、八王子駅入口など各地にあるのだとかで、その幾つかは私も以前訪れ見ているはずなのですが、それが完全に記憶の外になっていたことに気付かされたのです。

それまで何も感じることのなかったにも変わらず、ここで受けた強いインパクトは!!?

それは、この城址公園の雰囲気と春の空気が、この像に子供らしい無邪気さと命の活力を与えくれたことによるものなのか。

道端にポツンと唐突に据えられいるかのように見えたこの高崎の”将軍の孫”の像、しかし、それは高崎という街の歴史を蓄えた自然の力を得て光彩を放さしめていた、そこに、この地に暮らす人々のさりげなさの中に潜む豊かな感性の断片を見たように思えたのです。

あたためてこの町の奥行きの深さを感じ、短い時間でしたがいろいろな思いに巡り合わせてくれたこの地でのひと時に感謝しつつ、良い思い出を携え帰路につくことにしたのでした。



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大都会に春を告げる靖国のソメイヨシノ [仕事の合間に]

真冬と初夏の間を彷徨った今年の早春。

3月初めの頃は、おりしも訪れた冬逆戻りの様相から、桜の開花もいつになることかと考えていたところに、突然の初夏の如くの陽気の到来。
そのせいで、固く閉じていた蕾もにわかにその結びを緩めることになったのか、あれよあれよという間に桜開花宣言近しのニュースが巷を賑わすようなっていたように思うのです。
そして、東京では3月17日に開花発表、続いて早24日午前には満開宣言の発表、平年より7日早い開花に合わせ今度はさらに平年より10日、1953年以来3番目に早い満開との、矢継ぎ早に報じられる桜の動向の変化に、昨年まで朝夕桜並木の下を日々その移り変わりを楽しみながら職場に通っていた私は、今は他の職場に移りここ歩くこともなくなってしまっていたら、このまま過ごせば、今年は辺り一面に咲き誇る桜の風景を見ることもなく終わってしまうのではとの焦燥感を抱いてしまっていたのです。



とは言っても開花宣言はまだ出ていないし、ちょっと今の開花状況だけでも見ておこうと思い、帰宅時に日々利用する最寄の駅周辺を歩いてみたところ、そこで出会ったのが全身に花を身につけ咲き誇る駅前広場に立つこの桜の木。

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それも、なんと満開の様子!

それにしても、今の駅舎と、この駅前の広場が出来てから間もなく20年が経つというのに、日々この駅を利用しながら、今までこうした風景があることに気付かなかった私。
確かにこの場所、家の方向とは逆の出口も場所であり、ここを通る機会も少なかった場所とはいえ、20年もの間ここに桜の木があることを知らずにいたとは、自分のそのうかつさに情けない思いを抱きながらその花の前へと足を運ぶことにしたのです。

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しかし、この満開の桜、東京より3日ほど開花宣言の遅かった千葉県で、東京の満開宣言がまだでもあるにも関わらず、こうした満開の桜の木があるのは何故と思い、さらに足を延ばして周辺の桜の開花状況を見てみると、そちらの方はどの木も3分咲き程度の様子。

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もしかすると、駅前のあの桜はソメイヨシノと別に種類の桜........................[exclamation&question]



すると考えられるのは、彼岸の頃に花を咲かせるという、日本の桜の古来種でソメイヨシノお母さんであるエド・ヒガン!!
ソメイヨシノが オオシマザクラ(父方)とエド・ヒガン(母方)の交配種であることから、ちょっと見ではソメイヨシノだと思ってしまうのですが、よく見てみると花の根元にエド・ヒガン特有の赤く丸いがくの形が見て取れます。
これで、一足早い花の盛りの謎も氷解。

それにしてもわずか20年前に出来た広場にソメイヨシノではなく古来種のエドヒガンとは、思いも寄らない身近な街の小さな発見に今年の桜との縁にの行方に、幸先を見たような気がになって来ます。


そして翌日出社をすると、早速その効が現れたのか、前に在籍していた外堀公園桜並木の横の職場からの仕事応援のための来訪依頼の電話があったのです。。

いやこれはラッキーとばかりに二つ返事で承諾し、打ち合わせの後に靖国神社まで足を延ばし、桜の饗宴に身を浸してこようと出掛けることにしたのです。

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かくしてその当日...........[exclamation][exclamation]








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