2020年 この世を去ったアーティストの思い出;日本のポップ育てた作曲家 筒美京平 [音源発掘]

当初の予測通り、再び襲って来たコロナの嵐。
待ち侘びたワクチンも出来たという今、その普及にはまだ時間が係るとしても、その災禍からの脱出の兆しが見えて来た、とは言ってもまだ絶対的治療法確立していない今、あと少しの辛抱だよと我身に言い聞かせ、その予防を最優先に過ごしてる私ですが、こうした中で今回は!

これまで年末というと、この1年間のまとめとして、これまで聴いて来た作品の中で印象に残った作品を紹介することが常だったのですが、今年は、在宅勤務など家での時間も取れたことから、出会った作品については都度紹介してしまったということもあり、であれば私の音楽嗜好に影響を与えたと感じている、本年この世を去ったアーティストの思い出を取り上げ語ることにいたしました。

その一人目のアーティストは、今年10月に80歳で亡くなった作曲家の筒美京平。
この人の名を上げると「日頃、ジャズ・ロックに親しんでいる親父さんが、日本の歌謡曲畑のアーティストを取り上げるなんて珍しいですね。」と思われるかもしれませんが、実は、この私、若い頃にひょんなことから、京平さんの大学時代からの友人で、自分の会社を経営しつつも京平さんの仕事の手伝いをしているという、とある会社の社長さんとの知己を得、それがご縁で京平さんの動向を聞かせていただいたり新作のデモ盤を頂いたりしているうちに、歌謡曲は私の好きな分野の音楽ではないものの、筒美京平は私にとって身近な存在と感じられるようになってしまい、知らず知らずのうちにそのサウンド注意を払うようになってしまったという訳があって、忘れないアーティストとなってしまった人なのです。


さて、筒美京平といえば、いしだあゆみの”ブルー・ライト・ヨコハマ”や尾崎紀世彦の”また逢う日まで”、太田裕美の”木綿のハンカチーフ”、ジュディ・オングの”魅せられて”、近藤真彦の”スニーカーぶる〜す”など、今も多くの人に歌われることの多い、日本歌謡史に残る数多くの名曲を生みだした作曲家として知られていますが、私としても、その全盛期である1970~90年代には、ヒット・チャートを見ると一面に彼の作曲した曲が並び、時代の寵児の感を呈していたことが思い出されます。

そんなことから、それまで日本の歌謡界にはほとんど興味のなかった私も、ここまで来ると、これだけ粗製乱造の感で作った曲が次々とヒットすることに何故だろうと思うようになり不思議に思っていたところ、まもなくデビューする新人歌手のデモ盤を手にした前出の某社長さんから、「京平さんは、大ヒットした洋楽曲のサビの部分をさりげなく潜ませて曲作りしているのだけど、これがヒットの秘訣になっているのだよ。このデモ盤の曲もそうなんだよ、何の曲かわかるかい。」との話を聞かされたのです。
そして、いただき聴いたのがこの作品。

優雅 処女航海.jpg


台湾出身の女性歌手 優雅(ゆうや)の日本デビュー作”処女航海”です。



というところで、まずはこの優雅の”処女航海”、この曲に使われている有名洋楽曲、その曲名、曲を聴いてみて考えてみてください。

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