ロータリーの思い出 その3 [思い出の車たち]

今回は 書き始めてはみたものの気が乗らず筆を折り、2012/6/17以来、放置したままになっていたロータリーの思い出の最終章。

10年も経って今さらどうして!と、思われるかもしれませんが、実は今年の2022年のルマンで本番レースを控えて、1991年に、日本車として、ロータリー・エンジン車として、またカーボン・ブレーキ装着車として、初のルマン24時間レース・ウィナーとなったマツダのレーシング・マシン787Bが、ルマン24時間レースで名高いサルテ・サーキットを本レース開始前にレーシング・スピードでデモ走行したと言うニュースを聞いたこからこの書きかけの記事のことを思い出し、これも節目、ちゃんとか完結しなければと思い立ったのが事の始まり。



この記事の前のその2までは、ルマンにマツダ・ファクトリーが出場、2ローターエンジンでC2クラスを制覇するまで(その記事はこちら)のお話をいたしましたが、今回はいよいよ総合優勝をターゲットとして動き出すマツダの姿を取り上げお話していこうと思います。(その1はこちら

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85年シーズンを小型カテゴリーのC2クラスで戦ったマツダは、翌86年いよいよ総合優勝目指しこれまでの737Cに替わるニュー・マシンを開発、C1クラスへのチャレンジを開始することになります。

そのマシーンがこの757

Mazda 757.jpg


当時、耐久レースで常勝を誇っていたシャーシー等の設計ポルシェ 962を参考に開発された車で、それまでのマツダのC2クラスのマシーンとは、大きく異なったフォルムとなったこの車、そのデザインの変貌もさることながら、さらに大きく変わったのがエンジン。

それまでC2マシーンで使われていた自然吸気13B 654 cc×2 ローター・エンジンから自然吸気13G 654 cc×3ローター・エンジンとなり、排気量も1300CCから2000CCエンジンへとスケール・アップ、出力も従来の300馬力から450馬力へと大きく向上させたものになっていたのです。

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総合で高い順位を狙うべき大きく変貌したマツダのCカー、しかし、当時700~800馬力ともいわれた常勝モンスター連と比べるとまだまだ力不足。

このため、そのハンデを少しでも補うため、当時、規定最低重量850Kgと定められていたカテゴリーC1に対して、規定最低重量800Kgと軽量の当時米国で行われたIMSA-GT選手権のGTPカテゴリーでエントリーすることとなったのです。

こうして挑んだ1986年、この年は5月のルマン・テスト・デーでは3位となる記録を残すも6月の本戦では、出走2台ともリタイアと屈辱の結果となるも、翌87年のルマンではその雪辱を晴らすべくさらに熟成を加え、総合7位、GTPクラス優勝を果たし、確実にその進化の足跡を残すことになったのです。

こうして、総合優勝への夢達成への最初の一歩を遂げたマツダ、その翌年となる1988年には、ライバルに比べレス・パワーというウィークポイント覆すべく新たなマーシンを開発・投入することになるのです。

そのマシーンが、新たに自然吸気13J改654 cc×4ローター・エンジンを開発搭載した767。
これにより、エンジン出力は550馬力となり、シャーシ―もこの出力アップに合わせ強化するとともにダウンフォースの見直し図り、さらに上位を狙えるマシーンになったとの期待を抱かせることになったのです。

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そしてこの767、さらに目を引いたのは、そのボデイ・カラー。

レナウンの商品の一つである、チャージを車名に付けレナウンチャージマツダとして参戦していたマツダ。

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この大変印象的なオレンジと緑のアーガイルチェック柄の塗装は、サーキットでマツダの戦いぶりを見た、
当時マツダのスポンサーであったレナウン社長の「これでは勝てない。ならばとにかく目立て」との指示から生まれたもの。

こうして、さらに速くとのマシーン開発の成果共に、見た目の美しさと速さを手に入れたマツダ。

この年にルマンでは、国産車最速を記録するも熟成不足からくるエグゾーストパイプ等のトラブルに見舞われ 17位/19位結果に終わるものの、その翌年、さらに熟成を重ねエンジンも13J改改型630馬力とパワー・アップを図り参加した1989年のルマンでは、エントリー3台が完走し 7位/9位/12位を獲得、着実にその進歩を実績として残す結果を得たのです。


さて、こうして進化を続けて来たマツダ。
1990年には、さらにその上を狙うマシンを登場させることになります。

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