2020年 この世を去ったアーティストの思い出;Miles Davisが唯一奥義を伝えたアーティスト [音源発掘]

コロナで明けた一年、その年の終わりは、これまでを大きく上回る勢いでの感染拡大となってしまった昨今。

一方、海外ではこれまでにもなく早くワクチン接種も始まり、また特効薬完成への道にも光が見えて来たというニュースも聞かれるようにもなって 禍からの脱出も時間の問題となりつつ期待が生まれて来た感があるも、やはり今は最大の脅威の到来に尚一層の引き締めを図るべき時期。

全世界では、このコロナで命を落とした人は、174万人余りにも達したいう報道もあり、既に高齢者の域にある私などは、ここが正念場、なお一層の注意を払わなければと気構えたところで見つけた、このコロナで命を落とした著名人のリスト中にあった二人のアーティストの名。

その二人とは、世界的ジャズ・プレーヤーとして知られるテナーサックス奏者の Branford Marsalisとトランペット奏者ののWynton Marsalis兄弟の父である、ピアニストのEllis Marsalisと、そしてもう一人は、トランペット奏者のWallace Roney。

この二人、私にとっては長きに渡りそのサウンドに親しんできたこともあり、その死は大変悲しく残念極地という思いなのですが、特にWallace Roneyは、1981年のArt Blakeyと日本のドラム奏者のジョージ川口の双頭リーダー作品”Killer Joe"で、彼のトランペットに出会って以来、1986年、Tony Williamsの作品”Civilization”での華麗なプレイに魅了され注目し続けてきたこともあって、50歳代後半となった今は、円熟の境地に至ったそのプレーに接することが出来るのではと期待し、その作品を探し始めた矢先に知ったその訃報に大きなショックを受けてしまったのです。

そこで今回は、そのWallace Roneyを偲んで、その彼の生前最後の作品である”Blue Dawn - Blue Nights”をご一緒に聴いてみようと思います。

Blue Dawn - Blue Nights.jpg


さて、このWallace Roneyという人、特筆すべきは、あの巨匠Miles Davisがその奥義をただ一人直接手ほどきをしたアーティストだという事実。

ジャズのトランペット奏者というと伝説のトランペット奏者のClifford Brownを目指すアーティストが多い中で、珍しくWallace はその登場の頃からMilesの影響を強く受けたトランペット奏者として知られてはいたのですが、その後、Miles自身の目に留まりその手ほどきにより、そのMilesの亡くなる3か月前に録音された1991年の Montreux Jazz Festivalでのライブ作品” Miles & Quincy Live At Montreux” では、かなり病状が悪化していたMilesの指名によって曲によっては彼が代役を務め上げたというほどのトランぺッター。

そうしたWallace 、その早すぎる晩年は一体どんな音を出していたのか、書きながらもかなり気になって来ます。

そこで、その音

まずは1曲、ご一緒に耳を傾けてみることにいたしましょう。


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2020年 この世を去ったアーティストの思い出;日本のポップ育てた作曲家 筒美京平 [音源発掘]

当初の予測通り、再び襲って来たコロナの嵐。
待ち侘びたワクチンも出来たという今、その普及にはまだ時間が係るとしても、その災禍からの脱出の兆しが見えて来た、とは言ってもまだ絶対的治療法確立していない今、あと少しの辛抱だよと我身に言い聞かせ、その予防を最優先に過ごしてる私ですが、こうした中で今回は!

これまで年末というと、この1年間のまとめとして、これまで聴いて来た作品の中で印象に残った作品を紹介することが常だったのですが、今年は、在宅勤務など家での時間も取れたことから、出会った作品については都度紹介してしまったということもあり、であれば私の音楽嗜好に影響を与えたと感じている、本年この世を去ったアーティストの思い出を取り上げ語ることにいたしました。

その一人目のアーティストは、今年10月に80歳で亡くなった作曲家の筒美京平。
この人の名を上げると「日頃、ジャズ・ロックに親しんでいる親父さんが、日本の歌謡曲畑のアーティストを取り上げるなんて珍しいですね。」と思われるかもしれませんが、実は、この私、若い頃にひょんなことから、京平さんの大学時代からの友人で、自分の会社を経営しつつも京平さんの仕事の手伝いをしているという、とある会社の社長さんとの知己を得、それがご縁で京平さんの動向を聞かせていただいたり新作のデモ盤を頂いたりしているうちに、歌謡曲は私の好きな分野の音楽ではないものの、筒美京平は私にとって身近な存在と感じられるようになってしまい、知らず知らずのうちにそのサウンド注意を払うようになってしまったという訳があって、忘れないアーティストとなってしまった人なのです。


さて、筒美京平といえば、いしだあゆみの”ブルー・ライト・ヨコハマ”や尾崎紀世彦の”また逢う日まで”、太田裕美の”木綿のハンカチーフ”、ジュディ・オングの”魅せられて”、近藤真彦の”スニーカーぶる〜す”など、今も多くの人に歌われることの多い、日本歌謡史に残る数多くの名曲を生みだした作曲家として知られていますが、私としても、その全盛期である1970~90年代には、ヒット・チャートを見ると一面に彼の作曲した曲が並び、時代の寵児の感を呈していたことが思い出されます。

そんなことから、それまで日本の歌謡界にはほとんど興味のなかった私も、ここまで来ると、これだけ粗製乱造の感で作った曲が次々とヒットすることに何故だろうと思うようになり不思議に思っていたところ、まもなくデビューする新人歌手のデモ盤を手にした前出の某社長さんから、「京平さんは、大ヒットした洋楽曲のサビの部分をさりげなく潜ませて曲作りしているのだけど、これがヒットの秘訣になっているのだよ。このデモ盤の曲もそうなんだよ、何の曲かわかるかい。」との話を聞かされたのです。
そして、いただき聴いたのがこの作品。

優雅 処女航海.jpg


台湾出身の女性歌手 優雅(ゆうや)の日本デビュー作”処女航海”です。



というところで、まずはこの優雅の”処女航海”、この曲に使われている有名洋楽曲、その曲名、曲を聴いてみて考えてみてください。

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