日本のクラシック・アーティストが新風を吹き込んだプログレの名作:Emerson, Lake & Palmer:Tarkus;本日の本日の作品☆ vol.150 [デジタル化格闘記]

長雨続きの幕開けとなった今年の秋。

涼しさが訪れたとは言え心を湿らすこの長雨には閉口ぎみであったものの、東シナ海で停滞、その後観測統計史上初の福岡上陸と迷走ともいえる進路を走破した台風14号が去った後に、ようやく訪れた爽やかな空気をともなった秋晴れの空。
おかげで、十五夜には我が家からは無事中秋の名月も拝むことが出来、窓を開けその月を眺めながめていると心に安らぎをもたらす心地よい虫の音が若かりしの思い出の世界に導いてくれる。


と、そうした感傷的世界に浸っているうちに聴きたくなって来たのが、若き日好みよく聴き、近年は日本のクラシック・アーティストに編曲カバーでよく聴いていたあのプログレシッブ・ロックの名作品。

そこで今回は、その懐かしのアナログ盤を手に取り聴き語ってみることにいたしました。

el&p tarkus.jpg


その作品は、Emerson, Lake & Palmer、1971年発表のセカンド・アルバム、”Tarkus”。

Emerson, Lake & Palmer(EL&P)というと、その全盛期を知る者にとっては、1972年東京・後楽園球場での来日公演の時の、当時まだドームではなかった球場の外まで大きく響き渡るバカでかいサウンドと、ステージで最も狂える男と言われていたバンドの中心的メンバ―であるキーボード奏者のKeith Emersonによる、オルガンに刀剣を突き刺し格闘のすえ、最後にはそのオルガンを引き倒し演奏?するという、ド派手なステージ・パーフォーマンス目立ち、そのイメージから当時は、音楽的な面から彼らを語ることは憚られると言った向きもあったと記憶していますが、そうしたイメージ払拭してよく聴いてみるとそのベースに見えてくるのは、現代クラシックの音。

後年、作曲者のEmersonがこの曲について、「この曲の作曲当時は、アルゼンチンのクラシックの作曲家Alberto Ginastera(アルベルト・ヒナステラ)の影響を強く受けていて、そのサウンドを取り入れ実現しようした。」と語っていることからも、そのことが事実であることがわかります。

それを物語るかように、2000年代に入ってから、日本のクラッシック界から、ピアニストの黒田亜樹ての仕上がりであり、Emersonがこれらのレコーディングにに先立ちあらかじめ編曲譜を見たうえで承認を与えていることから、Emersonが描いたこの曲の本来の姿が窺えるような気がします。

しかし、不思議なことに、こうした日本のクラッシック界のEL&Pへの隆盛な反応に対して、本場英国のクラシック界の反応は、Pink Floyd、Genesis、Queen、Jethro Tullなどのプログレシッブ・ロック作品に取り組んだ作品はあるものの、EL&Pについては、かなり探すもどういう訳かまったく見当たらないというのが実情。

このあたり理由は、はっきりわかりませんが、当時よりEL&Pの音楽をクラッシック・オーケストラの演奏で聴いてみたいと思っていった私としては、彼らのライブにじかに接することが多かった本国より、そのライブに身近に接することが出来ず、レコードで彼らの音楽に接することが出来なかった日本の方が、あのライブでの大音響や派手なパーフォマンスに惑わされことなく彼らの音楽の内にあるクラッシクの繊細な構築美を見出すことが出来たことが、こうした結果生んだのではと考えているところ。

それはともかく、私にとって語ればいろいろ思い出の湧いてくる”Tarkus”ですけど、そのお話はひとまず置いて、ここでその”Tarkus”、本家本元のEL&Pの演奏で聴いていただくことにいたしましょう。






続きを読む


nice!(15)  コメント(2) 
共通テーマ:PLAYLOG